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Saturday, September 04, 2004

郵政改革、日の丸民営化は錦の御旗?

えーと、一応旬の話題ということで取り上げます。
 「民営化」といえば89年の国鉄分割民営化によるJR発足が記憶に新しいですね。そして国鉄時代は赤字垂れ流しでお荷物扱いだったのが、今や本州3社は株式上場を果たし、政府保有株式放出による完全民営化に至る「成功」を遂げたわけで、サッチャー流サプライサイド改革の日本での成功例と見る向きは多いと思います。
 しかし「民営化」自体は日本では明治時代から行われていたというと意外と思われるかもしれません。そう、官営八幡製鉄所や富岡製糸工場などの民間払い下げですね。殖産興業の掛け声の下、官業として始めてはみたものの、経営的には失敗して持ちきれなくなったもので、何か国鉄改革を彷彿とさせます。当時鉄道は国内輸送市場を独占しておりましたので、むしろ官業の優等生として経営の苦しい民間鉄道の買収すら行われていたんですから信じ難いところです。
 たまたま時期的に符合したとはいえ、サッチャー流サプライサイド改革とは縁もゆかりもないのが国鉄改革というのが私の見方なんですが、それが証拠に三公社の他2つの電電と専売は、それぞれNTTやJTとなりましたが、NTTは分割は行われずにガリバー企業として君臨しましたし、JTも専売制度そのものを残して民間企業としての自由を得たという意味で、いずれも問題のある対応でした。国鉄は労組が強かったんで、その分断のために分割されたというのが、当時囁かれてもおりました。
 ま、それでも国鉄改革は当時の世論の支持もあって、成し遂げることができました。また当初より分割されたために、後年持ち株会社方式で形式的に分割したNTTと違って資本分離が最初から行われたため、結果的に良い形になっていったといえます。まぁ三島会社や貨物会社の経営が苦しかったり、逆に東海道新幹線という通常の2倍の生産性を誇る生産設備を手に入れたために守りに入っているJR東海とか、設備投資計画を見誤って国鉄時代の旧式設備の更新が進まず苦しんでいるJR西日本など、個別には問題山積なんですが、曲がりなりにも自立の目途が立ったという意味では成功と評価して良いでしょう。
 さて、それで郵政改革ですが、何故いま必要なのかについては、相変わらず説明不足の状態です。改革の必要性があることは間違いありませんが、だれかさんの一つ覚えフレーズで「民にできることは民へ!」と、あたかもサプライサイド改革のような偽装が施されておりますが、隠れた意図があることはバレバレです。言うまでもなく政敵の利権を遮断する単なる政争です。「勝手にやっとれ」というのが、さしあたっての私の意見です。
 ま、多少まじめに郵政改革を論じるならば、最大の意義はリスク遮断にあるというのは、多くの方に同意していただけるんではないかと思います。簡単に言えば事実上の国家保証が付いた金融サービスという存在自体のリスクが問題なんです。国民の貯金を国が保証するというのは、言葉を変えれば万が一毀損したときは国民の税金で保証するという意味です。つまりリスクを回避したい国民に実はリスクをこっそり負わせているという点が問題なんです。これも郵貯の規模が小さければ、さしたる問題ではないですが、規模が大きいがゆえに解決が困難なんです。
 ということは、ソフトランディングでいくとしても、中長期で郵政事業の縮小を計画的に行っていくことこそが重要なんですが、政争の具と化している現状では、まともな議論は望み薄でしょう。そして"改革"を偽装する錦の御旗、反対論封じ込めの思考停止フレーズとしての「民営化」ばかりが前面に出てしまうわけです。

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