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Saturday, April 09, 2005

メディアは誰のものか? 著作権の呪縛

最近、膠着状態になって露出の減ったライブドアのニッポン放送買収問題ですが、勝ち馬探しに狂騒するメディアにはホントうんざりです。正直フジテレビが誰のモンになろうがなるまいが、どーでもいー話なんで、仮に持ち主が代わって論調が変化したりすれば、そのこと自体が言論が金で買える証明となり、“公共性”の主張も空しく響きます。
 で、もう一点、メディアとネットの融合でネックになるといわれているのが、タイトルにある著作権問題なんですが、じつはここにもメディアの重大なウソが隠されています。番組のエンディングで流れるテロップの最後に出る“制作・著作 放送局名”部分なんですが、素直に読めば著作権が放送局に帰属するように見えるのですが、実はネットなど別メディアへの公開は、制作に関わった出演者とスタッフ全員の同意が必用なんです。ま、出演者についてはわかりますが、スタッフまで? というのが実は問題なんです。今日日自局制作の番組がどれだけあるか、ほとんど下請けの製作会社に丸投げされていて、ネット公開など予定外のメディアでの公開に対しては、改めて同意を取り付けなければならないために、放送業界ではほとんど不可能だろうと言われているのだとか。
 何かデジャビュ(既視感)を感じます。TTYフォーラムをwebへ移行させるときに、過去ログを有償公開すると言って顰蹙を買った某フォーラムの騒動と何と似ていることか。それぐらい著作権というのは強い権利なんですが、放送に関して言えば、前もって著作権の管理が局に帰属することを契約でうたっておけば良いんで、手続きの問題なんですが、この辺の意識というか、金で解決をつける習慣が蔓延した既存メディアでは、結局制作費の高騰などコスト上昇要因としか受け取られていないことを露呈します。
 そもそも著作権は人格権の一部であるわけで、ある人の主張が心ない改変や編集によって逆の主張を補強するように使われることを防ぐことにこそ意味があるんで、それが結果的に金銭的に取り引きされること自体は副次的な問題なんですが、著作権の金銭的なやりとりばかりに関わってきた人たちには、その辺は単なる制約要因であって、放送でいえばスポンサーに高く売れるかどうかだけが評価軸になってきた証ともいえます。言論のみならず著作も金で買えるもので、その源泉は電波を国から割り当てを受けていることによる規制の結果としての超過利潤に由来するわけです。実はそのことが問われているにも関わらず、競馬の勝ち馬予想よろしく騒ぎ立てるメディアには、やはり問題は見えていないのでしょう。

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