« 磁気券IC券二重価格in新横浜 | Main | JR東海が日本車輌を子会社化 »

Saturday, August 02, 2008

副都心線現象?

副都心線開業から1月半、度々列車遅延が生じたり、利用者が想定を下回ったりと、開業前の期待がやや後退した感のある副都心線ですが、真価を発揮するのは、2012年に予定される東急東横線との相互直通運転開始以降でしょうから、今はまだ助走期間と見ておきましょう。

副都心線自体は、都市計画13号線として以前から計画されていた路線ですが、それ以前の都市計画で8号線の一部と位置づけられていたこともあって、都計8号線を具体化した有楽町線の一部として小竹向原~営団成増(現地下鉄成増)間が最初の開業区間となります(1987年8月)。この時点で池袋~小竹向原間は上下2層の地下トンネルが構築されていて、既に13号線の準備がされていたわけですが、混雑緩和対策として西武との相互直通が本格化する1998年3月の練馬駅高架化に先駆けて、1994年12月に有楽町新線として開業、途中駅の要町と千川は通過とされました。新線池袋駅が既存各駅から離れていたこともあり、新線はいつも空いていて、帰宅時の着席乗車狙いの裏技に利用されていたようです。副都心線開業でそれがなくなったわけですから、東武鉄道がTJライナーで定員制着席サービスを開始したことは、理に適っているといえます^_^;。

ただ、実際に13号線渋谷延伸が都市計画決定されたのは、2001年5月、翌6月には着工という時系列の動きが特異な印象です。94年に有楽町新線として開業した時点で、渋谷延伸まで見通せていたというと、疑問が残ります。というのも、当時の帝都高速度交通営団(以下営団と記す)自身が、旧国鉄に倣って民営化される予定があったため、微妙な時期であったことを指摘しておきます。

当時、2000年に南北線全通と東急目黒線との相互直通運転、半蔵門線押上延伸と東武伊勢崎線との相互直通化工事がたけなわの頃であり、民営化を睨めば東京の地下鉄新線に打ち止め感が漂っておりました。それ故に87年時点からトンネルや駅の構造物は完成しながら、利用されていなかった13号線施設の有効利用は、追加費用をかけずにできる混雑緩和策という性格のものといえます。

さて、13号線延伸が都市計画決定されスピード着工された2001年時点ですが、前年に南北線が全通し東急目黒線との相互直通を開始し、半蔵門線押上延伸が継続されていたわけですから、営団時代の建設線2線の原則に照らせば、13号線の新規着工はその延長線上とも取れますが、既に営団の民営化方針が具体化しており、実際半蔵門線開業後の2004年に民営化され、東京地下鉄株式会社(通称東京メトロ)がスタートしたわけですから、13号線着工は不自然な感があります。

よく考えて見れば、その直前の2001年4月、小泉政権が発足し、「官から民へ」のキャッチフレーズで小気味よさをアピールしていたわけです。とするとますます13号線着工は逆行イメージですが、同時に「都市再生」もよく使われたフレーズです。そう、従来の公共工事で国の資金を地方へばら撒くのではなく、民間資金による都市活性化もまた小泉政権の政策の目玉だったわけです。つまり民営化されればとても自前で新線建設なんて無理な営団に、地下鉄建設補助が使えるうちに新線を作らせて、沿線の再開発の呼び水にしようという思惑があったものと思われます。実際、2000年全通の南北線や都営大江戸線沿線では、大規模な再開発ラッシュが起きていたわけですから、その効果を持続させることは考えられたと思います。そう考えると、地方のローカル線同様の政治路線と言えなくもないですね。この辺は以前の記事でも取り上げました。

もちろんその経済効果に疑問のある地方の赤字ローカル線に比べれば、遥かに経済効果は多きいわけですが、同時に行われた容積率緩和などの一連の規制緩和策と相まって、民間デベロッパーへの補助金的性格もあるわけです。その結果、民間設備投資が活発化して景気回復が演出されたわけですから、政治家としての人気取り効果は抜群でした。実際2005年の郵政選挙では、元々民主党が強かった都市部の選挙区ほど雪崩を打って与党が大勝したわけです。

とはいえ以前から指摘しておりますように、再開発ブームも一巡すれば終わるわけで、その後の展望があるわけではありません。特に住宅に関しては、団塊ジュニア世代の購買が一巡すれば、それ以後の就職氷河期世代にはそもそも購買力がありませんし、また過去の持ち家政策の結果として、質を問わなければ大量の住宅ストックが積み上がっている状況で、いわゆる分譲マンションでも個別区分所有者による賃貸が常態化していて、マンション管理組合にも隠れ切支丹ならぬ隠れ賃貸住民の意向が反映される傾向もあります。ま、その方が住民目線での管理の質は向上しますから、結果的に区分所有者にもプラスなんですが。

というわけで、副都心線の開業後のトラブルも、少し違った見方が可能です。営団改め東京メトロにとっては、民営化前の駆け込みであっても、従来の地下鉄建設補助を枠組みが利用できることで、民営化後の自社の資産価値を高められますし、特にネットワークの外部性が働くという点で、他の大手私鉄とは立場の違いがあるわけです。また目の前にはJR東日本というお手本があるわけで、たとえ民営化前の駆け込みであっても、継承資産の強化は大都市圏の事業者として優位に立てるわけです。問題はその有効利用であって、これこそ民営化後の新会社の特徴を打ち出せる部分と考えたわけです。

実際に湘南新宿ラインで既存鉄道ストックの有効利用のお手本を見せられたメトロにとって、東武東上線、西武池袋線とともに、東急東横線の相互直通希望は渡りに船だったはずです。渋谷から先につながることで、メトロのネットワーク強化は、他社線を培養路線とすることで、ある意味広域路線を維持しなければならないJR東日本より優位ですらあるということですね。

ま、その辺のもろもろで、営団時代に民営化を睨んだ布石として、副都心線のあり方が決定されたと考えられます。それがホームドア設置とワンマン運転、東新宿に待避線を設けての急行運転など、営団時代には考えられなかったチャレンジへと向かわせたのでしょう。その結果はスタートから躓くことになりますが。

東京メトロ副都心線でまた遅れ
路線の成り立ちから木に竹を接ぐが如し直通運転で、メトロと乗入各社は新線向けの新車で揃えることが適わず、在来車の改造で対応した結果、例えば定位置停止装置(TASC)の精度調整などで未消化の問題を抱えていたのでしょう。この辺はライバルの山手線のホームドア設置にも教訓を残しました。

それと、後から建設される地下鉄新線の常として、トンネルが深い位置になり、駅へのアクセス性が悪化することは避けられないところです。

副都心線渋谷駅公開・地下5階乗り換え大変?・JRから距離
この辺は実際に利用して見ると顕著です。JRをはじめ既存各線との乗換が不便です。東横線とは12年の相互直通開始で解消されますが、東急としては渋谷へ買い物客の取り込みという点で、現状はあまりプラスになっておりません。また東急文化会館跡地の高層ビルへの東急デパート入居が予定されておりますが、皮肉なことに、東横線との相互直通開始は、池袋のデパートが直面する素通りの危機をなぞる恐れがあります。加えて東横店撤退後予定される駅ビル計画の進捗如何では、例えばルミネなどJR系列の商業施設の進出も考えられますので、渋谷の再開発に対する東急の期待は裏切られる可能性もあります。加えて再開発の全体計画が終了するまでに20年以上を要することから、常に工事が行われる状況で集客しなければならないわけですから、下手すれば東急の失速の懸念も無しとはいえません。

というわけで、東京一極集中もほぼ限界でしょうか。

|

« 磁気券IC券二重価格in新横浜 | Main | JR東海が日本車輌を子会社化 »

ニュース」カテゴリの記事

大手私鉄」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

都市交通」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

Comments

いつも貴重なお話ありがとうございます。
m(__)m

設備投資の難しさというのでしょうか。
他の法人が関係するときはなおさらとでもいうのでしょうか。
JR東日本が車両の標準化を先導したように、
鉄道全体を可能なかぎり標準化して
公共の福祉が増進することを心より願うばかりです。

管理人様の御健康御多幸を祈ります。

では、失礼いたします。

とまと

Posted by: とまと | Saturday, August 02, 2008 at 10:07 PM

東急に関しましては、間の悪さがありますね。渋谷の再開発に着手した当初は、こうなることを予想できなかったでしょうから。

ま、より大きな視点で捉えれば、そもそも再開発ブーム自体の持続可能性の問題は、以前から指摘してきたとおりでして、東急は間に合わなかっただけともいえますが。

名古屋にも飛び火した再開発ブームですが、発表されたJR東海の4-6月期実績でJR名古屋タカシマヤの不振が明らかになっており、ブームが一足早く終焉したことが読み取れます。

逆にJR東日本は八重洲口の駅ビルのテナント収入が寄与しており、この差はタイミングだけともいえます。とはいえ未来の不確実性へのチャレンジがあればこそ、投資には妙味があるわけで、投資の失敗そのものは、非難されるいわれはありませんけど。

Posted by: 走ルンです | Sunday, August 03, 2008 at 10:17 AM

鋭い考察ですね。東急の乗り入れで情勢はまた変わってくるでしょうが。ただ、東急が8両というのが、なんとももったいないですね。また、JRと異なり、各社をまたいで乗ると二重に運賃が取られてしまうのも、結構つらいですね。

Primera

Posted by: Primera | Sunday, August 03, 2008 at 10:06 PM

コメントありがとうございます。

一応、東横線は急行停車駅のホーム延伸を予定しておりますので、特急と急行は10連になる模様です。また構想段階ですが、多摩川線と京急空港線を連携させる蒲蒲線構想というのもありまして、東急はその辺も睨んでいるふしはありますが、果たして投資を回収できるかどうかは微妙です。

運賃の合算の問題は、東急側から見る限りでは、東急自身の運賃の低さがありますので、短期的には問題ないでしょう。むしろ渋谷を素通りされる可能性はそれだけ高いともいえます。

Posted by: 走ルンです | Sunday, August 03, 2008 at 11:23 PM

渋谷は山手線・埼京線・銀座線の駅も移転させるようですが、図を見る限りはJR線・井の頭線グループと東急線・メトログループに分かれて、それぞれの間の乗り換えはいいもののグループ間は今よりちょっと離れるというふうになりそうですね。
横浜駅みたいに年中工事中で駅の全体像が見えないなんて風にしないでほしいものです。

Posted by: にわ | Tuesday, August 05, 2008 at 08:28 PM

コメントありがとうございます。

確かに東急だけが孤立した感じになりそうで、ちょっとまとまりがない感じですね。メトロは銀座線と半蔵門線、副都心線で又裂き状態ですね。工事が長期化しそうなのもマイナスです。

西口バスターミナルも大幅に手が入れられるようなので、風景が激変しそうです。東横店跡地の駅ビルも、計画の具体化はこれからということですから、まだどうなるか流動的なんですね。

Posted by: 走ルンです | Wednesday, August 06, 2008 at 12:03 AM

御無沙汰しております。
蛇足かもしれませんが、記憶のあるうちに…13号線建設に事実上のGoを出したのは、1998年に当時の小渕内閣が「景気対策臨時緊急特別枠」として補正予算で調査費を計上した時点になろうかと。小泉内閣ではむしろ2001年度予算で公共投資関係費を削減しており、この際国交省は補助対象建設中17路線のうち14路線の開業時期を先延ばしにする調整を行う棟の報道がなされていました。実際どうなったかは不明ですが、13号線については2007年度の開業がちと繰り延べとなっています(神田川下の工事遅れもあるようですが)。

Posted by: 551planning | Tuesday, August 12, 2008 at 04:26 PM

補足ありがとうございます。確かに小渕政権時代に調査費が計上され、それを受けて当時の営団が平面及び縦断面設計のラフを発表してますね。ただし東急との相互直通は考慮されず、渋谷は1面2線の単純な終端駅でした。

この辺は水面下の動きですので、断定はできませんが、東急が相互直通を打診したのはその後と考えてよいでしょう。しかし実際には当時の東急線の車両限界が有楽町線より最大幅が狭く、また代官山から地下に潜って渋谷駅へつなげるには、40パーミル程度の急勾配が必要になるなど、問題点も多く、実現可能性は微妙でした。

その後東横線で車両限界の見直し(建築限界に抵触しない範囲で車両限界の拡大)を行うなど、東急側の準備が整うのに時間を要しました。この辺の経緯がありますので、着工に至る意思決定は流動的だった可能性があります。ですから断定はできないのですが、2001年の慌しい手続きとなったのではないかと愚考いたします。

国鉄末期に突然中央線三鷹~立川間の複々線化計画のラフを発表して自治体に都市計画決定を促したことがありますが、分割民営化で幻の計画となったように、微妙な問題を含んだタイミングといえます。

Posted by: 走ルンです | Tuesday, August 12, 2008 at 10:35 PM

東横線相直はやはり湘南新宿ラインとの絡みが出てきましょうや。構想具現化への道程は13号線Goと前後する部分とも思われますし、その延長線上でまさかの相鉄直通(神奈川東部方面線の変形)となっていったと。

副都心線そのものについては、新宿三丁目というところをどのように評価すべきかという点で、当方的には1998年当時も、現在でもネガティブに捉えています。結果的に丸ノ内線との乗換通路はなかなか頑張ったとは思うものの、新宿西口方面との連絡に難があるとせざるを得ませんし、雑司ヶ谷近辺の再開発効果というのもどこまでなのかと。
…ま、そんなことよりも、「東急」渋谷駅で小手指やら飯能やら、ましては「西武球場前」行なんてのが拝めるようになったのですから、東急8500系が三越前と掲げていたのにインパクトを受けていた世代としては、箱根山は遠くになりにけりということなのでしょうか。

Posted by: 551planning | Tuesday, August 12, 2008 at 11:25 PM

初めて投稿致します。長文で直言もありますが御容赦ください。

>そう、従来の公共工事で国の資金を地方へばら撒くのではなく、民間資金による都市活性化もまた小泉政権の政策の目玉だったわけです。

この時期外環や圏央道、首都圏の国道などに予算の重点を移す傾向がありましたし、公団民営化、道路財源の総額の変動に関わらず、継続しました。街路事業でも総額は横ばいか減額、後増額と多様な変動があった中で、連立事業への配分は好不況に関係なしに年毎に増額されて今や10年前の倍の規模で同事業の2割を占めます。その理由は言うまでも無く、首都圏では基本的な社会資本が不足したままであり、「ばら撒き」と安易に切り捨てられるような状況ではなかったからであり、地方へのばら撒き批判の裏には、都市側が収めた税金や経済力に対して応分の投資を求めていたからでもあります。

また、都市再生として都心の幾つかの複合開発が持て囃されたのは事実ですが、それらの大半が長期の懐妊期間を経ての結果でした。シムシティじゃあるまいし権利調整はそんな簡単に行く筈がありません。纏まった土地ならデベロッパーにも先が見えます。さらに不動産市況の動きから都市再生を演出した一要素である都心回帰は、その根幹となる中高層マンション向け用地の取引から橋本内閣時代に先が見えていました。そういう意味で、キーは90年代以前にあると考えます。5年、10年、20年といった長期計画は景気循環に一致させることは実質的に困難ですし、計画のペースも下手に下げ続けると組合自体の存続に関わるほどフラストレーションが蓄積します。このためか傍から見てる限り、当事者は一過性の景気にはそれほど重きを置いていませんね。

現に、例えば六本木ヒルズの完成はITバブルが弾けて不況の海に沈んだ後のことでしたし、2000年以後の不況下でも都心の人口回帰、マンションの竣工は継続していた筈です。必ずしも景気回復と一致しているわけではないし、大江戸線現象については小泉政権が金を使ったり地ならししたとは言い難い。竣工時期のみをもってブームと形容するのは如何なものかと思います。


>国鉄末期に突然中央線三鷹~立川間の複々線化計画のラフを発表して自治体に都市計画決定を促したことがあります

あれが突然と呼び得るならば日本中の連続立体交差は突然計画されたことになります。現実には三鷹までの完成後、地元商工団体、住民等からの要請や、それに対する国、国鉄などとの調整が延々とありましたし地元住民にも折を見て知らせています。首都圏計画地図でも少しは触れ、佐藤信之氏も2004年に鉄道ジャーナルで採りあげています。話が振り出しに戻ったのは都市側の合意形成がならず、その間に国鉄が潰れたからです。機会としては10年以上の期間があり、他の4方面と殆ど同じスタートでしたが杉並3駅の真似をしようとしてほぼ全市が優等停車や始発を要望するなど、調子に乗って際限なく要求する間に無意味に時間を浪費しました。それを知る身としては「中央線が好きだ」の広告の夕方のバージョンで、やたら沿線(の文化)を褒め上げているのは強烈な皮肉を感じますね。JRの担当は地元に「中央線にはもう関わりたくない」とまで言った事があるんで。

>東新宿に待避線を設けての急行運転など、営団時代には考えられなかったチャレンジ
御自身で書かれておりますように待避線設置は営団時代の計画によっています。路線の性格も副都心だけを貫通するものですし、単純に比較できません。また、その上の明治通りは鈴木都政の意向で80年代頭から拡幅の用買を行っており、初期に建設された地下鉄路線と異なり空間には余裕がありました(山手通りも同様で、大江戸線に影響している)。待避線を設ける場合はそれなりの道路整備がなされてなければ出来ません。瑞江のように路線が何も無い状態で且つバブル前の安価な地価で地上権設定できる住宅地に建設したなんて例は、山手線内やその周辺には当てはまらないでしょう。

そもそも都内に限っても公営そのものの都交でやっていたわけですし、有楽町新線だって営団の他路線とは比較にならないチャレンジな構造です(上の道路を含めれば整備の仕方自体があまり例が無い)。京王新線とは類似してますが。ですから発想として取り入れるのは経営形態とは無関係です。

>94年に有楽町新線として開業した時点で、渋谷延伸まで見通せていたというと、疑問が残ります。

7号答申にも記載されてます。しかも、15号答申の時点で新宿までは示してありました。

結局のところ、建設の決定自体は混雑緩和という視点から見た、優先順位の問題に過ぎません。民営化とは裏を返せば営団という組織を何時まで生かしておくかということです。また政治家の運命は急病(小渕)や舌禍(森)でも変化します。この2者という、偶然の重なりの後、小泉政権が生まれている訳です。選挙も似たような面は常に、あります。

昭和時代には既存路線の容量がパンクしたために、都市交通審議会6号答申で緊急整備対象に指定された、有楽町、新宿、半蔵門にリソースが集中し、それ以外に手を回すのが繰り延べされました。東京の地下鉄の殆どが現在より人口の少なかった昭和40年代末までに答申されたものであることを考えると、潜在的な社会要請はずっと継続していますので、問題は地下鉄補助のスキームや規模、出資者の意向にあります。南北線も積み残しの例で、7号答申まで持ち越したことを答申に関わったプランナー自身が悔いている良い例です。

ご存知とは思いますが副都心線も、本来は戦後の東京圏鉄道計画の最後のあだ花であり、山手(および埼京)と合わせて、緩和を実現するためのものです。人口フレームに先が見えていた以上、ずるずる延びていたものを着工するのは当然でもあります。民営化へのロードマップと調整することもね。メトロや東京都は長期構想を短中期的に上手く活用していただけでしょう。

また、誰かが以前から着手していたプロジェクトを、時の権力者が自分の成果であるかのように誇示することは珍しくありませんし、受け取る側にもそういう誤断はあります。

新規路線にありがちな初期トラブルにしても少々大袈裟に捉えすぎなのではないですか?新車を削ったのは確かに民営化や自由競争原理への政策的な働きかけが影響した結果、とは言えるかもしれませんが。加えて相互直通もなければ車種も揃っており、これを見るまでも無く試行期間まで設けている山手線に、システムトラブルという以外共通の教訓など無いと思うのですが?

越沢明は表参道の並木道を理想的な都市計画の遺物として紹介し、その際広い並木道の効果として、洒落た商店街と賑わいがあるという趣旨のことを述べていますが、別に後者ありきで並木道を整備した訳ではなく、インフラが無ければ何も始まらないことも述べています。ストックとは本来、そういうものです。

>というわけで、東京一極集中もほぼ限界でしょうか。
私は一極集中を肯定する者ではありませんが、20年後では人口フレームがまったく異なります。一極集中策以外を採用しても、いずれはパイが縮む影響を首都圏も受けることでしょう。そもそも副都心自体、一極集中を回避するための施策ではあったんですが、この辺言葉の定義があいまいですよね。

いずれにせよ、現状のブームはその10年以上前に撒かれた種がある訳で、現状の連立事業とそれに関連する再開発の促進策、利便増進法等を見ていると、個別の案件で極端なブームは無いにしても、将来郊外全体で都心の商圏からパイを奪う(取り合う)ことはありえると思います。

そう言えば、この間も京王の投資を取り扱われていた際に「ATC化でスピードアップが予定」などと書かれていましたが、そのようなリリースは無いと思うのですが。京王の説明としては福知山事故で改正された技術基準省令に沿って安全に重きを置いた内容だけですし、京三からもそんな説明はありませんが、ソースをご存知でしたら御教授ください。

Posted by: 通りすがり | Saturday, August 16, 2008 at 04:01 AM

長文のコメントありがとうございます。確かに大都市圏のビッグプロジェクトは、懐妊期間が長いわけですから、関係者が意図したようには進まないものでしょう。それは承知の上ですが、副都心線に関しましては、かなり微妙なタイミングで意思決定されたものであることは、事実を以て指摘できますし、私が述べていることも、その域を出る話ではありません。

その上で申し上げますが、混雑緩和を目的とした東京圏鉄道計画の答申(都市交通審→運輸政策審)自体は、古い歴史がありますし、その時代時代で東京都の都市計画や国鉄の長期計画との整合性に齟齬が出たり、答申でルートなどあえて曖昧にされていた部分に私鉄の免許申請が為されたもの(相鉄いずみ野線が典型)や、具体化のために第三セクターや国の特殊法人(千葉NT開発を目的に宅地開発公団が発足)まで作られるなど、実に何でもありの状況で制度的な整合性は見られません。

そういった中で、混雑緩和はなかなか進まなかったわけですが、それが地方へのバラマキを原因として首都圏の社会資本ストックが投資不足であったとする立場は私は採りません。鉄道に関してはむしろ低運賃政策を前提とする投資利回りの悪さの結果に過ぎないと考える方が自然だからです。都市開発に伴なう集積の利益は肯定しますが、そのための集積のコストが正しく負担されていたかという点に疑問があるわけです。輸送力増強に必要なコストが事業収益から得られない状況こそが本質で、明らかな制度の失敗なんです。

逆に地方の過疎の問題は、日本に限って言えば、農地法の縛りで農業への参入が制限されている一方で、恣意的に農地の転用が為されている現状が災いしているものです。その結果、例えば北関東エリアなどの平地で水も豊富で市場アクセスも有利な優良農地でさえ、農地の大規模化が阻まれる一方で、相続を巡って虫食い開発がされてしまう状況を作り出しております。こうして農業が疲弊すれば輸入農作物との価格競争で劣勢となっていくわけです。消費地である大都市圏の購買力が海外へ流出するわけですから、大都市圏で集めた税金を地方へ渡さなければ、地方はもっと疲弊していたでしょう。耕作放棄、居住放棄は経済インフラとしての内なる国土の消失なんですが、その一方で竹島の領有権を韓国と争うというのは、どう見ても矛盾してます。

誤解のないよう申し上げておきますが、地方バラマキを肯定しているわけではなく、個別政策の整合性のなさが、いかに矛盾を拡大してきたかを申し上げているわけです。その結果叶わない混雑緩和の目標達成を持ち出して投資を肯定しても空しいだけです。それよりも個別の投資がどれだけ私たちを豊かにしてくれるのか、その部分に注目する方が重要でしょう。問題があれば指摘する、私の変わらぬスタンスです。

Posted by: 走ルンです | Saturday, August 16, 2008 at 07:23 PM

お返事ありがとうございます。

確かに審議会の答申は、各社および沿線地域の要望を纏めただけと言う側面があります。これは、審議に当たってそれぞれに対してヒアリングを行ってから審議会で調整して答申している以上、当然のことだと思います。しかしながら、例えば1985年の7号答申では常磐新線、および7号線と目蒲線の処理の2懸案について、各社の意向を踏まえつつ、比較検討を経て、最終的な調整機能を果たしており、審議会もそれなりに重要な役割は果たしています。答申についてはその結果だけが提示され、作成過程については十分に周知が図られてきませんでした。例えば答申で採用した案の他にどのような案が出され、取捨されたのかについては、業界紙であっても殆ど報道されませんし自治体でも希望がどう評価されたのかについては大抵は把握していません。従って情報公開(共有)の問題でもあるわけです。

御指摘の宅地開発公団のほか、多摩ニュータウンアクセス鉄道のためには民鉄線方式という補助方式を作ったり、常磐新線では宅鉄法を整備しいわゆる受益者からの開発利益還元を含意するなど、確かに制度的な整合は見られないですね。

地方ばら撒きへの批判は貴殿も強く批判してきたところであることは承知しており、民意としても総論では社会的合意は得られている部分かと思います。農業と地方の疲弊についても食糧管理法時代から再三に渡り指摘されてきたことです。

その上で、
>その結果叶わない混雑緩和の目標達成を持ち出して投資を肯定しても空しいだけです。
今回のエントリで対象にされているのは旧営団地下鉄の担当路線です。地下鉄建設において問題であったのはいわゆる53ルールから平4ルールへの改善といったような、補助方式のあり方や90年代以降の財投批判の高まり、或いは公営企業債の償還ルールではないですか。またメトロとしての評価基準と営団としての評価基準は別です。メトロとしてはどのような施策で収益を確保するかが明確に主目的になりますが、以前からの混雑緩和目標ともバランスしており、副都心線はその意味で重層的な性格は持っていたでしょうが、大幅に遅延したとは言えそれも叶ったと述べているだけです。

低運賃政策による弊害は森谷氏が詳細な分析を世に問う前から当事者より主張されてましたし、正しい指摘だと思いますが、その被害者として採りあげられてきたのは主に民鉄や国鉄です。鉄道路線の建設には多様な要素が絡むのであり、どこに重み付けするかという意味で、単純比較は出来ないと考えます。また、民鉄や国鉄は多くの連立事業を梃子として、社会から求められた要求に答えようともしてきましたが、逆に言えば地域が連立の立ち上げを阻害するような矛盾した行動を取れば、それも大きな因子となります。地域社会から見れば、それは運賃政策に比較しても決して小さな影響で済まされることではない、制度の失敗を内在しているのです。

もっとも、立体化に必要な財源を税でまかなう連立のスキーム自体を運賃で代替するという選択肢も、理論的にはあり得ましたし、連立の制度を設計する際に俎上にもあがっています。古今東西の事例を見て都市鉄道に適用した事例は知らないのですが。

鉄道以外の社会資本に関しては、言うまでもありませんね。説明因子として公的資金の比重が圧倒的に高まりその分配方法が問題になるからです。農業とは別の意味で制度不良と野放図な民意による自滅であることは明らかです。その流れで申し上げれば貴殿は以前、新幹線か何かを槍玉に挙げた際にどこかの地方を「民度が低い」と仰っていましたが、集積の恩恵にどっぷり漬かっている都市側寄りに過ぎますね。前回の投稿で述べたことや、杉並ゴミ戦争などを挙げるまでも無く、例えば東京都民にはそれほど人に誇れるような「高い民度」なるものばかりであったのか実に疑問です。

また、貴殿にしばしば見られることですが、ある分野の政策で矛盾を抱えているからと言って、それを別の分野の政策での行動と安易に(全てがそうだとは申しません。念のため)関連付けるのはどうかと思います。細かな事実誤認を積み重ねて主張内容を補強する傾向も同様です。

本エントリで対象にするような内政とは無関係に、竹島については総じて舌戦の段階以上のレベルではないし、比較の対象とすること自体が不適当でしょう。仮に「内政の失敗をナショナリズムで誤魔化しているのだ」という観点からの指摘であるならば別ですが、それにしたところでむしろ韓国により当て嵌まる事実ですし、日本に関しては政治の側からの煽動を主要因として説明するのもおかしいでしょう。別の例えをするならば、竹島の日を制定するような県(およびそういう県議を送り込んだ県民)だから、一畑の生存戦略や欠損補助とはまったく意味合いの異なる補助方式の導入など、地域が出来る範囲内一杯の努力を行っていてもそれは空しい、というような議論の仕方と同じであり不適当だということです。

Posted by: 通りすがり | Sunday, August 17, 2008 at 01:50 AM

再度のコメントありがとうございます。内容が込み入っておりますので、ご指摘の件全てにお答えできるわけではありませんが、基本的に記事で指摘した点は、細部にはいろいろ難点があるのはご指摘のとおりですし、単なる時期的な符合に過ぎないと言ってしまえばそれまでです。

にもかかわらず、これだけ「偶然」が重なっているのもまた事実です。その見方を示すことに違和感を覚えられているようですが、それを事実誤認と認定されても、返答に困惑するばかりです。単に見方を提示しただけですから。

それと、誤解されているようなのですが、確かに中央線の連続立体化が大幅に遅れた理由は、地元自治体の快速停止要求によるものですし、その元は杉並区が地元選出議員まで動員して国鉄に圧力をかけたことに由来するのもまた確かです。当時杉並区に住んでおりましたのでよく覚えておりますが、平日はベタ停車、休日は飛び石停車という足して2で割るような妥協策に落ち着いた結果、むしろ地元では「休日も快速を止めろ」という声が残り、延々と圧力をかけ続ける結果となりました。当時の国鉄に毅然たる態度を期待するのは無理だったにしても、この無定見な妥協が、後々まで災いしたものです。同じ時期、都営地下鉄の相互直通運転を開始した京浜急行が、東京都の圧力で青物横丁への特急停車を呑まされたときに、特急の上位種別の快速特急を設定してシレッと切り抜けたのは見事でした。ちなみに都営新宿線との相直時に、東京都は京王に特急の笹塚停車を要請して断られております。さすがに時代が違います。

どうも鉄道事業は民間主体の方がうまくやれるようだという印象は当時から持ち続けております。沿線住民とのコミュニケーションの濃度というか、本気度というか、そのようなものの違いは明らかです。

そんな風ですから、私自身は国鉄も営団も民営化大賛成でしたし、結果的に良い成果が出ていると思います。ただ、制度設計にはいろいろ難点もあり、制度移行時の不透明さもありますので、その辺はきちんと見ていこうとも思っております。

その上で、上記の中央線の連続立体化にしても、当面、線増を凍結する前提での事業に後退せざるを得なかったのは、国鉄時代の安易な妥協が負の遺産になっていて、JR東日本単独では払拭できなかったわけです。鉄道を取り巻く問題の多くに、この手の半ば制度化された過去の不始末のツケみたいなものが多いんです。これを一つ一つ解きほぐす作業には多大なコストがかかってしまうものです。それはときには鉄道事業者の手に余る問題でもあります。

この辺のことは、言葉で説明するのが難しい部分なんですが、だからこそできるだけ言葉で残したい部分でもあります。私の拙い文章力ではなかなか果たせませんが。

あと竹島問題について。そもそも国土って国民共有の経済インフラで、個別の土地には所有者がそれぞれいるにしても、国土であるということは、制度インフラとして共有されているものであるわけで、それをファインチューニングできない政府に竹島を管理できるのかというのが納得できないんです。その前にやるべきことがあるだろうという意味です。韓国の主張に正当性があるかどうかは知りませんが、あまり経世在民に活かされているようには見えませんが、日本が領有しても大差ないでしょう。

Posted by: 走ルンです | Monday, August 18, 2008 at 08:58 PM

京急の快速特急設定はそれこそ「偶然」乗り入れと
タイミングがリンクしたということはないでしょうか?

青物横丁に当時住んでいた両親から、かつて「京急に
超特急ができるという触れ込みがあった」と聞きます。

超特急そのものが今の快速特急なんですが一般的に
利便性向上は上位種別設定よりも下位種別設定がかつて
は多かった(今は速達性が問われるのでベクトルが逆
になりましたが)のを京急はあえて上位種別というのを
作ったのは相当な事前の計画があったやに見ます。
(だから「超特急」とかいう奇天烈な名前が噂で上がった
と思うのです)

実際、数年前の京急の種別大削減(日中の特急廃止)
などはあおりを受ける横浜以西(汐入など)には相当気を使ったようで
実際にはその後分割快特を用意して不利益をカバーした例も
あるところから

都の要請⇒京急飲む⇒上位種別設置というのは仮に要請が
なかったとしても実施されたと私は推測いたします。

Posted by: SATO | Wednesday, August 20, 2008 at 12:10 PM

コメントありがとうございます。京急の件ですが、確かに単なる偶然の符合である可能性はあります。ただし相互直通のタイミングがやや微妙なんです。

ご存じかと思いますが、元々1号線規格で建設予定だった6号線への東急の相互直通希望問題があって、しかも東急側の都合で計画が遅れたために、三田以南の都市計画手続きが待ちぼうけとなり、都営1号線(後の浅草線)は、長らく大門で折り返しを余儀なくされておりました。その分京急との相互直通の実現は遅れたわけですから、この辺はそれこそニワトリとタマゴの関係ですが、都の青物横丁停車要請とお話の「超特急」構想の前後関係は微妙な話になります。

というわけで、今となっては断定できる材料がないのです。

Posted by: 走ルンです | Wednesday, August 20, 2008 at 05:41 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50724/42037748

Listed below are links to weblogs that reference 副都心線現象?:

« 磁気券IC券二重価格in新横浜 | Main | JR東海が日本車輌を子会社化 »