楢山節考―老いの矜持
楢山節考といえば深沢七郎の名作小説ですが、既に絶版となって手に入りにくくなってます。高齢化の進む現在、老いを正面から捉えた稀有な作品だけに、復刻を期待したいところです。
厳しい山村の口減らしの掟である楢山へ行くことを心待ちにするおりん婆さんという設定が秀逸です。にもかかわらず年老いてなお歯が丈夫なことを気に病んでいるおりんさん、自ら歯をへし折って、血を流しながら歓喜する場面が作品の基本モチーフです。老いは誰しも抗えないけれど、自然にそれを受け入れ、運命として楢山へ赴くというテーマは、泣かせるほど現代的です。もちろん掟の冷徹さは微塵もゆるぎなく、楢山への道行きで抵抗した隣のじさまが実の倅に谷底へ突き落とされるシーンが最後にくるなど、なかなか巧みな構成です。
今ならば老人虐待と捉えられるべきことですが、近代以前ならばありえたのではないかと思わせる自然さこそがこの小説の味わいです。ポストモダンの始祖にして構造主義の泰斗レヴィ=ストロースがパンセ・ソバージュ(野生の思考)で明らかにした禁忌(タブー)の構造が感じられます。若い人にこそ読んで欲しいですね。
それとともに、老いを生きて死に至る人生の終局をいかに生きるべきか考えさせられます。掟に従って楢山へ赴こうとするおりんさんの何といきいきとしたことか。老醜をさらさず、子や孫の幸せを願って別れを告げる潔さは、私のような若輩者でもかくありたいと思わせます。
察しの良い方ならおわかりでしょうけど、今回は政局を揺さぶる後期高齢者医療制度について考えます。医療の問題というのは、やや複雑なんですが、この制度のスジの悪さはひどいですね。あまりにつっこみどころ満載で、どこから手をつけてよいものやらわかりませんが、目的は高齢化による医療費の増大を抑制することのようですから、まさしく楢山節考の舞台の山村の掟と同じ口減らしが狙いです。ターゲットは団塊世代ということですね。日本は近代以前であったか-_-;。
日本の医療保険制度ですが、被用者向けの組合健保に政府管掌健保、自治体管掌の国民健保と3本立てで、特に組合健保は職域のさまざまな単位でそれぞれ独自に管掌されていて料率が異なるなど、年金同様つぎはぎだらけの制度ですが、結果的に医療への安定的な支出を支えることで、医療があまねく国民に共有され、医療費の対GDP比でも先進国中最も少ない良好なパフォーマンスを示しており、民間の医療保険中心で負担力のある高額所得者による医療サービスの独占で、医療費が高騰しているアメリカでも、日本の制度を参考に皆保険制度へ移行しようという試みが繰り返されております。ヒラリー・クリントンが大統領夫人時代に実現しようとして頓挫したことが知られております。彼女が大統領の地位に執念を燃やすのは、このときのリベンジだといわれております。
ただ問題もありまして、特に組合健保は、母体となる職域の事業体の事情によって料率が異なるのですが、団塊世代が若かった時代は、掛け金が多くて使う高齢者が少数でしたから、低い掛け金で済んでいたわけです。このあたり厚生年金と似てますが、厚生年金はあくまでも政府が保険者として管掌する制度ですから、職域基盤の弱い中小企業でも、基本的に同じ制度が適用されていたのに対し、健康保険では大企業等が自社の福利厚生の一環として有利な条件で運用してきたこともあり、中小企業中心の政府管掌健保は、料率面で不利でしたし、農業者や自営業者中心の国民健保では、自治体住民の年齢構成や財政力に左右されるため、地方ほど厳しい現実があります。逆に若年人口の厚い大都市圏では、独自に高額医療費の助成制度などを制定し、医療費の負担感は低かったのです。
こういった背景がありますから、診療報酬として保険金を受け取る医療サイドも大都市圏ほど厚みのあるサービス体制となり、近年の過疎化で地方の病院は、経営的にも苦境にあります。いわゆる医療崩壊が徐々に進行しているわけです。
本来ならば、命に直結する公的医療保険制度こそ、公平性を最大限担保すべきですし、また保険である以上、加入者数が多いほど、分母が大きいほど、料率面で有利になるわけですから、国が管掌して1本に統合することで無駄を省く余地はあるはずですが、実際に国が打ち出したのは、別建ての保険制度とするというもので、明らかに逆行しております。やはり上記の通り口減らしだったわけでしょう。
しかも悪質だと思うのは、対象となる高齢者の多くが加入していると思われる国民健保が市町村単位であるのに対して、新制度は都道府県単位の広域連合が保険者として管掌するという形になっている点です。市町村では負担が大きくなる場合があるからと説明されてますが、それならば都道府県にやらせても良いはずなのに、広域連合という新たな行政組織をこの制度のためだけに立ち上げたのですから、これでは国、県、市町村の三重行政どころか四重行政になって無駄を重ねることになります。当然保険者として独自に保険事務費を負担しなければならないわけですから、どう転んでも制度全体としては負担増にしかなりません。
そしてやはりというか、一時7~8割の高齢者は負担が軽くなると複数の政府与党関係者が口にしていたのに、突っ込まれると「実は調査しておりません」ですから呆れます。何かこれ、失われた年金記録問題に通じますが「3月までに突き合わせを完全実施して全てを明らかにします」といって、その3月にいい加減な報告を上げて「まだ終わったわけではないので、引き続き努力します」といって、無為に時間と費用を浪費してますが、今回も「あらゆるケースを精査します」といって時間稼ぎに精出して、そのうち国民が諦めるか忘れるかしてくれるだろうという意図見え見えで、厚生労働省という役所はよくよく腐ったところです(怒)。
元々公的医療保険制度というのは、保険なんですから、「保険料払って使わないのは損」という考え方は成り立ちません。使わないに越したことはないけれど、万が一のときに医療サービスを受けられるためには、安定した医療支出が支えになるわけです。傷病リスクは誰しもあるわけですが、実際に病気や怪我をした者の自己責任ということにすると、金持ちしか医療サービスを受けられず、結果的に社会的ニーズが顕在化しないために、医療の希少化でアメリカのように医療費が高騰してしまうわけです。それを広く薄く国民全体で支えることで負担感が減り規模の経済も働きますから国民皆保険の意味はその辺にあるわけです。
また医療の特徴として、技術革新によってより高度な検査や医療が可能になるわけですが、それは同時に常に研究開発投資と設備投資が続くわけで、この部分が肥大化することは避けられないところです。医療費の高騰は高齢化のせいではなく、医療分野の技術革新の成せる業であるわけです。おかげで結核や癌なども不治の病ではなくなり、人々はより長く生きられるわけですから、高齢化はむしろその成果でもあるわけです。同時に医療従事者にとっても、以前より初期投資が増えて参入障壁が高くなっているし、一方で医療現場は複雑になる一方ですから、医療事故や訴訟リスクも負うことになりますので、それが結果的に医師をしてリスク回避のスタンスを取らせますので、需要に応じた医療サービスを受けることを難しくしております。
そういった意味で医療保険制度が曲がり角にきていることは間違いありませんが、制度の一本化や医療機関同士の連携や後発薬の活用による負担減など、まだまだほかにやるべきことは山のようにあります。ただしこの辺は利害を持つ既得権益者がいるところでもあり、改革するには相応に血を流さなければならないでしょうから、国は安易な道を選んだんだと思います。誤魔化されないようにしなければいけませんね。
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