OECDの学力低下指摘は当たっていた
今回は鉄ネタ抜きです。賛否渦巻いた全国学力テストの結果が公表されましたが、応用力不足という、ある意味想定された結果が出ました。
応用問題に課題、地域間格差も・全国学力テスト知識を問う問題と比較したときの応用力を問う問題の正答率が低いということですが、基本的に日本の教育課程では常に問題となっていたところです。
小学校で習う四則計算で、最初の躓きの石となるのは、おそらく掛け算の九九だと思いますが、掛け算と足し算が代替可能で、例えば
2×3=2+2+2となるわけですね。a×3というのは、aを3回足すのと同じ意味であることは言うまでもないでしょう。ということは、実は掛け算を知らなくても答えに辿り着くことは可能ということでもあります。実際コンピュータでは掛け算は足し算で代替して演算処理されます。実際は2進数ですから、電気回路のon-offの組み合わせで単純化されて処理されるので、速く正確に処理されるわけですが、人間の脳ではそうはいきません。答えに辿り着くまでに時間がかかる上、処理の段階数が多い分、計算ミスの確率も高まるわけで、大きな数を扱うときには、実用上遅くて不正確なわけですから、やはり掛け算で処理した方が良いわけです。掛け算ができなければ、大きなお金の絡む取引には参加できないわけで、社会人としてのサバイバルゲームで端からハンディキャップ戦となるわけですね。この場合、掛け算は足し算に対して速く答えに近づく思考上のショートカットとなるわけです。
あと引き算も足し算に代替可能です。例えば398円の買い物で1万円札をレジ係に渡した場合、レジ係がまず2円を客に渡し、次に100円、500円、4,000円、5,000円と順に渡すという形でつり銭を払い出すという光景は、欧米ではよく見かけます。よく考えると、引き算になるはずのつり銭の払い出しを
398+2+500+4,000+5,000=10,000(円)という足し算に置き換えているのがわかります。この場合、商品の売価である398円を数字に置き換えて処理を単純化しているもので、時間はかかりますが、計算ミスを防ぐ意味では優れています。またもの(商品)を数字と見なすわけですから、商品ではなく記号で置き換えれば、そのまま代数学へのアプローチがひらけます。ま、応用力というのはこんなものというお話なんですが。
日本では頭の良さをものを知っている程度で見がちなんですが、そうではないですよね。問題の発見と解決のためのソリューションを見い出すことが重要なんですが、実は日本人はこれが不得意なんですね。問題は与えられるもので、それを課題として、何とか努力してカイゼンしてクリアしていくものという感覚が強いので、ツボにはまれば強みを発揮する一方、グローバル化の進行する現在のような変化の時代には弱いということでしょうか。米ビッグ3を頂点とするヒエラルキー構造が明確だった自動車産業では、ついにGMを射程圏内に捉えたものの、マイクロソフトやグーグルのようなITやネット関連の新産業を生み出す力は、悲しいかな足りないのです。
なぜこうなるかといえば、知識偏重の教育課程に問題があるということです。数学の勉強で大事なのは、計算能力を磨くことではなく、上記のように、さまざまな問題を処理しやすい形に置き換えて、ショートカットを利用してできるだけ手間をかけずに答えを見い出すこと、あるいは答えが存在しないことを証明するということにほかならないのです。後者は、無駄な努力を回避して別のことに取り組めるという意味で、立派なソリューション(解決策)なのです。問われているのは、日本では古来「知恵」とか「生きる力」とか言われてきたような事がらだということですね。鍛えるには反復練習しかないんです。しかもできるだけ同じ問題を違う解法で解くということを続けることで、物事の関連性が見えてきて、思考回路が活性化され、問題解決能力を増すことになるんですが、そうやって子どもの習熟度を見ながら授業を進められる状況とは、教育現場の環境は程遠いのが現実です。
これって、いわゆるゆとり教育で改善を狙ったことがらだったはずなんですが、ゆとり教育自体が、何だか円周率を3とするとかいうばかばかしい議論に巻き込まれ、知識偏重の詰め込みの反動でひたすら教科書を薄く無内容にすることと、授業時間を削ることばかりが行われ、果ては学力低下の犯人扱いにされています。その一方で総合学習の時間はしっかり残されていて、子どもたちには遊ぶ時間を削らされる過酷な(笑)授業時間増がのしかかります。そして大人の思惑のためにテスト受けさせられてですからね。教育の受益者は子どもたちだという原点は忘れ去られてます。
実際には数学でさえも平方根の暗記のような、無意味な学習法が蔓延しておりまして、例えば小学生で習う分数式でも、「足し算引き算は通分して分子同士を足し引きする」という風に暗記するので、ちょっと込み入った問題文の問いに対しては、たちまち正答率が下がってしまうし、大学生になる頃には忘れてしまうということになります。これが一時話題になった「分数のできない大学生」の真実です。この伝でいえば、「小学生で習った愛国心を大学生になる頃には忘れる」のかい(爆笑)。
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