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Tuesday, February 15, 2005

メディアは誰のものか? ニッポン放送問題で見えたもの

ライブドアによるニッポン放送のM&A問題ですが、連日メディアを賑わしてはいますが、何か未消化な印象を受けるのは、私だけではありますまい。ライブドアvsフジの対決の構図で語るか、ライブドアの真意を測りかねている困惑の態度か、それに対してフジを除くメディアに出ずっぱりの堀江社長も苛立ちを隠さないという何とも奇妙な展開を見せているのですが、何か日本のメディアの問題点、ひとことでいえば自立できていない点が垣間見えます。
 メディアの報道がわけのわからないテクニカルな問題に終始して問題の本質を見いだせずにいる一方で、インタビューに答える堀江社長の暴露話で問題の背景が見えてくるという構図は、とりもなおさずメディアが報道機関としての機能を果たしていない現実を見せつけます。
 そもそもはフジサンケイグループの複雑な株式持ち合い関係が元々あって、西武コクドグループの有価証券報告書虚偽記載事件の陰に隠れてはいましたが、企業規模の小さいニッポン放送が大きいフジテレビの筆頭株主として支配する構図に問題ありということで、フジテレビはTOB(株式公開買い付け)によるニッポン放送株の50%超取得による完全子会社化によるグループ再編を打ち出したわけです。企業グループの株式持ち合い解消は、株式の流動性を高めますから、一時的に株価の下げ圧力となるわけで、相場より高めの価格設定による公開買い付けという選択をしたと考えられます。
 しかし一方で放送法により外国人持ち株比率が20%に規制されている放送事業で、規制に抵触すれば議決権を返上しなければならないにもかかわらず、外国人による放送局特に在京キー局の株式保有意欲は強く、いずれ規制そのものも撤廃される方向性が見えているという現状で、また改正会社法によって株式交換によるM&Aなど外国企業によるM&Aがやりやすくなると言われている改正が予定されている現状で、あたかもそれらの状況を先取りするかのようなライブドアのアクションに、困惑が走っているものと思われます。なにしろ資本主義の守護神みたいな日本経済新聞までもが、堀江発言が株価の乱高下の原因であるかのような、そしてM&Aの横行を防ぐ法整備の必要性を説く論説を載せてます-_-;。
 問題はそんなことじゃないんですよね。仮にライブドアの買収が成功したとして、ニッポン放送やフジテレビがなくなるわけじゃないんです。単に会社のオーナーが代わるだけで、事業の実態がいかほど変わるのかという点こそが、国民の側から見たときの問題点なんです(*1)。

  *1   オーナーといえばニッポン放送株を8%保有し
      ていた前オーナー一族の鹿内家から今回の
      TOBの幹事証券会社の大和証券SMBCが
      5,000円程度で買い取っていた事実を堀江
      社長が明らかにしておますが、インサイダー
      取引の疑いのあるこのような事実が、報道
      機関によって伝えられないあたりに、日本
      のメディアの病んだ姿が浮き彫りになります。

 日本は自由の国で「報道の自由」があるらしいんですが、一応憲法で規定されてはおりますが、憲法は理念を規定したもので、実際の効力は個別具体的な法律によって定義されるわけです。で、前述の放送局の外資規制や新聞社による持株規制などが、個別具体法ということになるわけですが、これって経営による報道現場や編成に対する影響力の行使を前提としているわけです。でもこれって、メディア企業のオーナーになれば報道内容をいくらでも改変できることを意味します。また政治によるメディアの経営への圧力が現場へ反映されるという意味で、例えばNHKの番組改編問題に代表されるような問題を孕んでいるということになります。理念としての憲法の趣旨は実現していないわけです。
 本来的な報道の自由とは、国民の知る権利の保証手段なんですね。代議制民主主義のもとでは、国民に影響力を行使する公権力の腐敗が問題視されるわけですが、国民個々人の情報力では、権力が正当に行使されているかどうかを監視する手段を持たないので、報道機関が報道を通じて権力の監視を行うことで、国民の知る権利を保証するわけです。つまり本来メディアは国民のものであって、オーナーが誰であれ、国民の知る権利を満たす存在であるからこそ、報道の自由が権利として定義されるわけです。ですから例えばイギリスの公共放送BBCなどでは、法令によって経営の現場への干渉を禁止しています。悲しいかな日本で「報道の自由」が言われるのは、例えば権力を行使する立場にあるとは言い難い田中マキコ議員の長女の離婚問題のような、個人のプライバシーを暴いて金儲けに走るパパラッチどもの自己正当化の手段としてです。「報道の自由」が彼らへのフリーハンドを約束するものでないことは明らかです。
 長くなりましたが、報道機関として、メディアは公共性があるわけで、それ故に規制の対象になるわけですが、報道の自由を直接的に保証する法律で規制するのが本来の姿といえます。資本規制でお茶を濁そうとするから、今回のライブドアの買収劇のようなことが起こると考えるべきでしょう。

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