« トヨタ ロングバス エクスプレス出発式 | Main | ニュースな世界史を学ぼう »

Friday, November 03, 2006

小田急線高架化訴訟、住民敗訴で結審

関連記事

Thursday, December 08, 2005
小田急線高架化訴訟で原告適格の範囲拡大
注目の最高裁判決が出ました。ま、内容そのものは想定の範囲内でして、日本の行政訴訟は上級審ほど行政側有利という流れは変わらなかったわけです。

以前の記事でも述べておりますが、行政訴訟に対して、従来司法は、原告適格を厳しく見る傾向が強く、事業用地の地権者にしか「訴えの利益がない」として門前払いする傾向が強かったのですが、今回の最高裁の判断で、原告適格の範囲を都の環境アセスメント条例の適用範囲内の地権者にも認められたという点では、新しい判断が出されたことになります。つまり直接土地を収用される地権者のみならず、騒音その他の環境変化による影響を蒙る地権者まで対象を広げたわけで、半歩前進ではあります。

しかし本来は、私権制限を伴う都市計画で、特に受益者が広範囲に及ぶ交通インフラの整備においては、利害調整の範囲をあまり限定的に考えると、多数の暴力による少数者の圧殺につながりけねないわけで、基本的人権との齟齬が生じる恐れがあるわけです。そのことを公序良俗違反と考えれば、公益に基づく善意の第三者による告発のルートはあってしかるべきかと思います。

というのは、結局小田急線の事例でいえば、線増工事自体の必要性を否定することはできないとしても、それを「公共性」の錦の御旗で圧殺すると、多くの受益者にとって不利益を招くこととなります。例えば成田闘争の顛末などが良い例ですが、地権者同士でも対立を生んだのみならず、千葉県の土地収用委員会が召集できない異常事態が放置されて、東葉高速鉄道の建設過程で、たった1人の強欲な地権者に振り回されて用地買収費が高騰したばかりか開業が遅れてしまう事態を招いております。つまり公共工事の地権者への補償が高騰することで、無用な摩擦が生じているわけです。さらにおそらくこのことは周辺の地価を吊り上げて、民間の開発行為にも多大なコスト負担を強いていると考えられます。このような事態を公共の利益の観点から善意の第三者が告発できることは重要です。

また別の観点として、司法のこのような態度が、行政訴訟に際して行政側に原告適格の判断を司法に求める行動を起こさせ、原告団の分断と時間稼ぎを許してしまうことも問題です。その結果、資金に乏しい原告側が訴訟を維持するハードルを高くしてしまうわけですし、ここで時間稼ぎをしている間にも、事業は止まらずに実行され続けるわけですから、結果的に既成事実が積み上がって、後戻りできなくなくなります。当然行政側はこれを狙ってくるわけですが、行政訴訟が実効性を持たないということになれば、権力の濫用に対する歯止めにならないわけです。かくして行政に影響力を行使する少数の利害関係者に利する流れとなりますが、その果てが夕張市の破綻であったり、福島県や和歌山県の談合事件であったりするわけです。こうなる前にブレーキをかけられることは重要です。

ひとつ考えられるのは、環境アセスメント条例を見直して、事業の進捗過程に市民参加プロセスを導入し、プラスマイナスの影響評価を先に徹底的に出した上で、公益が最大となるチョイスを行うように制度を変えることは考えられます。いわゆる戦略的アセスメントとでも呼ぶような仕組みで、意思決定に市民参加プロセスを取り入れることが考えられます。その意味で最近決定された下北沢地区の再開発事業で、小田急線は地下に潜ることになったにもかかわらず、都市計画道路の整備に絡んでもめているのを見ると、東京都の学習能力ってお寒いなぁ-_-;。

思えば東京西郊の商業地区の幾つかは、戦後の焼け跡闇市から発展したものがあり、現在でも下北沢、三軒茶屋、下高井戸、荻窪、吉祥寺などに面影が残っております。人同士が体をかわしながら行き交い、向かい合う店同士の軒がつながった傘要らずの集合市場が、高地価で権利関係の複雑な東京に多く残っているのが不思議ですが、立派な建物がなくても、市民生活の必要から人やものが集積したまちが賑っているのが象徴的です。

| |

« トヨタ ロングバス エクスプレス出発式 | Main | ニュースな世界史を学ぼう »

ニュース」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

大手私鉄」カテゴリの記事

都市交通」カテゴリの記事

Comments

千葉は成田の前例があり「あつものに懲りてなますを吹く」状態となり北千葉線は採算も含め見直し、東葉はおっしゃるように立ち退き成金ができる図式ですが、成田があまりに大きすぎます。おそらく100年の禍根ですから千葉を責めるのは少し可哀相でしょう。

環境アセスに市民参加をさせても賛成側の参加率は低く、ここでも立ち退き成金を培養するシステムしか働きません。賛成者は出なくとも改良がなされるわけですから参加の意義はないですよね。また下手にプロ市民でも出てこられれば憲法判断に持ち込むや膨大な判例を持ってきて建設阻止ですから、私は訴訟を起こされても現行の仕事の進め方でよいと思います。

正直インフラ整備でごねるなら当事者は金をもらって引っ越せと申し上げたい。貴殿がそこに住むのは社会的に存在意義があるのか、幸福追求をするためにそれ以外の人間が幸福追求できないのはむしろおかしいというのが持論です。

2chには「こうなったら梅が丘は駅廃止」なんて暴論もありましたが、気持ち的には理解します。騒ぐのはごく一部、マスコミもそのごく一部を集中取材してバイアスのかかった情報操作をするからへんな風評も流れる可能性があります。

Posted by: SATO | Saturday, November 04, 2006 11:20 AM

行政の厄介なところに自分の誤りを認めないということがあるので
結局仮処分が今後多発するかもしれないですね。
昔六法全書を少し読みました。
そのときは行政にたいして仮処分ができなかったと記憶しています。
いまはパブリックコメントを求めている事案もありますので、
昔よりよくはなっているとは思いますが。
結局住んでいる人の志かもしれないですね。

Posted by: とまと | Saturday, November 04, 2006 08:23 PM

コメントありがとうございます。趣旨がご理解いただけないようですが、インフラ整備にたまたま引っかかったら、文句を言わずに出て行けというのはいただけません。

首都圏の国際空港整備で、政府内でも羽田空港拡張に傾いていたのを、密室の談合で覆したために、たまたま下総御料牧場に隣接した開拓地を追い出されても文句を言うなということになりますね。摩擦の原因は明らかに政府側にあったのですが、「あつものに懲りてなますを吹いた」のは、伊丹空港騒音訴訟の補償が典型ですが、ここで手厚すぎる補償をしてしまったために、伊丹の騒音対策で整備されたはずの関西国際空港が開港しても伊丹を閉鎖できず、利用者が転移せずに赤字を垂れ流しました。
http://btrainj.cocolog-nifty.com/hasirundesu/2004/12/post_2.html

役人は自分の懐が痛まないからバラマキで問題解決をしようとする典型ですね。この構造を改めない限り、ごね得を許すことになるわけで、「戦略的アセスメント」というのは、言ってみれば少数の反対者を理性的に説得するプロセスの制度化で、その結果バラマキを阻止しようという趣旨なんですがね。

おっしゃるように市民参加プロセスで積極的に参加するのは、少数の反対派に偏るでしょうけど、逆に参加してくれれば、説得の機会が増えるわけで、しかも公開されたプロセスの中でのことですから、役人も金を出しにくくなりますから、ごね得狙いは封じ込めることができます。

結局役人の裁量を多く認めれば、そこへつけ込む者が現れ、ごね得を狙ったり、さまざまな不正の温床になったりするわけで、権力の行使を衆人の監視下に置く方が財政の圧縮につながり、望ましいと考えます。

Posted by: 走ルンです | Saturday, November 04, 2006 08:42 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 小田急線高架化訴訟、住民敗訴で結審:

» 小田急高架化訴訟原告敗訴確定 [ロースクール徒然日記]
2日、最高裁で小田急高架化訴訟(正しくは小田急線連続立体交差事業認可処分取消等請求事件)の判決が出た。昨年12月にこの事業の原告適格について判断はされているのでこれ以外の事業の実質部分についての判決である。(早くも最高裁の方に判決文はアップされている) ..... [Read More]

Tracked on Wednesday, November 29, 2006 04:16 AM

« トヨタ ロングバス エクスプレス出発式 | Main | ニュースな世界史を学ぼう »