フラット化する日本の黄金律
できるだけ政治的発言は抑制しようと思ってはいるんですが、何だか北の方が騒がしくて、それはそれなんですが、政府関係者が喜んでいるように見えてしまうのは気のせいでしょうか。核実験の地震波でヒューザーの耐震偽装マンションが崩壊したら、安倍さんも無傷じゃ済まんよな-_-;。
てなことに関係なく、少し毒を吐き出させていただきます。いわゆる小泉改革というやつですが、5年半の間に世界は大きく変化し、球体イメージのグローバル化の果てに、実は世界はフラットだったというオチがついたようです。オチついでに申し上げますと、世界の変化に伴って日本の立ち位置も大きく変化したのですが、実は日本自身は驚くほど変化していないがゆえに、逆に変化に激しく巻き込まれているという皮肉な結果となっているように見えます。だから冒頭の北の愚挙にクロフネ騒動と相成るわけで、種子島の鉄砲伝来以来、外圧なくして改革なしが、この国の実態のようです。
日本の黄金律の成立はどうやら江戸時代のようで、この時代の歴史を紐解くと、後世のさまざまなできごとがうまく説明できてしまうということに、最近気づきました。実は400年間変化を拒み続けたのが、この国の真の姿のようです。経済を切り口に見ていくと、江戸時代と現代にさまざまな相似象が見えてきます。
例えば江戸という都市が、普請によって作られた政治都市であって、普請というのは、今で言えば公共事業のことです。で、それを当てにして江戸には八つあん熊さんなどの職人が長屋に住まい、普請があれば召集されて腕を振るい、給金を得て当座を凌ぐ生活をしていたわけです。で、いつも普請があるわけではないので、普段の飲み食いはツケでということになり、普請で得た給金で右から左へ支払いとなりますから、「宵越しの銭はもたねぇ」ことになるわけです。江戸時代は街中の飲食店が庶民向けに信用創造していたわけで、今話題の消費者金融の役割まで担っていたわけですね。何かこう、政府の歳出削減のあおりで公共事業が減って職にあぶれた人が消費者金融に群がる構図は変わらないのですね。
んで、通貨制度がまた独創的で、金、銀、銭(ゼニ)、コメの4つの通貨が変動相場制で運用されていて、米の先物取引が世界最古のデリバティブと云われる金融先進国だったのは、知る人ぞ知るところです。銭とは、銅貨により日常的に流通していた貨幣で、金や銀と違って地金型ではなく交換価値を表象する管理通貨でした。ただし金に関しては、鎖国の影響で国際レートに比べて割安な金価格が維持された結果、闇ルートで海外流出して不足することとなり、たびたび金貨である小判が改鋳され、地金型の実態は空洞化が進みました。この辺はいわゆる金融政策のジャンルですが、日銀に金融緩和を求めて政府が圧力をかける構図として存続しております。進歩ねえなあ-_-;。
コメですが、そもそも太閤検地で全国各地の農地のリアルな姿が記録され、耕地面積に一定の乗数を掛けて石高が算出され年貢が割り当てられたわけですが、秋に収穫されると各地の庄屋から代官を経て領主に納められた年貢が幕府へ上納され、幕府や藩はそれを禄として旗本や家臣に配布するのですが、コメだけでは生活できませんから、大阪堂島あたりのの廻船問屋へ売って金銭を得て、それを日常の生活費に充てたわけです。ですから秋になると大量のコメが大阪に集められ、供給が増えるから価格が下落するのですが、そうして得た金銭で、またコメを買って食べる生活だったわけで、武家の懐は細るばかりでした。アホラシ。つまりコメが実態としては通貨同様に流通していて、国内の富は大阪一極集中していたわけです。明治維新後は東京にその地位を奪われたんですがね。
コメに関しましては、太閤検地を下敷きにしていて、以後の新田開発分はカウントされなかったこともあり、江戸時代初期には全国で新田開発が活発化しましたが、結果は灌漑用に無理な水路の付け替えなどが祟って水害が頻発し、むしろ収量を下げてしまう事態となり、早くも環境問題を引き起こし、この面でも世界をリードしました。不名誉ですが-_-;。また何かバブル経済を彷彿させるものがありますね。
で、今ですが、金、銀、銭、コメをですね、ドル、ユーロ、円、土地と読み替えますと、将に今が見えてきます。元々金は主に幕府や藩の貯蓄として退蔵されていて、流動性はさほどなかったのですが、政府が経常黒字でたまる外貨を外貨準備として米国政府債券(国債)で保有しているのと似ております。つまり製造業が頑張ってドルを稼いでも、庶民に富の実感がないわけです。で、最近はユーロ高ですが、貿易摩擦の恐怖から米偏重の貿易を見直し、製造業が欧州へ進出を進めた結果、ユーロ高の恩恵で製造業は過去最高益続出となりますが、円安とリストラで企業の利益は労働者へ還元されず、普請が減って縮小を余儀なくされた消費は戻らず、景気回復が実感されないわけです。そういえば銀は地金型として信用力が高く、主に商人が取引の決済に用いていたのですが、抜け目のなさは健在です。
ま、さすがにコメは通貨の実態を失ってはおりますが、その地位を土地が引き継いだと考えると、またピタリと現実にはまります。土地は本来生産財であり、利用されて収穫を上げて初めて意味があるんですが、日本では1年掛けて耕して種まいて鳥を追い払って虫や雑草を駆除して収穫して市場へ持ち込んで現金を得るよりも、売ってお金に換えたほうが儲かるわけですから、農業の競争力が低下する道理ですが、土地利用がさまざまに規制されて流動性に乏しく、相続の局面で他の財よりも税制で優遇されている結果、相続通貨として機能しておりますし、公共事業費の大半が用地買収費や農林水産業への補償に消えてしまう非効率もまた、勤労者や企業の納めた税金が地権者へ移転されるのを助けているわけで、土地が公共部門を媒介してあたかも通貨のように振舞っているわけですね。ですから無駄とわかっている公共事業が止められないというおかしなことになってしまうわけです。
かくして国の財政は危機的状況となり、財政再建が政治のテーマですが、江戸時代に学べば、実は強力な解決策は簡単に見つかります。つまり徳政令ですね。いずれ日本国債はデフォルトもあり得るので、国民総出でアルゼンチンタンゴを踊り狂いませう。
というわけで、世界はフラット化して、googleのようなニュービジネスが生まれて成長力を発揮する一方で、フラット化し激変する世界を尻目に変化しない日本の黄金律という笑えないオチでした。
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