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Saturday, December 18, 2004

国鉄改革の置き土産? 運輸官僚は鉄道省事務方か

たった今届けられた日本経済新聞夕刊のトップ記事が「港湾再編」で、地方港湾の統廃合と重要港選別で追加投資する港湾60と既存施設活用の40に分類するというものです。
 早い話が公共港湾のリストラをやるということで、公共港湾投資の無駄は以前から指摘されていたところですが、実際は公共事業費3%削減の方針に対して整備新幹線や関空二期工事など削れない?投資を優先した結果、港湾事業にしわ寄せがきた形です。ま、選択と集中といえば聞こえは良いですが、周回遅れの感は否めません。
 既に整備新幹線新規着工、三位一体もなんのその結局やるの?関空二期工事などで指摘しました通り、前者は政治家の票集め、後者は事態の複雑さから結論先送りの結果としての支出であって、けっして前向きな投資ではないんで、それを活かすために別のところを削るという話です。何でこんな事になってしまうのでしょうか。
 旧運輸省という官庁は、元を辿れば戦前の鉄道省に行き着きます。鉄道省は言うまでもなく国有鉄道の建設と運営を担当する現業組織を持っていたのですが、同時に私鉄やバス、船舶や航空機などの輸送事業全般を監督する監督官庁の機能も有しておりました。基本的な考え方としては、明治期には鉄道は国有国営が原則とされ、殖産興業の基本となる公共インフラとして鉄道は重視されていました。鉄道建設は国の権限であって、国が建設運営する鉄道に関しては、国が自らの権限を行使するだけの話なので、事業免許の取得手続きは省略されていました。仮に国以外の主体(地方自治体や民間企業)が鉄道事業を行おうとするときには、国の権限を代行する意味で事業免許の取得を義務づけられましたし、国による買収を拒否できない制度になっておりました。工業化初期の日本においては、鉄道経営は国家経営と同義の重みがあったわけです。
 時代は下り戦後GHQの命令で官庁の再編がされたときに、現業機関としての国鉄は公社として国の支配から切り離されたわけですが、鉄道事業の国家独占の考え方は堅持され、国鉄による新線の建設は事業免許不要のまま可能だったわけで、実はこの点に政治家のタカリを許す制度的な瑕疵があったわけです。
 一方で現業部門が公社として独立した結果、旧鉄道省の事務方は、戦時体制で運輸逓信省を経て運輸省となって監督官庁の道を進みます。地方や民間に対しては監督官庁として振る舞うも、免許制度の埒外にある国鉄への支配権は、国鉄予算の国会承認を助けるなど間接的なものに留まり、監督官庁ながら他省庁に比べれば支配力が弱いといえます。おそらくこのことは歴代運輸官僚の間で認識されていたと思います。
 このあたりが端的に現れたのが成田空港問題です。東京国際空港の発着枠の制限から国際線専用空港を作ることが構想されたものの、候補地選びで二転三転し、一時は羽田空港の拡張で対応する方針が出されながら、下総御料牧場と小岩井農場が立地し、用地買収が容易との判断から唐突に決定された成田空港建設が、その後どのような推移を経たかは多言を要しないところです。なぜ新空港建設が強行されたかといえば、運輸省の権益拡大の意図があったからということになります。
 で、この失敗に懲りた運輸省は、大阪国際空港騒音訴訟では騒音対策費の名目で反対派を切り崩し、同時に関西国際空港の建設で権益拡大を目指します。その結果関空は開港したものの、伊丹の騒音対策費の負担も続き、財務省に見直しを迫られることになります。過去の失敗が失敗を呼び込む負の連鎖にはまり込んだわけです。
 新幹線に関しても、東海道新幹線は、誤解されてますが国鉄の単独事業であって、世界銀行から融資を受けるなどして実現したもので、運輸省が事業推進に関与した公共事業ではありません。結果は高い採算性によって融資の返済も順調に進み、一方で政治家に押しつけられた赤字ローカル線の赤字を経営的に支える優等生にすらなりました。そこで全国新幹線網整備特別措置法という法律を作って、当時の列島改造の気運に乗って事業計画や整備計画の策定や事業の実施命令などで権益を確保しようとしましたが、オイルショックによる公共事業凍結と国鉄財政の破綻による事業凍結で出口を失い、国鉄民営化で文字通り画餅に帰すところを並行在来線廃止や整備スキーム策定で生き返らせるなど、悪あがきは枚挙に暇がありません。
 ま、罪状はこれぐらいにしておきますが(笑)、明治大正期には国家経営の要だった鉄道省の事務方の子孫は、かくも国民そっちのけで来てしまったわけです。港湾整備の見直しも、京浜、伊勢湾、阪神の3拠点を重要港湾に位置づけて集中投資して国際競争力を発揮させようという発想は、予算削減に遭いながらも国家中枢という幻想に囚われたとしか言いようがありません。国内港湾の国際競争力はコスト高と夜間の機能停止など、主にソフト面の欠陥からくるもので、投資を集中させたからといって競争力が回復できるものではありません。こんな連中に財政資金を垂れ流す権限を与えてしまったことは、日本国民にとっては不幸なことです。
 私たちは鉄道をはじめ運輸事業が免許制度の下にあることに何の疑問も抱きませんが、そのルーツは明治期の鉄道事業の国家独占が根拠であり、これは国鉄改革を経た現在でも、制度上は明確な否定はされておりません。このことが運輸官僚をして自意識を肥大化させる原因なんだろうと思います。

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