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May 2008

Sunday, May 11, 2008

設備投資を加速させる京王電鉄

京王電鉄の2008年度経営計画が発表されました。

オフィシャルサイトのプレスリリース(PDF)
冒頭の基本方針に
「住んでもらえる、選んでもらえる沿線」を目指し、
「鉄道事業の安全性の向上」と「沿線価値向上への取組み」に
注力してまいります。
とあります。鉄道事業への投資額549億円(対前年20%増)、うち安全性向上には433億円(対前年14%増)ということで、これは2010年に予告されている調布市内連続立体化事業にあわせてATC導入と所属車両省エネ化(VVVF化)を加速させるものです。

具体的には相模原線のATC地上設備の設置を完了させ、車両改造を進めるほか、京王線60両井の頭線25両の車両代替と在来車改造を含めて117両のVVVFインバータ制御車を登場させることになります。そのほか地下駅の火災対策強化や駅のバリアフリー対応工事を進めるとしております。

車両面では85両の新造というのが目立ちます。京王線の60両は9000系30番台10連6本と考えられ、これで10連14本が揃いますので、都営線直通運用を9000系だけで賄える数がそろいます。当然6000系は代替廃車が進むことになります。5扉車や2連など、一部残る可能性はありますが、JR常磐緩行線203系と双璧の窓のバタつく電車の過去帳入りは近いですね。そういえばJR東日本も本年からE233系2000番台による置換えが始まりますね。

名車の誉れ高い5000系の後継車でありながら、京王新線の呪縛でコストダウンを余儀なくされた粗製乱造車の6000系ですが、それだけに時代を映す車だったといえます。この苦境があればこそ、バブルに踊らず線増ではなく長編成化で混雑緩和に取り組み、大手私鉄随一の財務体質を獲得したわけですから、感慨深いものがあります。かつて冷房化に抵抗し続けた^_^;2010系などの"グリーン車"と蔑称された旧型車の途をなぞるようですが、"アイボリー車"とでも呼べばよいでしょうか。

一方の井の頭線でも1000系の久々の増備となりますが、これでやはり昼間に関しては完全に1000系で統一でき、3000系はラッシュ専用となりそうです。ここでも"グリーン車"現象^_^;が進みます。同時に3000系でも増備の都度改良が重ねられてきた歴史に倣えば、どんな仕様で登場するかも注目です。京王線9000系が日車ブロック工法で小田急3000系京成新3000系と一派を築いていますが、1000系のすそ絞りスタイルは対応できない可能性があります。となると小田急の千代田線直通車に倣って東急車輛製のツーシート工法へのシフトも考えられ、"走ルンです京王"^_^;が登場するかもしれませんね。注目です。

あと関連事業では、京王電鉄の新たな沿線活性化策で取り上げましたが、移住・住みかえ支援機構(JTI)を活用した、沿線の高齢者を都心の賃貸マンションに誘導し、持ち家を子育て若年世代へ賃貸することで、沿線の若年人口増加への取組みを進めるほか、学生マンションや企業向け独身寮事業などで、一味違った沿線活性化策が謳われております。計画書にはありませんが、高幡不動駅前の子育て支援マンションの成果も興味深いですね。

人口減少で、鉄道事業を核として沿線開発で不動産部門で利益を得る従来型の私鉄経営のビジネスモデルが行き詰まりを見せる中、いち早く次の時代を睨んだ事業を展開しているわけで、その成果が注目されます。

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Sunday, May 04, 2008

走ルンdeおフランス、AGV

姥捨ての次はおフランスざんす^_^;。AGVがプレス発表されたのは、今年2月のことですが、日本では報道が少なくて、いったいいつ営業運転を始めるのか、どこの路線に投入されるのかなども知られておりません。実はAGVはアルストム社が開発主体となった次世代高速鉄道車両で、AGVのAはアルストムのイニシャルとまで説明されています。

フランス国鉄(SNCF)とアルストムとの関係は、日本の国鉄と鉄道車両メーカーの関係と似ていて、発注者であるSNCFが設計に関与してアルストムに製造を請け負わせるものでした。高速列車のTGVにしても同様で、あくまでも開発主体はSNCFだったわけですが、ここへきて事情が変わってきています。

仏アルストムは、今でこそ独シーメンス、加ボンバルディアと並ぶ鉄道車両メーカーのビッグ3の一角を占めますが、SNCF以外への売り込みは、必ずしも熱心だったわけではなく、近隣のベルギー、オランダ、ポルトガルなどには納入されていましたが、シーメンスやボンバルディア(元々は独アドトランツなどダイムラーベンツの鉄道部門をはじめ、複数の欧州系鉄道メーカーを買収)に比べれば、外国への売り込みは熱心ではありませんでした。というよりは、伊フィアットやスウェーデンABBにさえ後れを取っていたという方が正しいかもしれません。

一方で欧州の鉄道政策により、オープンアクセスで活性化が図られ、ペンドリーノやX2000が廉価な高速車両として売り込まれている状況に対して、SNCF絡みのユーロスターやTARIS、一括受注のスペインAVEや在来線バージョンのユーロメッドなどで受注に成功はしたものの、スペインはペンドリーノも買っているし、独自技術でTARGOの300km/hバージョンを開発するなどしていて、油断できません。

一方で重電部門でABBから譲り受けた発電用大型ガスタービンで欠陥が発生したり、鉄道部門でもイギリスでの取引で採算割れを起こし、果ては財政難で銀行融資を断られるなど追い込まれ、03年~05年の3年間赤字決算を余儀なくされました。そういえば仏TGVに日本製車両なんて話題もありましたが、アルストムが危機を脱した後のタイミングですから意味深です。アルストムの経営危機のときには、本当に日本から車両を買うことも考えられていた可能性はあります。またそのことがAGV開発のバネになったのかもしれませんね。

それを救ったのが当時財務大臣だったニコラ・サルコジでした。1民間企業であるアルストムへの資本支援や4年間の支払延期などの了解を欧州委員会から取り付け、文字通り獅子奮迅ぶりを見せた結果、アルストムは立ち直り、車両メーカーとして自前で高速車両を開発できるまでに実力を蓄えたのでした。特定民間企業への支援ですから、当然反対もあったでしょうし、政治家としてはリスキーな行動だったはずです。しかしサルコジはそれをやり遂げたわけですから、なかなか侮れないリーダーシップの持ち主といえます。ただの毛深い絶倫オヤジではなかったんですね^_^;。

政治家は結果責任を問われるわけで、彼の国ではそれなりに覚悟のいる職業なんでしょう。ガソリンが上がっても、老人が悲鳴を上げても、どこか他人事で、あまつさえ「苦渋の決断」を演出するあざとささえ見せるどこかの国の宰相とは大違いですね。

で、最高速360km/hというAGVのスペックは、くしくもJR東日本がFASTECH360で開発目標とした速度と同じですが、FASTECH360が東北新幹線延伸を睨んだ高速化という具体的な想定があるのに対して、AGVは投入線区を特に明示しておりません。日本の鉄道関係者には信じ難いところでしょうけど、アルストムはAGVを大真面目に世界中に売り込もうとしているのです。

とりあえず発表されたところでは、納入先は伊NGV社という会社です。2010年により深度化する欧州のオープンアクセス政策の下、大陸で初の高速鉄道運行事業者となる会社で、11連25編成(10編成の追加オプション付)を30年の保守契約込みで受注しており、とりあえずイタリアでまず走ります。当面最高速は300km/hということです。360km/hで走るためには、線路側の改良を待つ必要はあるのでしょう。

しかし伊ディレティッシマ線(高速新線)を皮切りに、仏TGV新線、独ICE新線などの高速輸送インフラを着実に整備している欧州のことですから、いずれ360km/hの営業運転が始まる可能性はあります。その最初の候補は、仏国内で整備が進んだTGV新線でしょう。高速車両は傷みが早いですから、TGVの車両更新は喫緊の課題となるはずです。SNCFから自立したとはいえ、アルストムもそこに照準を合わせてAGVを開発しているはずです。SNCFからの大口受注、さらにEU域内の鉄道から、中国などアジアまで睨んで、商機をうかがっていると考えられます。

何かこれJR東日本の新系列通勤車が旧国鉄型車両を淘汰する課程の再現に見えなくもないですね。JR東の新系列も同型車が私鉄に納入されるなどしている点にも共通性があります。

話はそこに留まらず、360km/hの性能を発揮できる線区では、表定速度300km/h超となるわけですから、ざっと1,000kmの距離を3時間程度で結べるわけで、パリ起点でアムステルダムやバルセロナが射程に入り、航空需要を侵食するはずです。となると在来技術の延長線上で燃費改善してもCO2削減が難しい航空から鉄道へのシフトが鮮明となり、温暖化防止を経済のテコにしようとする欧州の環境戦略にも合致します。

翻って日本に当てはめれば、360km/hは東京起点で博多、札幌が射程権に入る速度ということがいえますので、FASTECH360が開発目標としてこの速度を選んだ理由も明白です。後ろ向きの某社はどう見るか。

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Saturday, May 03, 2008

楢山節考―老いの矜持

楢山節考といえば深沢七郎の名作小説ですが、既に絶版となって手に入りにくくなってます。高齢化の進む現在、老いを正面から捉えた稀有な作品だけに、復刻を期待したいところです。

厳しい山村の口減らしの掟である楢山へ行くことを心待ちにするおりん婆さんという設定が秀逸です。にもかかわらず年老いてなお歯が丈夫なことを気に病んでいるおりんさん、自ら歯をへし折って、血を流しながら歓喜する場面が作品の基本モチーフです。老いは誰しも抗えないけれど、自然にそれを受け入れ、運命として楢山へ赴くというテーマは、泣かせるほど現代的です。もちろん掟の冷徹さは微塵もゆるぎなく、楢山への道行きで抵抗した隣のじさまが実の倅に谷底へ突き落とされるシーンが最後にくるなど、なかなか巧みな構成です。

今ならば老人虐待と捉えられるべきことですが、近代以前ならばありえたのではないかと思わせる自然さこそがこの小説の味わいです。ポストモダンの始祖にして構造主義の泰斗レヴィ=ストロースがパンセ・ソバージュ(野生の思考)で明らかにした禁忌(タブー)の構造が感じられます。若い人にこそ読んで欲しいですね。

それとともに、老いを生きて死に至る人生の終局をいかに生きるべきか考えさせられます。掟に従って楢山へ赴こうとするおりんさんの何といきいきとしたことか。老醜をさらさず、子や孫の幸せを願って別れを告げる潔さは、私のような若輩者でもかくありたいと思わせます。

察しの良い方ならおわかりでしょうけど、今回は政局を揺さぶる後期高齢者医療制度について考えます。医療の問題というのは、やや複雑なんですが、この制度のスジの悪さはひどいですね。あまりにつっこみどころ満載で、どこから手をつけてよいものやらわかりませんが、目的は高齢化による医療費の増大を抑制することのようですから、まさしく楢山節考の舞台の山村の掟と同じ口減らしが狙いです。ターゲットは団塊世代ということですね。日本は近代以前であったか-_-;。

日本の医療保険制度ですが、被用者向けの組合健保に政府管掌健保、自治体管掌の国民健保と3本立てで、特に組合健保は職域のさまざまな単位でそれぞれ独自に管掌されていて料率が異なるなど、年金同様つぎはぎだらけの制度ですが、結果的に医療への安定的な支出を支えることで、医療があまねく国民に共有され、医療費の対GDP比でも先進国中最も少ない良好なパフォーマンスを示しており、民間の医療保険中心で負担力のある高額所得者による医療サービスの独占で、医療費が高騰しているアメリカでも、日本の制度を参考に皆保険制度へ移行しようという試みが繰り返されております。ヒラリー・クリントンが大統領夫人時代に実現しようとして頓挫したことが知られております。彼女が大統領の地位に執念を燃やすのは、このときのリベンジだといわれております。

ただ問題もありまして、特に組合健保は、母体となる職域の事業体の事情によって料率が異なるのですが、団塊世代が若かった時代は、掛け金が多くて使う高齢者が少数でしたから、低い掛け金で済んでいたわけです。このあたり厚生年金と似てますが、厚生年金はあくまでも政府が保険者として管掌する制度ですから、職域基盤の弱い中小企業でも、基本的に同じ制度が適用されていたのに対し、健康保険では大企業等が自社の福利厚生の一環として有利な条件で運用してきたこともあり、中小企業中心の政府管掌健保は、料率面で不利でしたし、農業者や自営業者中心の国民健保では、自治体住民の年齢構成や財政力に左右されるため、地方ほど厳しい現実があります。逆に若年人口の厚い大都市圏では、独自に高額医療費の助成制度などを制定し、医療費の負担感は低かったのです。

こういった背景がありますから、診療報酬として保険金を受け取る医療サイドも大都市圏ほど厚みのあるサービス体制となり、近年の過疎化で地方の病院は、経営的にも苦境にあります。いわゆる医療崩壊が徐々に進行しているわけです。

本来ならば、命に直結する公的医療保険制度こそ、公平性を最大限担保すべきですし、また保険である以上、加入者数が多いほど、分母が大きいほど、料率面で有利になるわけですから、国が管掌して1本に統合することで無駄を省く余地はあるはずですが、実際に国が打ち出したのは、別建ての保険制度とするというもので、明らかに逆行しております。やはり上記の通り口減らしだったわけでしょう。

しかも悪質だと思うのは、対象となる高齢者の多くが加入していると思われる国民健保が市町村単位であるのに対して、新制度は都道府県単位の広域連合が保険者として管掌するという形になっている点です。市町村では負担が大きくなる場合があるからと説明されてますが、それならば都道府県にやらせても良いはずなのに、広域連合という新たな行政組織をこの制度のためだけに立ち上げたのですから、これでは国、県、市町村の三重行政どころか四重行政になって無駄を重ねることになります。当然保険者として独自に保険事務費を負担しなければならないわけですから、どう転んでも制度全体としては負担増にしかなりません

そしてやはりというか、一時7~8割の高齢者は負担が軽くなると複数の政府与党関係者が口にしていたのに、突っ込まれると「実は調査しておりません」ですから呆れます。何かこれ、失われた年金記録問題に通じますが「3月までに突き合わせを完全実施して全てを明らかにします」といって、その3月にいい加減な報告を上げて「まだ終わったわけではないので、引き続き努力します」といって、無為に時間と費用を浪費してますが、今回も「あらゆるケースを精査します」といって時間稼ぎに精出して、そのうち国民が諦めるか忘れるかしてくれるだろうという意図見え見えで、厚生労働省という役所はよくよく腐ったところです(怒)。

元々公的医療保険制度というのは、保険なんですから、「保険料払って使わないのは損」という考え方は成り立ちません。使わないに越したことはないけれど、万が一のときに医療サービスを受けられるためには、安定した医療支出が支えになるわけです。傷病リスクは誰しもあるわけですが、実際に病気や怪我をした者の自己責任ということにすると、金持ちしか医療サービスを受けられず、結果的に社会的ニーズが顕在化しないために、医療の希少化でアメリカのように医療費が高騰してしまうわけです。それを広く薄く国民全体で支えることで負担感が減り規模の経済も働きますから国民皆保険の意味はその辺にあるわけです。

また医療の特徴として、技術革新によってより高度な検査や医療が可能になるわけですが、それは同時に常に研究開発投資と設備投資が続くわけで、この部分が肥大化することは避けられないところです。医療費の高騰は高齢化のせいではなく、医療分野の技術革新の成せる業であるわけです。おかげで結核や癌なども不治の病ではなくなり、人々はより長く生きられるわけですから、高齢化はむしろその成果でもあるわけです。同時に医療従事者にとっても、以前より初期投資が増えて参入障壁が高くなっているし、一方で医療現場は複雑になる一方ですから、医療事故や訴訟リスクも負うことになりますので、それが結果的に医師をしてリスク回避のスタンスを取らせますので、需要に応じた医療サービスを受けることを難しくしております。

そういった意味で医療保険制度が曲がり角にきていることは間違いありませんが、制度の一本化や医療機関同士の連携や後発薬の活用による負担減など、まだまだほかにやるべきことは山のようにあります。ただしこの辺は利害を持つ既得権益者がいるところでもあり、改革するには相応に血を流さなければならないでしょうから、国は安易な道を選んだんだと思います。誤魔化されないようにしなければいけませんね。

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