Friday, April 29, 2005
鎌倉総合車両所の岡本の方の事業所つーか旧大船電車区といった方が話が早いですが^_^;、一番本線寄りのところにE217系が留置されてるんですが、これが変なんです。何か中途半端な長さなんですね。
よく見ると4~7号車が抜かれてるんですが、ダブルデッカーのサロ2両と上り側隣接のサハ2両が抜かれて7連になっているんですが、一体いずこへ?
おそらくサロにSuikaグリーン券用のセンサーなどを取り付ける改造をしているんだと思いますが、しからばなぜサハも一緒なんでしょうか? 単に棒連結器でつながっているからかもしれません。
昨年12月の改正で湘南新宿ラインに振り替えられた関係で、E217系は2本余剰が出ているわけで、どこかに転用されるのではないかと注目されておりまして、湘南新宿ラインの増強に回るとか、サロを抜いて房総へ回るとか噂されているのですが、当面余剰車を利用してサロの改造を進めるということなんでしょう。
そうすると必然的にサロを抜かないで転用されることが前提になっているということですから、湘南新宿ラインの増強に回る可能性が高いことになります。ただし幾つかの疑問が残ります。
E217系は現在基本11連付属4連で15連を組成する編成ですが、国府津と小山のE231系は基本10連付属5連で、なおかつ付属編成の連結位置が逆になっています。これは逗子駅で付属編成を切り離す現在の運用形態から出たもので、電留線が下り側にあって、有効長の関係もあって、付属編成は4連で下り側に連結するようになっているわけです。これを湘南新宿ラインに合わせるためには基本編成からサハ1両を抜き取って付属編成に組み込むと共に、自動増解結装置の付け替え(基本編成下り側→上り側、付属編成上り側→下り側)、帯色の湘南色化、側面客用ドアの半自動化、E231系との協調運転対応改造などが考えられます。
でもそこまで手を入れるでしょうか。何しろ“寿命半分”の走ルンですですから^_^;。もう一つの可能性として、抜かれたサロとサハは、そのままE231系の新製車に組み込まれて、7連と4連で房総地区へ転用の線も捨てがたい気がします。ただし難点は2本ぐらいの転用では使いにくいということですが。大穴はさらにサハ1両を抜いて京葉線の分割快速(東京~茂原・成東)に使うかといったところでしょうか。いずれにしても目が離せないところです。
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Tuesday, April 26, 2005
はからずも事故の話題が重なるのは本意ではないんですが、メディアの論調に気になるところがありまして、記録に留めたいと思います。
ま、確かに昨日の今日ですから、尼崎と関連づけてみたくなるのが人情でしょうけど、両者は全く無関係です。常磐線羽鳥駅近くの踏切で脱輪したトレーラーにスーパーひたち23号が衝突し先頭台車が脱線したんですが、損傷の度合いは尼崎の事故とはだいぶ違います。
元々一次元方向に動きが制約された鉄道においては、正面衝突こそが危険なのであって、衝突を回避するためにさまざまな保安装置が装備され、また鉄道車両も正面は強固に作られていて、大型トレーラーにぶつかったぐらいでは大破しないし、また簡単に脱線もしないし、仮に脱線してもよほど条件が悪くない限り転覆しないんです。かくも安全な交通機関だということを再確認しておきたいと思います。
鉄道ではフェールセーフという考え方でシステムが構築されていて、異常が発生しても安全側に作用するように考慮されています。ですから鉄道事故は通常単一の原因で起きるわけではなくて、いくつかの複合原因が重なって、幾つもの防護措置をくぐり抜けて事故に至るものです。また過去の事故の解析によって、システムとしての安全度は一般論としては向上します。高い確率で起きる事故に対する防護、被害の最小化も考慮されているわけです。
その意味ではカーブで脱線して重く巨大なマンションに激突するというのも、折り重なって横向きになるのも、側面を損傷するというのも、尼崎事故がかなり特異な事故であるということです。軽量化による車体強度不足を指摘されたりしてますが、さまざまな安全対策で側面衝突自体が起きないようになっているのが鉄道の特長でもあるわけですし、仮に装甲車のように頑丈な側面にすれば、重量増によって列車の運動エネルギーが増しますから、衝突の衝撃はそれだけ大きくなるわけで、車体の損傷は免れてもマンションの倒壊などでより深刻な被害が出る可能性もあります。この辺は高校の物理の問題だと思いますが-_-;。
今必用なことは、必要以上に情緒的にならず、冷静に正確な事実関係を見つめることでしょう。また鉄道の安全性は過去の事故の教訓によって得られたものだということを思い起こしていただきたいです。正しく原因究明され再発防止が図られるのでなければ、今回の事故の被害者の皆さんは浮かばれません。
少なくともスーパーひたちの事故では、むしろ鉄道の安全性を再確認できたということを申し上げたいところです。
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Monday, April 25, 2005
現段階では原因を云々する段階ではありませんが、ひとつ気になる点がありまして、とりあえず忘れないようにアップしておきます。
JR西日本のアーバンネットワークですが、どうも全体的にタイトなダイヤを組んでいるふしがあります。遅延時の回復運転の“しろ”となる余裕時分を削り込んでいる疑いがあります。数年前の話ですが、地元の鉄道ファンの目撃情報として、駅で客扱い開扉中にノッチオンして、閉扉時に戸閉保安装置が解除されると同時に発進という恐ろしいことをやっているというのです。そのせいかどうか、確かにJR西日本は車掌置き去り事件を度々起こしています。
現状がどうかはわかりませんが、ダイヤ改正の度に新快速の停車駅を増やしたりしてますが、並行私鉄より遠方に線路がつながっているJRの場合、近場は私鉄に譲っても良さそうなものですが、あらゆるところで勝ちに行っているように見受けられます。
今回の事故でも、伊丹駅でのオーバーランで1分半の遅れを回復運転していたふしがあります。脱線原因としてのオーバースピード自体は可能性は低いにしても、回復運転中で前方の何らかの異常の発見が遅れたなどの可能性は排除できません。
あと国鉄末期の財政難で新卒採用がなかったために、JR西日本に限らず30~40代の中堅社員がいないJRの年齢構成の歪みも指摘しておきましょう。元々旧国鉄組のベテランが多かった京阪神地区の乗務員ですが、さすがに退職者や管理職など地上勤務に配転されたりで現場で世代交代が進んでいるようですが、今回も若い運転士だったことがひっかかります。タイトなダイヤを職人芸で維持していたとすれば、若い世代の育成、スキルの継承はかなり難しい問題です。
トラブル続きで処分を受けたJALが、JR新幹線との競合激化で定時運行にこだわり、国道交通省の基準で+-15分とされる定時運行の定義を+-5分とタイトにして現場を疲弊させたことが指摘されてますが、JR西日本にも同じようなことが言えるのではないかと危惧します。その点JR東日本のぬるいダイヤは秀逸です^_^;。
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Thursday, April 21, 2005
常磐線にE531系が登場し、7月にはダイヤ改正も予定されるなどの動きがありますが、一連の新系列車による旧型車置き換えも、ついに交直両用車が必用な常磐線中電区間にまで波及するに至り、新しい段階に入ったといえましょう。
JR東日本の新系列車、いわゆる“走ルンです”の開発コンセプトついては、生みの親である山之内秀一郎氏の著書にもありますが、なかなか意欲的であり、かつ将来を見据えたものなんですが、鉄道ファン的には理解が浸透しているとは言い難いところです。昨夏文庫化されて買いやすくなったことですし、鉄道ファンの必修科目として是非買って読んでください。試験に出ます(嘘)。
「日本を救う」と言うからには、まずはマクロ経済から説き起こします^_^;。「失われた90年代」を引きずり、当局の「景気回復」の言説が全く実感のない現在の日本ですが、マクロ的には「貯蓄過剰」状態にあるといえます。例の「国民貯蓄1,400兆円」云々ってやつですが、これ国民1人当たり1千万円の貯蓄があるという意味ではありません。貯蓄の正体は公的年金であったり企業の内部留保であったりというのが含まれます。早い話がバブル期の企業の投資行動の過熱の反動で投資が抑制された結果、企業の手元資金が膨らんだということです。企業の投資行動が冷えた結果、経済が停滞したわけです。
その結果の影響がもろに出たのが銀行で、企業が投資を控えれば融資先がなくなる一方、口座の預金残高は積み上がりますから、有り余る資金を運用する先がないということになり、預金に金利をつけられないという事態になるわけです。
また手元資金が潤沢な上場企業というのは、それだけでM&Aの標的にされます。手持ちの資金を有効活用して利益を生むことができないわけですから無理もありません。敵対的買収対抗策を云々する前に、企業の経営姿勢を見直すべきなんですけどね。
企業が投資に慎重になるのは、悪いことではありません。問題は、その結果生まれる余剰資金の活用法に問題があるということです。3通りの道があります。1つはリスクを取ってあえて投資を行うこと、2つ目は労働賃金アップを通じた消費の督励、3つ目は株式配当による投資家への還元のいずれかです。しかし実際の企業行動は、当期利益確保のための人員整理や賃金カット、はたまた成果主義の美名のもとオーバーワーク前提の目標を掲げたサービス残業などの労働強化で強引に利益を出す媚縫策などで、ますます経済を冷やしてしまったわけです。
しかし1つだけ低リスクで確実に成果の期待できる投資があります。高齢化に伴う人口減少社会に向かう日本にあっては、省力化投資の必要性が高まっており、しかも予算制約下でも計画的な投資によって累積的に成果を積み上げていくことが可能な投資分野であるという点で、特に鉄道のような成熟産業ほど、効果が期待できます。また間違いなく企業の利益を高めますから、無理な人員整理や賃金カットを行う必用もなく、消費を冷やしてブーメランのごとく企業業績に跳ね返る心配もありません。それでいて確実に将来の企業の競争力を底上げします。
209系以来のJR東日本の一連の新系列車ですが、「寿命半分、値段半分、重さ半分」というフレーズが一人歩きした結果、「使い捨ての安物」というイメージで受け取られてしまいましたが、本当の狙いは「13年間分解修繕不要」ということになります。電車の法定耐用年数が13年で、通常は4年ごとの重要部検査と8年ごとの全般検査を受けるわけで、その間に全検1回重検2回を受けて、2回目の全検時に更新工事などの延命工事を行って30年程度使うというのが、通常の鉄道車両の使い方なんですが、法定の検査自体は受けるにしても、減価償却期間である法定耐用年数の間に、修繕その他余分な出費を抑えられれば、減価償却費を次の新たな投資に使い回せるわけですし、検査要員なども少数で済みますから、効率的な省力化投資と言えるかと思います。この辺は国鉄末期の201系の苦い経験が生きているのかもしれません。
だからといって、決して鉄道車両としての基本的な部分は手抜きをしていないんで、E231系でもちょっと本気を出せば東海道線で特急踊り子より速い特快として走る実力は備えているわけで、低価格はあくまでも量産効果で実現するというあたりが、利益が出るということで車両メーカーの協力を引き出すと共に、専用製造レーンを休ませないために私鉄向けにも受注するなどしているわけです。量産車ゆえのハイクオリティというVWゴルフ的な車というと誉めすぎでしょうか。
私もぼちぼち老後の生活設計を具体的に考えるような歳になってきました。生活費は年金で回して、余剰資金でJR株でも買って株主優待券で旅行三昧なんて夢見ております^_^;。しかしそれも鉄道を動かしてくれる現役世代の人たちがいてくれるからこそ可能なんで、より多くの鉄道が鉄道として生き残っていてほしいと思います。そのためには省力化投資というのは重要で、例えば2度の事故で廃業に追い込まれた京福電気鉄道福井支社のように、省力化に伴う保安装置の導入すらままならないでは将来はありません。
というわけで、鉄道の将来を拓くという意味では、省力化投資こそ重要です。超伝導リニアのような需要創出形投資は、人口減少社会ではむしろ人的資源の浪費につながるおそれがあります。成熟した鉄道技術に立脚した上で、可能な限りの省力化投資を続けることこそが、鉄道の未来を拓き、ジジイの夢を実現させるものといえましょう^_^;。
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Monday, April 18, 2005
郵政民営化を巡る動きがヤマを迎えようとしておりますが、その陰で頭の痛いニュースです。
Simplex's Memoさんの記事によりますと、5/21着工の線で話が進んでいるという日本経済新聞の地方版の記事をリンクでたどることができます。
なぜ頭の痛いニュースかと申しますと、整備新幹線新規着工、三位一体も何のそのや新幹線新宿へ?という記事の中で触れた根元受益の問題があるからです。ざっと申し上げますと、整備新幹線建設財源としてJRによる既存新幹線買い取り費用に上乗せされた約2兆円の鉄道整備基金の枯渇によって、財源不足から着工は難しいとされていた今回の新規着工区間について、一部とはいえ着工が認められたということは、今回の着工区間の根元側を保有するJR東日本の受益分徴収が決まったということにほかならないからです。これで日本も自由主義とオサラバ、統制経済まっしぐらというわけですね。昔からだというツッコミはあり得ますが^_^;。
元々整備新幹線問題というのは、イコール財源問題だったわけですが、運輸省予備費だけでは足りず、JR本州3社による新幹線買い取り代金に約2兆円の上乗せをして鉄道整備基金とし、そこからの出資と運輸省予備費の支出合計を国の負担分と見なし、同額を地方に負担させた上で、不足分を開業後JRが受ける受益分の8割相当の貸付料で償還していくというものだったわけですが、この仕組み自体に誤魔化しがありまして、JRは新幹線建設に同意する条件として並行在来線のJRからの経営の切り離しを行うこととし、それによって発生する受益も開業後受益の一部と見なすことになっています。これはJRから見れば在来線の特急列車など都市間輸送の部分の機能を公費を利用して劇的に強化する一方で、儲からないローカル輸送からの合法的な撤退を意味します。その結果横軽間のように廃止に追い込まれたり、しなの鉄道のように旅客の減少に歯止めがかからず経営難になったりということになるわけです。新幹線建設で高負担を強いられる地方にとっては、在来線維持という新たな負担の始まりでもあるわけです。
この辺の矛盾が吹き出したのが、東北新幹線延伸部分における並行在来線貨物問題でして、しなの鉄道の場合よりも明らかに沿線人口の希薄な地域で、ローカル輸送だけならば複線電化の幹線規格の線路は必要ないんですが、対北海道の鉄道貨物幹線という性格があるために、現行の高規格の線路を残す必用があるわけですが、そうすると今度はJR貨物が線路保有会社であるJR旅客会社に支払っていた割安な線路使用料が問題となります。旅客会社の線路容量の余剰分だからこそ割安で借りられたものが、専ら貨物のために高規格な線路を必用とするならば、その線路を維持する費用を在来線引き受けの第三セクターが請求するのは当然のこととなります。かくして地元とJR貨物の並行在来線を巡る対立は平行線を辿ることとなります。
結局はその差額をJR東日本が負担する新幹線貸付料に上乗せして、それを原資としてJR貨物へ差額補償することで決着しましたが、今後北陸や北海道で同じ問題がより深刻な形で出現することを考えますと、いささかどろなわな感は拭えません。
さて、ここまでは整備新幹線問題の復習だったわけですが、今回の新規着工区間については、大きな問題があります。国の負担分のほとんどを占める鉄道整備基金の枯渇問題です。それで不足分を埋めるべく「根元受益」なる珍妙なことばが出てきて、新規着工区間に直接関与しないJR東日本に負担させる議論になったわけです。
北海道新幹線では並行在来線問題も東北新幹線延伸部分以上に複雑で、本州側の津軽線はJR東日本の所属線区ですから、経営を切り離しても事業者であるJR北海道に受益が発生しないため、建設費の償還に回せません。
しからば北海道側は? といえば、江差線はJR北海道としては経営切り離しをしたいでしょうけど、江差線を含む津軽海峡線が本州対北海道という貨物輸送の有望幹線であり、通過旅客数を通過貨物トン数の数字が上回って久しい現実があり、切るに切れない現実があります。仮に東北新幹線延伸部と同様にJR北海道の新幹線貸付料に上乗せしてJR貨物に補償して、第三セクターを受け皿にして維持するにしても、今度は木古内以西の区間の扱いが厄介になります。この区間は元々廃止された松前線より輸送密度が低いにもかかわらず、松前線の合流する木古内以東の輸送密度に救われた経緯がありますが、JRから切り離されれば、経営上の重荷となって切り捨てられる可能性が高いわけです。正しく「新幹線はできたけど」の嘆き節となりそうです。
来月着工とまで具体化した以上、この辺の問題はクリアになっているはずですが、お得意の「先送り」の可能性も否定できません。なにしろ小泉官邸の意向として、実を捨ててでも「郵政民営化」の名を取りたいようですから、見返りとして「何でもあり」になりつつあります。「改革の本丸」のはずの郵政民営化すら、反対派の取り込みのために骨抜きになりつつありますが、どうも小泉首相は「歴史に名を残す」ことしか頭にないようです。
元々「小泉改革とは、郵貯を民営化して銀行を国有化すること」という小咄が囁かれておりましたが^_^;、ここまで来ると悪い冗談では済まされない愚劣な話になります。
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Sunday, April 10, 2005
最近鉄道ネタから遠ざかってますが(笑)、一応旬の話題ということで^_^;。
205系は国鉄末期のの登場でJR化後も増備された形式で、国鉄からJRへの橋渡しを担ったという意味で独自のポジションにいます。101系に始まる新性能電車第一世代、国鉄の標準化思想のもと大量増備された103系などの第二世代に続く201系以後の第三世代の一角を占めながら、予定されていなかった形式でもあり、変化の時代を象徴する形式と評価できます。
第一世代の先駆けとなった101系は、当時私鉄各社に登場した高性能電車の国鉄版ということで、かなり力の入った車でした。オールMで高加減速を狙い、既に10連2分ヘッドで30本/時と限界にあった中央快速線のラッシュ輸送で、クロージングイン(移動閉そく)を構想しつつ信号の閉そく割りを細かくして運転間隔を縮め、輸送改善を狙ったんですが、変電所が負荷に耐えられずにT車込みで旧型車並の性能にスペックダウンというトホホな展開と相成りました。それでも車両としてのつくりはしっかりしていて、当時の設計陣の志しの高さは大したものでしたが、同時に地上設備の増強なしに車両側の技術革新で近代化を狙ったコンセプトは破綻し、以後の国鉄の車両政策に影響することとなりました。
103系に代表される第二世代は、とにかく工作の簡易化と標準化が徹底され、外見の似ている101系と比べても、構造床に直接床材を貼るような簡易なつくりが祟って、振動と騒音に悩まされることとなります。にもかかわらず大量増備されたのは、行きすぎた標準化思想と国鉄財政の悪化が原因です。世代交代の計画はあっても予算が付かない状況で放置され、結果的に国鉄分割時にも大量の陳腐化した国鉄型車両を引き継ぐ結果となりました。
かくして財政難の中で登場した第三世代のトップは201系ですが、試作車(900番台)こそ103系に準じた車体構造でしたが、量産車からは普通鋼ながら耐候性鋼板を使用した長寿命設計とし、車体剛性の高いボディはその後登場した117系、185系、713系にも引き継がれることとなりました。しかしこれが製造コストを押し上げることとなり、量産効果によるサイリスタ素子価格の低減の狙いが外れたこととも相まって、高価な車両となってJRに引き継がれたために、メンテナンスに苦労しながらも使い倒されることとなります。ま、制動初速によって主回路に抵抗を挿入するブレンディングブレーキが高尾以西の山線区間で回生失効しにくく安定していることが延命の理由かもしれませんが。
そういうわけで国鉄末期の財政事情では高価な第三世代車は量産も叶わず、陳腐化した旧世代車を置き換えるのに作戦変更となって登場したのが205系です。
メカ的には以前から計画されていた近郊形ステンレスボディの界磁制御回生車を通勤形に焼き直したもので、加減速性能よりも中高速域の加速性能に重点を置かれた近郊形性能の車です。メカの目玉は界磁添加励磁制御で、当時私鉄で標準と化しつつあった界磁チョッパ制御と同等の機能を直巻モーターで実現するもので、安価で省エネ特性の高い優れものでした。車体構造も東急車輌の協力を得て東急8090系で実現した軽量ステンレス構造を移植し、「私鉄みたい」な新車として山手線で華々しくデビューしたのが205系ということです。つまりは国鉄末期の財政難が生み出した予定外の新車だったわけです。
結果的に経済的で使い勝手の良い205系はJR移行後も増備され、山手線のみならず、埼京線、京浜東北線、中央総武緩行線、南武線、横浜線、京葉線、武蔵野線、相模線と仲間を増やし、さらに209系、E231系と続く新系列車に後を譲って転用され、国鉄形の103系を駆逐する役割を担うこととなりました。今回の山手線の置き換え完了は、一連の転用計画も終盤に差し掛かったことを意味しますから、押し出される103系は、いよいよ終焉を迎えることになるわけですね。
JR東日本の今後の車両置き換えがどのように進むかはわかりませんが、第三世代に属する201系も置き換え対象となるようですし、松本に残る115系には車齢の高い車もいますし、国府津の113系が置き換えられた後を考えると、MT比を下げて113系並に性能を落として使っている211系の去就も気になります。個人的にはE231系の高性能を実感しているだけに、地元の東海道線で足の速い車が揃う日を楽しみにしております。
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Saturday, April 09, 2005
最近、膠着状態になって露出の減ったライブドアのニッポン放送買収問題ですが、勝ち馬探しに狂騒するメディアにはホントうんざりです。正直フジテレビが誰のモンになろうがなるまいが、どーでもいー話なんで、仮に持ち主が代わって論調が変化したりすれば、そのこと自体が言論が金で買える証明となり、“公共性”の主張も空しく響きます。
で、もう一点、メディアとネットの融合でネックになるといわれているのが、タイトルにある著作権問題なんですが、じつはここにもメディアの重大なウソが隠されています。番組のエンディングで流れるテロップの最後に出る“制作・著作 放送局名”部分なんですが、素直に読めば著作権が放送局に帰属するように見えるのですが、実はネットなど別メディアへの公開は、制作に関わった出演者とスタッフ全員の同意が必用なんです。ま、出演者についてはわかりますが、スタッフまで? というのが実は問題なんです。今日日自局制作の番組がどれだけあるか、ほとんど下請けの製作会社に丸投げされていて、ネット公開など予定外のメディアでの公開に対しては、改めて同意を取り付けなければならないために、放送業界ではほとんど不可能だろうと言われているのだとか。
何かデジャビュ(既視感)を感じます。TTYフォーラムをwebへ移行させるときに、過去ログを有償公開すると言って顰蹙を買った某フォーラムの騒動と何と似ていることか。それぐらい著作権というのは強い権利なんですが、放送に関して言えば、前もって著作権の管理が局に帰属することを契約でうたっておけば良いんで、手続きの問題なんですが、この辺の意識というか、金で解決をつける習慣が蔓延した既存メディアでは、結局制作費の高騰などコスト上昇要因としか受け取られていないことを露呈します。
そもそも著作権は人格権の一部であるわけで、ある人の主張が心ない改変や編集によって逆の主張を補強するように使われることを防ぐことにこそ意味があるんで、それが結果的に金銭的に取り引きされること自体は副次的な問題なんですが、著作権の金銭的なやりとりばかりに関わってきた人たちには、その辺は単なる制約要因であって、放送でいえばスポンサーに高く売れるかどうかだけが評価軸になってきた証ともいえます。言論のみならず著作も金で買えるもので、その源泉は電波を国から割り当てを受けていることによる規制の結果としての超過利潤に由来するわけです。実はそのことが問われているにも関わらず、競馬の勝ち馬予想よろしく騒ぎ立てるメディアには、やはり問題は見えていないのでしょう。
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首都圏にいますと、報道量が少なくて状況がわかりにくいですが、愛・地球博の入場者数が伸び悩んでいるようです。そもそも何のための万博だったのか、コンパクトにまとめた裏ガイドブック(笑)がありますが、知っておくと愛・地球博を256倍楽しめます^_^;。一般書店では入手が難しいようですから、Booksアフィリエイトで注文してくださいましm(_ _)m。
ライバルはセントレアだそうで^_^;、高い入場料より見学だけはタダ、冷凍マンモスよりもお風呂、弁当持参でも取り上げられないなどなど(笑)、「花より団子」状態の愛知の春であります。
さて、何でこうなってしまったんでしょうか。セントレア開港時の記事でも書きましたが、セントレア自体の優位性は単なる後出しじゃんけんの強みであって、間違っても中部が日本の中心になるという話ではありません。名古屋空港の代替で国内線が充実しているのは当然として、国際線の誘致はこれからというところでして、万博開催には間に合ったものの、実際にセントレアを窓口として世界から愛知へ万博見学に人が来るというイメージとはほど遠い現実が横たわります。
セントレアの売りは、確かに充実した国内線ですし、国際線と国内線の乗り継ぎが便利なコンパクトさなんですが、それが成田や関空や、最拡張で国際化を睨む羽田に対して持つ優位性は限定的であることを自覚すべきでしょう。確かにトヨタにとっては使い勝手が良いかもしれませんが、人口も企業立地も群を抜いて多い首都圏からは利用しにくいですし、近畿圏からの距離感も微妙です。貨物分野も同様で、結局のところは立地面の優位性は相対評価であって、地域の経済活動の反映としての優位性に過ぎないんです。
翻って、確かに現在中部経済は好調です。特に毎期増益記録を更新するトヨタの強さは盤石に見えます。ですが、逆に言えばトヨタの好調がそのまま地域経済の好調へと反映されてしまう程度の規模というのが、中部経済の実像だともいえます。日産自動車の好調ぐらいでは持ち上げられない首都圏経済や松下の好調ぐらいでは浮揚しない関西経済とは比較のしようがないんです。逆に言えばトヨタ依存の強すぎる中部経済は脆弱であるともいえます。ただし電子化の進む自動車でトヨタ系列のアイシンやデンソーがキーデバイスを握って他社へも供給を拡げている状況ですから、万が一トヨタの販売不振が起きたとしても、それぐらいでは中部自体が沈む心配は薄いことは申し上げておきます。
それよりもトヨタを筆頭に輸出企業に偏った産業構成の方がリスク要因と考えられます。輸出企業の好調は、あくまでも現行の為替水準だからこそ実現しているのであって、特にアメリカの利上げでややドル高に振れている現状は、輸出企業にとっては増益要因となります。トヨタでも利益の7割は北米市場で得ている一方で、国内販売の不振は止まらず、競争の激しい欧州ではユーロ高に関わらず未だ利益を得るに至っていないんで、アメリカのくしゃみでどうにかなってしまう脆弱さ(中部に留まらず日本全体がそうですが-_-;)は自覚しておいた方が良いでしょう。
あと中部企業の無借金経営の伝統が強さの秘密とよく言われますが、トヨタグループほか大手企業では確かにその傾向は見られます。その結果大手都市銀行の存在感の弱さが伝統的にあって、故に中部を地盤とする旧東海銀行は地元で貸し出し実績を延ばせずに首都圏や近畿圏に無理スジで出ていって、バブルにまみれてしまいました。結果的に三和銀行と経営統合されてUFJ銀行となったんですが経営規模の拡大は一層の中部離れを引き起こし、その結果中部圏は大手メガバンクの手薄な地域として地方銀行が元気付くことになります。このことで金融危機で全国的に貸し渋りが起きた97~98年頃でも中小企業向け融資が機能した結果、他地域よりも良好なパフォーマンスを得ることができたわけです。巡り合わせが良かったわけです。
ただし将来にわたって良い巡り合わせが続くとは限りません。記事の冒頭の愛・地球博の収支次第では重荷を負うことになりますし、日本一の借金企業JR東海の存在が重石となると考えられます。実際に中京圏近郊輸送でのJR東海の攻勢が、名鉄を苦しめて岐阜地区600v線区を廃止に追いやったといえますし、JR名古屋高島屋の好調は名古屋中心部の商業的な地盤沈下のきっかけになりかねない危うさを秘めています。
というわけで、まだ結末はわかりませんが、宴の後に“せかちゅう”同様“なごちゅう”が泣ける話になりますかどうか^_^;、見守ってまいりましょう。
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Sunday, April 03, 2005
前の記事で速報しましたわてつの年間パス発行検討の話題ですが、地方私鉄の生き残り策として見るべきものがありますので、もう少し論評したいと思います。
テクニカルな問題なんですが、国土交通省に報告される輸送実績の公式統計で、定期券は名義人が指定区間を平休日に関わらす毎日1往復するものとして処理されます。いわゆる輸送密度などの統計指標の基となる数値ですが、定期券部分は実数ではなくみなしで処理されるわけです。その結果定期券比率の高い路線は、実数以上に利用されているような数値の出現の仕方になるわけです。
国鉄の地方交通線切り離しのときもそうでしたが、通学定期券利用者が多い線区で「最混雑時片道1,000人/時以上の利用がある」などの理由で除外されたりしてますので、割引が多くて儲からない定期客が、実は“公共性”を主張する根拠として機能するということです。仮に存続のために公的助成が必要として、それを主張しやすくすることはできるわけです。
果たしてわてつのケースでこういった考え方をしたのかどうかは定かではありませんが、少なくともルール上そのように扱われるのであれば、裏技的ではありますが使わない手はありません。ただし現実は厳しく、既に度重なる運賃値上げと定期券割引率の引き上げの結果、定期券自体が手軽に買える値段ではなくなってしまった現実が横たわります。その結果マイカーが使える通勤利用者の一層の離反を招き、車の運転ができない高校生以下の通学利用者も少子化の影響で年々減少していくことによって、輸送実績の数値は年を追って悪化に歯止めがかからないことになってしまったわけです。こうなると公的助成を求めることも難しくなってしまいます。
となると、後に残された手段は、いかなる手を使ってでもとにかく乗ってもらうことしかないわけで、定期運賃が高くて手が出ないならば、「おつきあい」で買える水準までディスカウントしてでも、乗ってもらうための動機付けとすることに活路を見出そうとするのも頷けます。さらにこの値段ならば沿線外のサポーター向けに売ることも可能でしょう。ネックはJR東日本のホリデーパスの域外なんでアクセスの出費がつらいですが^_^;。いずれJR東や東武鉄道とのタイアップも考えてほしいところです^_^;。
かつて大井川鉄道の社長を務められた白井明氏が「うち(大井川鉄道)には1億2千万人の富裕なカスタマーがいます」と発言されたことがありますが、名言です。ふらっと訪れて出札窓口で入場券を求める鉄ちゃんに対して珍しいキップを熱心にセールスする窓口氏という光景をよく見かけます。未使用キップもみなしで輸送実績に加算されることを知った上での対応でしょう。またトラストトレインの受け皿を引き受けているのも、トラストトレインを支えるボランティアが繰り返し訪ねてくれることを見込んでのことといえます。大井川鉄道ではSL復活運転をはじめ70年代から取り組んでいた営業政策ですが、三セクローカル私鉄でもやっと意識が追いついてきたというべきでしょうか。
ローカル私鉄の生き残り策としては、沿線住民の利用を促すことも大事ですし沿線外からの訪問者も大事です。わてつの場合、日本の産業公害の原点ともいえる足尾を沿線に抱えており、山林の復活のための地道なボランティア活動が行われ、徐々にではありますが成果が出始めているところでもあります。この辺とリンクしてわてつを売り込むのも悪くありません。環境問題の生きた教材として愛・地球博よりもずっと意義深いものがあります。この辺を踏まえて地域興しとして考えてみても面白いと思います。健闘を祈ります。
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Saturday, April 02, 2005
日本経済新聞社会面のニュースです。今ならここで記事が閲覧できます。
10月をめどに1万円で全線乗り放題の定期券を発売し、名義人を含む家族4人までの同行乗車を認めるというもので、従来の定期券は廃止となります。現行定期運賃の1駅間よりも安い格安な設定となっています。
狙いは車利用の多い沿線住民に乗車機会を提供しようというもので、経営不振にあえぎながら、必死で存続を狙う大胆な施策です。もちろん首都圏のファンにも広く販売したいということで、事実上サポーターチケットというべきものになりそうです。
以前から地方ローカル私鉄の生き残り策として、定期券の通信販売みたいなことができないかと考えておりましたが、わたらせ渓谷鐵道でよりリーズナブルな形で実現しそうということで、とりあえず速報させていただきました。1万円でわてつサポーターになれるチャンスです^_^v。
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昨日のテレ朝の報道ステーションでやった“会社は誰のものか?”という特集はまぁ、ツッコミどころ満載でツッコミきれない内容でした^_^;。
“1940年体制”という著書のある野口悠紀雄先生まで登場させて、“会社”について掘り下げた問題意識自体は秀逸ですが、世論調査をやって「従業員のもの」の回答が半数近いという画を見せられて、興ざめいたしました。いったいあんたら何を言いたいの?
そもそもものですらない会社を“誰のもの?”と問うことの意味を深く考えていなかったのでしょう。会社自体は法律によって法人格を有することになっていますから、“人なのか?”と問うならまだしも、考えなしに“もの”としてしまったために、わけのわからない世論調査をする羽目に陥ったんですね。
当然“人”ならば、そもそも“売買”したり“支配”したりすることは憲法の基本的人権の尊重に抵触しますから、憲法違反となります。また人としての具体的な身体を持ちませんから、自然人のような出生、婚姻、死亡とは無縁です。教育を受ける権利を持たない一方で納税の義務は課されます。つまりは経済行為の主体となると定義された法律上のバーチャルな人格権であり、実態は制度の塊であり手続きの塊であるということです。つまるところ単なる入れ物なんですね。
会社そのものはバーチャルな存在ですが、手がける事業は当然実態を伴います。事業を行うためには機械その他の富を生み出す仕組みが必要ですが、これを“資産”と呼びます。会社は資産を取得し、その資産を活かして富を生み出す存在なんですが、資産の取得には資金が必要になりますが、この資金を公募で集めて出資した人へ事業配当を約束すれば、株式上場された株式会社の形となります。そして例えば機械ならばオペレーターが必要になるように、労働力を投入することで事業の実体が生み出されるわけです。いわゆる従業員は、この労働力を対価を得て供給する存在なわけでして、会社とは雇用契約によって結びついた存在というわけです。ということで“会社は従業員のもの”という認識には違和感を覚えます。当然出資者である株主を選ぶ権利なぞあるわけがないんで、会社の利害を代表する経営者との間で団体交渉を行い地位や待遇を決めることができるに過ぎません。この辺は“制度の塊、手続きの塊”として会社をとらえておけば、何も違和感のない問題です。
話をテレ朝に戻します。町工場の親父さんまで登場させて「上場企業は株主のもんだろうけど、うち(の会社)は俺のもんだ(笑)」と言わせたりして、他局に比べればマシな特集だとは思いますが、編集が悪くて素材を活かせていないというか、考えのない世論調査でぶちこわしてしまっているのが惜しいところです。
この辺に放送メディアの限界があるんですね。国から免許を受け電波の割当を得て行う放送事業では、基本的に時間制約の中で番組編成を行い、より多くの視聴者を引きつけることで、スポンサーフィーを稼ぐというビジネスモデルなんですが、何かを伝えようとするにしても、番組の時間枠の中でしかできないわけで、時間枠に収める編集の課程で意味不明なものを創り出してしまうんですね。これだけの素材を集めるために少なからずコストをかけながらですから救われません。ネットならばwebページに置いといてユーザーに閲覧させるだけで無駄なく閲覧可能になるわけで、この面から見れば劇的な情報流通のコストダウンになるわけです。その結果、メディア企業にとっての利益の源泉である視聴者との情報格差が、ネットの世界ではほぼ消えてしまうわけですから、そもそも放送事業そのものの存立の意義が揺さぶられているんですが、テレ朝の報道姿勢を見ても、そのような危機感は見あたりません。単なる劇場型の経済事件としてしか見られないとすれば、遠からずテレビは衰退するしかないのでしょう。
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