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July 2007

Monday, July 30, 2007

JR東日本新型新幹線車両は時速320km

東海道山陽新幹線のN700系が7/1に営業運転を始めましたが、JR東日本の新幹線にも新型車両が登場します。

JR東日本、世界最速320キロ車両導入へ
JR東日本のプレスリリースはこちらです。
新幹線高速化について
リリースにあるように、2005年から高速試験電車「FASTECH360」で行ってきた走行試験の成果を踏まえ、2010年の新幹線青森開業時に営業投入を予定しており、具体的な速度や列車本数は未定ということですから、320km/hの最高速は、当面の目標ということで、試験車で想定した360km/hへの挑戦は続けるようです。ゆえに例の空力ブレーキは今回採用されず、将来へ温存ということのようです。

アクティブサスペンションと車体傾斜装置を搭載ということで、N700系と似ていますが、アクティブサス自体はJR西500系で初採用されたものですし、車体傾斜装置に至っては、JR北海道が線路の弱い在来線向けに開発したものですから、別にJR東がN700系を真似たわけではありません。むしろJR東海はそれらの成果を取り入れてN700系を開発したことは、新幹線500系の功績でもご指摘申し上げたとおりで、それどころかアクティブサスはよほど気に入ったようで、313系5000番台でも採用されました。在来線の汎用車としては贅沢なメカですが、高速走行時の左右動を減衰させて軌道狂いを抑制する狙いでしょうか。線路保守量は減らせますが、車両側の保守作業量は増えますから、どちらが有利かは長期的に見なければわかりません。

JR東の新型車の場合、力行性能だけならE2系で既に320km/h対応はされているようですから、FASTECH360の志しが後退したように見えますが、一段の高速化に含みを残しているところが、JR東日本らしいといいますか、民間企業らしさを感じます。同じように政府保有株完全放出で完全民営化された本州会社ですが、経営のスタンスの違いが鮮明ですね。

といいますのも、北海道新幹線の新青森~新函館間が既に着工され、現時点では確定しておりませんが、札幌延長の構想もあるだけに、その際の対応を織り込んだ技術開発に狙いがあるということです。この辺は整備新幹線の政治性とでも言いますか、元々オイルショック時の総需要抑制策で東北、上越、成田の3新幹線が建設凍結されたあおりで、着工の目途が立たなかった整備計画区間を、国鉄分割民営化で空文化することを恐れた運輸族議員による整備スキームの押し込みで生き残った新幹線計画ですから、JRにとっては、都市間輸送インフラとしての幹線鉄道の公費によるグレードアップと合法的に在来線を切り離して、非採算のローカル輸送と貨物鉄道への線路賃貸から撤退できるという有利な条件が与えられたわけで、その結果青森(正確には新青森)までの整備は願ってもないところである一方、会社が変わる新青森から先については、本来無関係なんですが、根元受益とやらを持ち出して、JR東日本からも増収分を召し上げようという議論がされてます。ああ社会主義ニッポン-_-;。

とはいえJR東日本としても、新青森から先へ伸びるならば直通列車を走らせて増収に結び付けたいわけで、旺盛な需要を背景にJR西の山陽新幹線を介した九州新幹線への直通など端から考えないJR東海の東海道新幹線とは事情が違います。そういった意味で、北海道新幹線の開業は、JR東にとっては政治的なリスク要因ということになります。政府にリニアに金出せなどとたわごと言ってる余裕はないのです。

ついでながら、JR北海道にとっても、北海道新幹線はリスク要因でして、とりあえず着工された新函館までの区間については、青函トンネル区間が貨物と共用の3線軌となることで、前後区間も含めて並行在来線として切り離しできる区間が存在しないため、経営上のメリットは薄いのですが、地元の期待を前に事業を引き受けるしか選択肢がない状況です。加えて青函トンネルの維持管理費問題という、JR北海道にとってはきつい負担が待ち受けており、旅客輸送だけで比較すると青函航路時代を下回る実績しかない津軽海峡線のてこ入れに舵を切らざるを得ない事情があります。正式発表はされておりませんが、江差線末端区間の木古内~江差間の廃止は噂されており、あるいはDMVの導入線区となる可能性もありそうです。一方で車体傾斜装置と制御付振り子の併用で140km/h営業運転を目指す新型特急車で函館~札幌間2時間台という意欲的な目標を掲げておりますが、都市計画の検討段階で新幹線駅予定地と目されていた土地にタワービルを建てたことと相まって、新幹線の札幌延長はまず不可能とJR北自身は考えているのでしょう。

というわけで、民営化のトップランナーと目されるJR東と、存亡の危機感漂う殿のJR北が共に民間らしさを見せる一方、他社の現状はいろいろ問題ありですね。

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Wednesday, July 25, 2007

急がばまわれ、サプライチェーンを止めた自動車メーカー

新潟中越沖地震で、地震災害の恐ろしさを痛感しますが、地震自体は避けようがないですが、事後の危機管理という意味で、注目される動きがありました。まずは報道チェックです。

(7/18)トヨタなど生産休止・中越沖地震で部品調達難しく
(7/21)自動車部品メーカー連鎖休業、影響は全国に拡大
(7/21)トヨタ、23日も操業停止・中越沖地震で部品供給なお低水準
(7/23)リケン、出荷を再開・中越沖地震から1週間、復旧へ
(7/23)自動車生産、本格再開へ・中越沖地震、減産11万台に
(7/25)トヨタなど自動車全社が生産再開・リケン、通常稼働に戻る
リケンというメーカーは、エンジンのピストンリングのトップメーカーで、自動車メーカー全12社へ供給していて、シェア50%ということですから、自動車メーカーへの影響は甚大であったわけです。

天然災害の場合、工場の被災による直接的な影響のほか、社員の被災や運搬手段の断裂など、影響が多岐にわたるだけに、完全復旧には時間を要する事態だったわけです。こういう場合、通常であれば同業他社の増産によってカバーするところでしょうけど、シェアの大きいリケンの生産休止ですから、他社のよるカバーも自ずと限界があります。またピストンリングという部品は、車種によって微妙に異なるということで、汎用部品のように簡単に他社で代替できないものでもあります。そういった中で、自動車各社が下した判断は、サプライチェーンの休止でした。

いわゆるトヨタのカンバン方式に代表されるサプライチェーンでは、多数の部品が必要な時に必要なだけ供給されるジャストインタイムで全体が動いていて、工程の各段階の部品の在庫も最小限しかありません。ですからサプライチェーンの一部の毀損は、即全体の休止にならざるを得ないのですが、これを弱点と見るかどうかというのが、今回のテーマです。

結論から申し上げますと、見事な危機管理であったと評価できます。確かに当面の減産は痛手ですが、多数の部品を集成する自動車のような組立工業の場合、仮に在庫の範囲で生産を継続したとしても、元々少ない部品在庫の範囲では、需要に応えることは困難です。加えて今回のケースではピストンリングやカムシャフトなど、リケンの部品の供給が途絶えても、その他の部品の供給が続けば、結局組立に直ちに使えない部品の在庫が積みあがり、財務上の負担となる上に工場のスペースを食い潰す無駄も発生します。それでも1日や2日で復旧するなら良いですが、復旧に時間がかかる状況であったわけです。

更に他社からの代替調達を行う場合、車種横断的に使える汎用部品ならいざ知らず、供給に先立って綿密な打ち合わせが必要ですし、実際にラインを稼動させるには少なからぬ投資も必要でしょう。それでいてリケンが生産再開するまでの時限的な対応であれば、協力してくれる部品メーカーは現れない可能性もあるわけです。それやこれやで、頑張って体制を整えるのに2ヶ月や3カ月はあっという間でしょうから、それならばリケンの完全復旧を急ぐ方が賢明です。かくして自動車メーカーから復興応援の要員を派遣してまで、生産再開を急ぐこととなりました。結果的に1週間程度の休止で生産再開できたわけですから、この減産分は当面の休日出勤で対応可能なレベルにまで圧縮できたと見ることができます。

というわけで、これが何かに似てるなぁと感じたわけです。そう、とかく事故や悪天候その他の輸送障害で運転に抑止のかかる首都圏の鉄道ですが、機能として生きている部分だけでも復旧させても良さそうなところを、障害が除去されるまでとりあえず全線で止めるという状況に結構遭遇します。例えば先日のさいたま市で起きたJR東北線の架線断裂事故による運転抑止などですが、例えば大宮以北で運転を行えば、大宮駅の着発線競合で列車本数を少なくしか設定できませんから、途中駅で積み残しを出したり、大宮駅で足止めされる大量の乗客の滞留などで混乱が予想されますので、全て止めて混乱を回避し、復旧を急ぐ方が良いということになります。

まだ柏崎地区で鉄道が寸断されている状況は続いており、柏崎地区では地盤の液状化現象が見られるということですから、路盤そのものが動いてしまっており、復旧には相当な時間を要します。この点について、災害時の代替迂回路が確保されていないという指摘がなされますが、柏崎のような軟弱地盤は全国に多数ありますし、今回のような活断層型地震が、実は太平洋側で多いプレート型地震と関連があることなど、地震の知見も増えております。新潟から神戸あたりにかけては、ユーラシアプレートのひずみが集中しやすい活断層の多いエリアだそうで、つまりは太平洋側も日本海側も、地震リスクに基本的に差はないと考えた方がよいようです。

つまりは中央リニアの建設の必要性を説明するときに用いられる「東海地震のときの代替輸送路確保」とか、「いや、東海地震の被災予想エリアを外れた北陸新幹線こそ必要」とかいうロジックはいずれも成り立たないことになります。むしろ避けられない地震災害ならば、いかに被害を少なくするか、復旧を迅速に行うかこそが、危機管理上は有効ではないかと思います。

更に言えば、東名阪の三大都市圏の集積度が高まることで、これらの地域の地震災害のリスクは増大しているわけで、むしろ代替可能な都市機能を全国に分散させることこそが、災害リスクへの備えとしては重要ということになります。つまりリニアはそれと真反対の作用を及ぼすという点も指摘できます。ネットワークに喩えれば、サーバーの能力がボトルネックになっているときに、高速大容量の光回線を整備しても、ボトルネックはさらにきつくなる道理です。

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Sunday, July 22, 2007

鉄道書評、自動改札のひみつ

最近更新が滞っておりますが、書評なんぞで新境地を拓いてみますか。

というわけで、まずは自動改札のひみつです。今や首都圏でも当たり前になった自動改札ですが、実は民営化直後のJR東日本による駅業務の近代化、機械化の取組みがきっかけで普及に弾みがついたものです。既に関西地区では1970年の大阪万博で試験導入された後、主に私鉄と地下鉄で広まっていたのですが、当時の技術では首都圏のラッシュへの対応に難点があったために広まらず、旧国鉄の武蔵野線や、営団地下鉄、東急電鉄などで部分的に導入されたに留まり、磁気券比率が低いために省力化効果はほとんどなかったようです。

JR東日本では1990年の山手線での導入を皮切りに、首都圏エリアで急速に普及させたんですが、ラッシュ対策とともに、関西のシステムの単純な移植ではなく、旅客サービスの向上も含めたコンセプトが模索されました。その一つがSFカードのIOカードであり、ICカード乗車券として発展型のSuicaであるわけです。

あと意外だったのは、自動改札は省力化システムではあるけれど、例えば小児その他の割引運賃の適用旅客かどうかや、定期券の持参人と名義人が同一かどうかなどは判定できないわけで、基本的に人による監視を前提としており、不具合によるドア閉鎖のリセットを人が行うわけですが、これが頻発すると省力化効果を削いでしまうわけです。ゆえに当初入場記録を書き込むフェアライドシステムが導入されなかったのも、チェックを厳格化して省力化効果が失われることについての見極めがつかなかったんですね。厳格化には自ずと限界があるわけです。

またハンドラーと称する磁気券を読み書きするメカが、高度なメンテナンスを要するため、ICカード乗車券の導入は即メンテナンスコストの圧縮につながりますし、磁気券が減れば券売機の台数も減らせるので、省力化の波及効果は大きいですし、駅ナカビジネスの店舗スペースを生み出せるなどのメリットがあるのですが、私鉄とバスのPASMO導入に関しては、その辺のメリットが十分認識されていなかったようです。よく言われる「SuicaとPASMOが共通利用できることが周知されていなかった」点ですが、後付けの言い訳でしょう。共通利用に関しても報道などでかなり広報されてましたし、「Suicaで私鉄・バスに乗れる」という広告も流れていたのですから、殺到した購入者の多くは、承知の上での行動と考えられます。むしろマーケティング的にはSuica所持者にまで買わせることができたのですから大成功だったわけです。カードの在庫切れは、一気に普及させることで利用度が上がる電子マネー機能を宝の持ち腐れにしかねず、事実後発のnanacoが7-11の加盟店1万店を背景に利用度トップに躍り出たことからも、PASMOの躓きは交通カード陣営には痛い失点です。

それとSuicaとPASMO連絡運輸あれこれで取り上げたのですが、PASMO導入にあたっての乗継割引など、乗客側に分かりやすいメリットを訴求することができれば、更に普及させることも可能だったでしょうけど、全て後の祭りです。設備近代化でPFIで民間とコラボレートしたロンドン地下鉄が3月にICカード乗車券普及を狙って初乗り運賃を4£(直近の外為相場で1,000円相当)に値上げして、ICカード利用の優位性を演出してますが、私鉄中心のPASMOでそのような戦略性が発揮されないのは残念です。一応都営バスでは1回目の乗車から90分以内に再度都営バスに乗車した場合に100円の割引運賃を適用する"90分ルール"を採用してますが、公営交通の方がよほど戦略的ですね。

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Thursday, July 12, 2007

年金が決める国の形

今回は鉄ネタ抜きです。年金問題はこちらの記事でも取り上げましたが、選挙戦のに突入して、そこら中で年金問題が連呼される状況です。まぁ呆れるのが、新聞・テレビ共に、問題の本質を見事に外していて、空騒ぎに終わりそうな悪寒が走ります。

年金でありがちな誤解として「少子高齢化で年金制度の維持が困難」というのがありますが、これが大嘘であることは、今までもたびたび指摘してまいりました。そもそも政府が言うように、年金保険制度であるならば、給付は積立金の範囲で行われるのですが、これは民間の生命保険と基本的には同じで、保険加入者が過去に積み立てた保険料の積立金から支払われるわけで、積み立てと給付の間の時間差を利用して、積立金を投資にまわし、運用することで、少ない掛け金でより多くの将来保証を得るという原理なわけです。

これがそのとおりならば、中途解約で解約返戻金が戻って来るはずなんですが、実際の積立金は、当初想定の割引率(将来受け取る保険給付の割引現在価値を算出するのに用いる率、言い換えると積立金運用時の投資利回り)が高く設定されていたことによるものです。結果的に少ない掛け金で多額の保証が得られるように説明されていたのですが、実際の運用実績は惨憺たるもので、年金積立金資産の劣化が進んだわけです。まずこの点を押さえておきましょう。

さらに、年金制度の立ち上げ時には、当初の20年間は保険料の積み立てのみが積みあがり、実際に給付が行われることがないわけですから、この点を利用して1942年、戦火の拡大に対応した国家総動員体制の一貫として制度をスタートさせ、実際に積立金は戦費に流用されました。おそらく勝利のあかつきには、多額の戦争賠償金をふんだくって戻せばよいという取らぬ狸の皮算用が働いたのかもしれません。当然敗戦で積立金は空っぽになりました。

それでも大量の戦死者が出たために、給付に窮することなく、何食わぬ顔で制度を存続させたのが、今日の厚生年金保険制度となっているわけです。実際1960年代から始まった給付開始時は、圧倒的に現役世代が多く、かなり大盤振る舞いの給付をしても、年金会計が揺らぐことはありませんでしたし、むしろ政治的には無関心になりがちな現役世代からの所得移転で高齢者を手なずけることで、政権の安定を確保することなどが行われたのです。ですから、1955年から始まった公務員を対象とする共済年金が、同じく国を保険者としながら別立てとなったのは、少なくとも厚生官僚は厚生年金保険の制度上の瑕疵を認識していた可能性が高いわけです。

あと、元々が国家総動員体制の落とし児で、戦費調達とともに、とかく高待遇を求めて転職を繰り返していた当時の労働者を企業に縛り付けて、企業の負担を軽減する意図もありましたので、そもそも転職は考慮されておらず、当然のことながら名寄せを行うことなどは想定外だったわけです。その結果加入記録が3億人分にも膨れ上がってしまい、社会保険庁の管理能力を超える事態にいたり、初めて名寄せに舵を切ったのです。あくまでも供給側の都合だったわけです。ま、加入者の理論上の上限値の3倍もの加入記録があれば、管理しきれないもの無理はないですが。

それでいて本人からの申請を待つ姿勢を取り続けた結果、加入記録の突合せで不明分が1億5千万件減って、残った5千万件が今回明るみに出たわけです。それも野党議員の情報開示請求に散々ゼロ回答を繰り返した果てに、逃げ切れず渋々出してきたものです。加入者1億人に対しての5千万件ですから、重複はあるものの、加入者2人に1件という高率の不明分が存在するわけですね。

というわけで、今回の件は、年金制度の根幹に係わる問題でして、それゆえに、過去の加入者に対しては、仕方なく逆ザヤになっても給付を続けつつ、後の加入者ほど年金保険料を高くして、給付は少なくするという改悪を続けざるを得なかったのです。その流れを作ったのが、1985年の中曽根政権時代の年金改悪でしてして、以後5年ごとに保険料と給付額を見直す流れができたわけです。

ま、しかしこの時点では国民の関心は低く、さほど問題視されなかったのですが、逆に5年毎に年金問題が政治課題となる流れとなり、それが時に政権を揺さぶるようになり、かくして2004年、小泉政権下での年金改革へとつながります。いわゆるマクロ経済スライドという仕組みが組み込まれたのがこのときで、平たく言えば、将来のインフレに対して、従来は物価スライドで給付額をアップしていたのを、物価上昇率より低いスライド幅とすることで、徐々に実質的な給付制限を行う制度となったわけです。これによって5年毎の保険料と給付の見直しが必要なくなり、(政権にとって)百年安心の年金システムが完成したわけです-_-;。これに自ら係わった安倍首相が、この制度を自画自賛してるんですから呆れます。年金問題は安倍政権にとっての硫黄島になりそうです。ココロは墓穴を掘っている^_^;。なるほど日銀に金利上昇をけん制するのも、インフレ期待からか。

あと盛んに社会保険庁の解体に言及し、それに反対する野党を抵抗勢力に見せる戦略を取っているようですが、これは旧くは中曽根政権で行われた国鉄改革で、当時手強い野党だった社会党を追い落とす目的で、支持母体の総評の有力メンバーだった国労潰しの意図があったことをテレビカメラの前で暴露してますが、それに倣ったのでしょう。若い首相が老人の妄言に乗っかるのもどうかと思いますが。

しかも基礎年金制度によって、厚生年金や共済年金などの被用者年金の基礎年金部分と国民年金とが共通化されておりますが、これも元々自営業者の引退を想定せずにスタートさせた国民年金制度で、給付が始まるタイミングに合わせたように行われた法改正です。未加入が多い国民年金の給付の原資を確保するために、取りっぱぐれのない被用者年金に負担を片寄せする目的が隠されている点も指摘できます。日本が世界に誇る国民皆年金のカラクリです。

というわけで、ことここに至れば、制度の手直しは避けて通れないところですが、とりあえず完全賦課方式への移行と現行の積立金は当面の高齢化対応での逆ザヤ解消目的だけに絞って取り崩し、資産の保全と流動性リスク(必要なときに換金できないリスク)回避の目的で投資対象を国債保有に制限するなどの対策が早急に取られる必要があります。これはまた政府債務としての国債の管理上も望ましいことで、2011年のプライマリーバランス黒字化よりも実は重要です。既に既発債の償還財源に新発債を充てる状況では、プライマリーバランスが均衡しても利払いは増えるわけですから、市場で決まる国債の金利を安定させることの方が、実は緊急度の高い問題なんですけどね。

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Sunday, July 01, 2007

越美北線と高千穂鉄道の間

日本の原風景を代表する中山間地の2つの鉄道で明暗を分けたニュースです。

JR越美北線が全線開通・3年ぶり
宮崎県の第3セクター高千穂鉄道、全線廃止へ
越美北線は2004年7月の越前豪雨で被災、高千穂鉄道は2005年9月の台風14号による被害です。路線立地の似た両線の明暗を分けたのは、特定地方交通線廃止に揺れた国鉄末期、国鉄に残ってJRへ移行した線区と第三セクター鉄道に転換された線区の明暗という整理は可能です。鉄道事業はスケールメリットがものをいうのは確かです。

しかし決定的に異なるのは、やはり行政の対応でしょうか。過疎化の進む越美北線沿線ですが、その中で沿線の大野市が、以前から住民の定期券購入者に補助金を支給してきたことが効いているのではないかと思います。これもそもそもは、かつて大野市へ達していた京福電気鉄道(現えちぜん鉄道)越前本線の勝山―大野間廃止の苦い経験からきているものです。

大野市はかつて県都福井市へ2本の鉄道が通じていたわけで、地方都市としては破格の好条件でした。私鉄である京福の方が、運転頻度も高く、利便性に勝っていたのが、沿線の過疎化とモータリゼーションとともに経営が苦しくなり、度重なる運賃改定で高くなる一方、国鉄時代の全国一律運賃制度のもと、低廉な運賃が維持された越美北線に、沿線利用者が流れるようになります。結局京福は、生き残りのために勝山から先の区間を廃止して、残る区間の運行に経営資源を集中させる選択をします。私企業としては当然の選択です。

これによって越美北線が唯一の鉄道となった大野市では、特定地方交通線問題で結果的に国鉄に残った越美北線の廃止問題に危機感を持つようになります。で、単なる陳情では廃止は阻止できないという判断があったのでしょう。前記の定期券購入補助を行って、利用者を補助する形で支えていきました。そのことがあったからこそ、越美北線の復旧費用40億円の一部を県が負担することに道がひらけたのでしょう。実際被災当初は県は負担を嫌ってJR単独復旧に言及しておりましたが、結果的に一部負担することになりました。

その間に県レベルでもいろいろありまして、1992年に京福電気鉄道が福井支社管内の鉄道線全廃を打ち出したのに対し、97年に県と沿線市町村で対策協議会を発足させ、行政支援を含む活性化の模索があ始まります。このとき既に京福の廃止表明から5年経過しており、当時の行政の危機感の希薄さが読み取れます。と同時に、需給調整規制撤廃を盛り込んだ改正鉄道事業法の施行で、廃止に際して地元との協議で不調でも1年後に廃止できるいわゆる見切り発車条項が盛り込まれたことで、自治体側が対応せざるを得なくなったというのが本当のところでしょう。

京福も見切り発車に踏み込まず、地元との協議を続けたわけですが、これには整備新幹線の北陸新幹線計画が絡む福井駅付近の連続立体化事業事業をめぐる問題がさらに絡んできたものと思われます。JR北陸本線の高架化にあわせて、京福も高架で福井駅へ乗り入れる形で福井市で都市計画決定されていたこで、路線の存廃が都市計画を不確定にしてしまうという珍しい現象が起きたんですね。またいつになるかわからないけれど、新幹線が福井へくれば、フィーダー輸送で京福の鉄道線が息を吹き返す可能性もあるだけに、特に自治体側が粘ったのでしょう。けれど事態は意外な展開となります。

2000年12月17日に越前本線志比境―東古市間で列車正面衝突、さらに2001年6月24日に保田―発坂間で再度の列車正面衝突事故と、半時に2回の重大事故で全面運休に追い込まれ、復旧のめどがたたない中で、2002年に第三セクターのえちぜん鉄道を発足させて、翌年2月に京福から鉄道資産を譲り受け、同年8月に三国芦原線。10月に越前本線改め永平寺勝山線が営業運転を始めます。福井県は地域として公共交通の危機に直面し、それとともに議論も活発化、福井駅高架化に対しても、既に名鉄から岐阜市内線の中古車を導入してLRT化を指向する福井鉄道との直結を踏まえた高架駅乗り入れ中止へと舵を切ることとなります。

えちぜん鉄道、一部LRT化・福井県が計画変更へ
かくして福井では、公共交通の廃止議論が地域の危機感を強め、鉄道の存続に行政が大きくコミットすることとなりました。ただし越美北線は一部運休の影響もあるでしょうけど、徐々に利用者を減らしている現実があるわけで、とりあえずの復旧、存続ではあります。

高千穂鉄道については、まずは行政が全く腰が引けている状況ですから、存続はそもそも無理筋ではありました。それでもとりあえず観光鉄道としての復旧をめざし、神話高千穂トロッコ鉄道という新会社を発足させ、寄付を募ってきたわけですが、寄付金は予定額を大きく下回り、新会社への資産継承のために休止扱いを続けてきた高千穂鉄道がいつまでも会社清算ができないということで、鉄道資産は新会社に継承されることなく廃止されたわけです。これでほぼ復活の可能性は絶たれました。

善意の寄付による鉄道存続といえば、関東の銚子電鉄の事例が直近で話題となりましたが、首都圏に立地し、関連事業のぬれ煎餅のネット直販サイトがアクセス急増で急遽受付中止となるなどが話題となって、メディアへ露出したことが大きかったですね。こういったことがなければ、善意の寄付だけで必要な資金を集めようというのは、自ずと限界があります。福井でも決して当初から行政は積極的だったわけではなく、地域の存亡にかかわる事態から危機感が生まれ、行政や住民に共有された結果でもあります。悲しいかな目に見えるシンボリックな出来事にしか人々は反応しないわけです。

関連記事:

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