郵政と年金の陰で霞む地方分権
刺客だの落下傘だので連日メディアを賑わす総選挙ですが、熱病にかかったようなメディアの報道が、政権の広報活動に利用されている現実は、この国の報道・言論の貧しさを表します。
それでいて今になってナイーブな政策論争を期待するあたり、はっきり言って違うんじゃないかと思います。それ以前に国会で繰り返された論戦や、前回選挙のマニフェストの分析を通じて、本当に問われている問題を掘り下げることをサボってきたメディアの無自覚さに腹が立ちます。また性急に最後はどうなるかしか関心を示さない有権者の思考停止ぶりをどう評価したものか。結果としてメディア報道をウケ狙いに走らせているのかもしれません。早くこの喧噪が終わって欲しい(涙)。
守旧派イメージの新党というのも、イメージ的な混乱を招く原因ですが、案外この辺に本質があるのかもしれません。結局郵便局が無くなるだとかいう議論というのは、過疎地も含むユニバーサルサービスのあり方を問われているわけで、実は重要な問題なんです。
特に国際化、産業構造の変化、高齢化による人口減少で揺さぶられる地方で、地域間競争で勝ち組と負け組に分化したり、都市部への人口集中の一方で山間部や離島などの過疎化進捗が待ったなしで進む現実に直面するわけですから、それを踏まえて社会の構造を変化に適合させるのが構造改革ということになりますので、単純な郵政民営化の是非などで計れる問題ではありません。その辺のフィクション性が、かかる守旧派新党^_^;によってあぶり出されるならば、彼らの存在意義はそれなりにあるということになります。まぁそれなりにではありますが^_^;。
地方の現実がいかに過酷であるかは、中央にいるとなかなか見えてこないんですが、中越地震で孤立した旧山古志村のように、生存にかかわる事態すら生じています。それに対する今のところの政府の答案は、平成の大合併と三位一体改革ということで、いずれも地域のコミュニティを無視した乱暴な議論でしかありません。
自治体が合併して規模を拡大しても、規模の経済による効率化が働くよりも行政区域の拡大による非効率の拡大と合併自治体内部での無秩序開発と空洞化の顕在化という形で矛盾を拡大しますし、三位一体改革に至っては、国の補助金や地方交付税の削除に本音があるために、義務教育費がどーしたというような数字合わせに終始して、行政権限の見直しは進まず、連邦制や道州制のような憲法改正を要件とするような文字通り国の形を変える骨太な議論は皆無です。そういった中で地方の疲弊は進みます。
この辺の切実さが、郵政民営化に反対する心情を形成するわけです。もちろん郵政民営化を阻止したところで地方の疲弊は止まらないし、何の解決にもならないんですが、過疎地向けのサービスだけに焦点を当てれば、民業の補完機能としてのユニバーサルサービスとして大した財政支出を伴わずに実現可能ではあります。この辺は国鉄改革で議論された赤字ローカル線問題が、実は赤字の絶対額でいえば貨物輸送を中心とした幹線輸送の赤字よりも少なかったし、それ以上に幹線ローカル線を問わず国鉄の経営判断を無視した形で新線の引き受けを迫られた結果としての資本費負担の増加で借金地獄に陥ったことにあったことが思い出されます。
一応成功と評される国鉄改革も、徹底した規模の縮小がもたらしたものといえます。その一方で分割や規模縮小を伴わない電電公社の民営化は、新規参入事業者の事業展開を圧迫する独占企業としてNTTを振る舞わせ、ドコモ株上場を巡るインサイダー疑惑が小渕政権を揺さぶったことを思い出させます。民営化された郵便、銀行、保険、窓口4社プラス統括する持ち株会社が利権の温床とならない根拠を示してほしいですね。
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