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Sunday, December 26, 2004

人口減少社会と公共事業

寝正月が確定していて旅行などの予定がありませんので、正月向けネタにしようと思っておりましたが、簡単に論点だけ明らかにいたします。

その昔、米国のルーズベルト大統領は、未曾有の不況を目のあたりにし、公共事業を増やして雇用を確保する政策を採りました。日本でも最近まで公共事業で景気を良くしようという政策は普通に行われてきましたし、今でもその有効性を語る人は多くいます
 いわゆるケインズ政策の目的は、財政出動を通じて余剰資源(失業が多い状況では労働力、財政資金が余剰ならば減税)を活用して有効需要を創出し、完全雇用の状態にしようという狙いです。その意味で日本では未だかつて正統なケインズ政策は採られたことがないと理解しております。日本の労働市場は農業セクターと自営業を緩衝剤としているので、公共事業が素直に雇用創出につながらず、終身雇用に護られた大手企業の労働者の雇用の安定の裏側で、身分保障のない農家や自営業者を公共事業で取り込み、景気が上向けば離すという形で流動化させることで調整されていたものです。ですから大企業のリストラで放出された人たちの取り込みにはならず、有効需要創出効果がないわけです。  また折角整備されたインフラが有効利用されていない状況というのは、維持費だけかかって稼ぎのない状況ということですから、当然そのようなインフラの整備に経済効果はないわけです。むしろ造った無駄なものを壊す方がまだしもです。  で、一応厚生労働省の中位推計による人口推移では、日本の人口は2006年にピークアウトして減少へ向かうことになっておりまして、実際は2003年の合計特殊出生率が予想を下回る1.29の実績値に留まったわけですから、実績が出ればわかりますが、前倒しで2005年または既に2004年でピークアウトしている可能性もあります。  で、いよいよ人口減少社会へと突入するわけですが、この意味するところは、様々な社会資本インフラをより少人数でシェアするということになります。これは一面では同じインフラを少人数で利用できてゆとりが生まれるということであるわけですが、反面維持費の負担も重くなるということにほかなりません。今考えなければならないのは、私たち国民が、どこまでゆとりを享受し、どこまで負担を受け入れるかについて、合意形成できるかどうかということなんです。  また人口減少は大都市と農村の関係についても再定義を要求します。既に物理的開発限界近くまで集積の進んだ大都市圏については、実は人口減少はゆとりの創造で市民レベルの経済厚生を向上させますし、また人口減少に伴って新たな開発余地さえ生まれます。一方の農村部などの過疎地域は、いよいよ働き手の確保が難しくなり、放っておけば離農によって耕地面積が減少することすら考えざるを得なくなります。減反なんかやってる場合ではないんですが^_^;。  逆に言えば小規模かつ労働集約的で国際競争力の乏しい日本の農業の大規模化、省力化のチャンスでもあるんですが、あいにく政府の保護下でそのような動きはにぶいので、文字通り櫛の歯が抜けるように衰退の道を進むことになります。つまりは過密過疎の問題は先鋭化するわけです。  この状況で公共事業のバラマキを続ければ、特に過疎地に立地するインフラほど利用率が低く生産性が低いということになります。少なくとも現時点での利用予測は下方へ外れる公算が高く、国全体でみればますます非効率でハイコスト、つまり国際競争力のない国に堕するということになります。人口減少で国全体としては生産性を高めなければならない局面での話ですから、問題は深刻なんです。  ま、あまり話題を拡散させても何ですから、とりあえず論点を出すに留めます。

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