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November 2008

Monday, November 24, 2008

苦戦する京阪中之島線

京阪中之島線が苦戦しているようです。

京阪中之島線、乗降客1日3万人
1日3万人というのは、10/19から10月末までの平日の集計ということで、わずか10日間の実績ですから、大げさに考える必要はないのかもしれませんが、いささか拍子抜けでしょうか。実際電車は空いているようです。ただし通勤客主体の利用であれば、定期券の切り替えに時間がかかるのは、大都市の新線では通例でもあります。まだ結論を出すのは早いのでしょう。

にしても開業を伝えるニュース自体が少なく、首都圏在住の身としては、情報不足は否めないところです。また実際メディアの取り上げ方というか、扱いも小さいようで、東京メトロ副都心線のときとは雲泥の差です。そんな中で個人的なトピックが重なります。というのは、11/22発売の月刊ビジネスアスキーのWhat's upというページの中のコラムに、中之島線の開業に関する短い文を書きましてた。ライターデビューですが、新線開業に対する大阪人の期待というか、熱狂に焦点を当てた文で、それを首都圏に居る私が考察したという不思議な成り立ちです。ご笑覧ください。

というわけで、初めての活字メディアですが、ネットと違ってさまざまな制約がある中で、何かを伝えることの難しさを痛感いたしました。同時にコンテンツ自体が編集さんとのやりとりの中で作られるいわば共同作業ですから、当ブログの書き込みほど切れ味がないと言われるかもしれませんが、メディアの性格上の問題です。またプロの編集者の依頼を受けたこと自体は、私の情報発信のスタンスが評価されたものと素直に嬉しいことです。同時に玉石混交のネットの中で、コンテンツの質を担保することの重要性も感じます。と同時にネットをコミュニケーションツールと見れば、むしろ完成度をあまり上げずにあえてツッコミどころを残して、読者の反応を引き出すというのもありなわけで、スキがあるからこそネットは面白いともいえます。ネットと既存メディアのメディアミックスは試行錯誤段階が続きそうです。

本題に戻しますが、1日3万人というのは、新線区間の4駅の乗降人員という意味になります。目標が8万人だったので、半分にも満たないわけです。既存線区間では、京橋の20万人を筆頭に淀屋橋の13万人が続きますから、鉄道ネットワークから孤立している新線の需要を過大評価しているわけでもないようです。前述のように、開業直後の短期間の実績ですから、過大視する必要はありませんが、経済情勢が逆風になる中で、厳しい門出には違いありません。

また中之島線が公的な補助を得て建設されたわけですから、利用の低迷は1民間企業の問題では収まらないこともまた確かです。この償還型上下分離方式は、従来公営交通の分野とされていた大都市内の高速鉄道整備に関して、第三セクターのような公的主体が整備して事業者にリースすることで、そのリース料で事業費を償還する仕組みですが、従来公営交通にしか認められなかったいわゆる地下鉄補助と同等の補助を受けられる点が新しいといえます。川の中州の軟弱地盤を掘り進む難工事ですから、京阪単独では着手できなかったでしょう。

そして中之島線が中之島地区の再開発計画と一体の計画であるからこそ、公益性が認められて国、大阪府、大阪市の予算が認められ、事業化されたのが2001年3月ですから、短期間で実現できたことになります。実はこの短期間という点が重要なんですが、地盤沈下著しい大阪経済の浮揚に対する期待が見え隠れします。

大阪での大規模再開発の目玉は、梅田北地区の貨物駅跡地でしょうけど、大規模ゆえに開発期間が長く、実際に開発利益を回収できるのはかなり先の話になります。その間にも大阪の地盤沈下は進みますし、一方でウオーターフロント開発は五輪招致の失敗やUSJ,WTC,ATCの収支低迷などで負の遺産を膨らませているだけに、限られた地方財政の体力の中で短期間で都市再生の果実を得られる案件として、中之島の再開発が浮上したものです。中心は朝日新聞大阪本社やフェスティバルホールの建て替えで、中之島線の渡辺橋が最寄となります。またここは堂島川を挟んで対岸にはドージマ地下センターが広がり、JR東西線北新地駅も徒歩圏となります。乗客を奪ったライバルの駅勢圏を侵食するわけですね。加えて終点の中之島は阪神福島、JR新福島付近のいわゆる梅田西地区の再開発エリアに近く、これら民間主体で進む再開発を活性化させる期待は大きかったと思われます。

というわけで、事業化のスピードという点、直後に発足した小泉政権で大都市再開発を経済浮揚に活かす姿勢などが相まって、開業にこぎつけたという意味で、やはり副都心線と対を成す事業といえるかもしれません。また開業時には再開発ブームの裏づけとなる不動産ブームが終焉していたことも共通です。もちろん構想自体は以前から存在したものの、1989年の運輸政策審議会の答申に取り上げられたのが最初ですから、やはり実現のスピードの速さは特筆されます。

これはもちろん事業者としての京阪電気鉄道の執念もあるでしょうけど、都市再生を掲げた時の政権の影響は無視できないところです。繰り返しになりますが、再開発のブームは去り、経済は再び下降局面にあります。悪いことに米国発の金融危機が後を追い、実体経済も冷やしてますから、その意味では中之島線は波乱のスタートを切ったわけです。、

とはいえ開業時の記事でも指摘したとおり、元々は複々線の都心側への延伸という性格の路線ですから、京阪自身のダメージはさほどないでしょう。むしろ助成した府や市が魅力的なまちづくりを継続できるかどうかが問われます。

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Tuesday, November 18, 2008

あお色エレジー、千代田線に来ぬ新車

タイトルは千代田線ですが、JRネタです。不動産屋の「千代田線、北小金駅」ではないですが^_^;、一体性の強い常磐緩行線の話題です。JRとメトロ、それぞれの前身である国鉄と営団地下鉄の奇妙な関係の話です。

千代田線は元々1960年の東京都都市計画高速鉄道10路線中の8号線として示された路線で、小田急線喜多見を起点に、原宿、永田町、日比谷、池之端、日暮里を経て松戸方面への路線として計画されました。喜多見は、多摩ニュータウンへの新線を計画する小田急線との相互直通を意識したものと思われますが、62年の運輸政策審議会の答申では、9号線(芦花公園~新宿~上野広小路~両国~浜松町~麻布)と共にキャンセルされ、都計10号線(中村橋~錦糸町)が繰り上がって8号線を名乗りました。おそらく相互直通相手と目された小田急、京王両社が乗り気でなかったのでしょう。

その後64年に喜多見~代々木上原間を小田急線の線増として、松戸方面も西日暮里~町屋~北千住~綾瀬というルートに変更され、国鉄五方面作戦による常磐線複々線化と併せて相互直通する9号線として復活しました。この時点では事業主体も営団で確定し、おそらく水面下での関係者の折衝の結果、復活したのでしょう。

営団も国鉄も、いわゆる公共企業体という組織で、公的な機関だけれども、民間企業に準じたガバナンスの下、独立採算を求められる組織で、それぞれ特別法を根拠に設置された、いわゆる特殊法人です。ただしその中身はかなり違います。

元々鉄道省として国の行政機関の一部だった国鉄は、鉄道省の現業機関として、民営化前の郵政3事業のような存在でした。同時に鉄道省自体は、私鉄、バス、民間船舶、航空など運輸全般を司る監督官庁でもありました。この辺は以前の記事でも触れておりますが、元々鉄道事業は国の事業であり、国家独占の前提があったわけで、その中で民間事業者が参入するうためにはお伺いを立てて免許の交付を受ける必要があったんですね。ゆえに国鉄並行路線の新京阪鉄道のターミナルに制限を加えるような恣意的な対応も見られました。

1940年頃からの戦時体制下の省庁再編で、産業政策を司る商工省と統合、その後現業機関の郵便事業を持つ逓信省に移管され、戦後運輸省として独立するんですが、GHQの命令で現業機関を公社として分離することを求められ、公共企業体としての日本国有鉄道に改組されます。ただし行政機関だった時代の権限の多くを引き継いだために、監督官庁である運輸省よりも強い権限を有するという逆転現象が起きます。つまり国鉄自身による鉄道整備、運営は、国鉄の判断で行えて、運輸省の免許等は不要でした。その結果反対を押し切って東海道新幹線を実現させることができたわけですが、同時に独立採算を盾にローカル線の建設は不熱心でしたので、後に鉄道建設公団が作られ、財政投融資資金を投入して建設された地方交通線及び地方幹線を国鉄が引き受ける制度が作られ、さらにあれほど反対された東海道新幹線の業績が好調になると、今度は全国新幹線網整備法という法律を制定し、新幹線の建設と運営を運輸省の命令で実施するようになりました。この法が民営化後も形を変えて生き残り、現在の整備新幹線問題や中央リニア問題となって今に至ります。純民間資金の事業であるはずの中央リニアが、国の命令によってしか動かないという制度は、メディアの記者たちにもあまり知られていないようで、見当違いな報道が少なからず見られます。

脱線しましたが^_^;、一方の営団は、元々民間の手で地下鉄を開業させた東京地下鉄道と東京高速鉄道を前身としており、戦時統合で東京の地下鉄事業を行う半官半民の組織としてスタートしました。今流に言えば第三セクターといったところで、当初は東急の持分もあったんですが、後に返上させられ、国鉄と都がほぼ半分ずつ出資する形態の組織となり、国鉄分割民営化で国鉄の持分は大蔵省(後の財務省)へ移管され、現在は民営化を前提とした特殊会社の東京地下鉄株式会社となっております。出資比率は国53%、都47%で、国と都の保有株の一括売却による完全民営化の方針が打ち出されておりますが、具体的な進捗がないまま、世界同時株安でそれどころじゃなくなりました。

元々大都市の市内交通は公営事業者の領分という意識が強かった中で、東京に関しては、何度も都市計画を発表しながら、多額の建設費を捻出できずに民間事業者に出し抜かれた東京市の自治能力に国は元々疑問を持っていたようで、戦時体制で東京府と東京市を併合して東京都とするなど国家統制を強め、地下鉄事業も出資は認めながら交通局の参入を許さなかったようです。

公営交通についても、日本は特殊な位置づけがありまして、国ではないので民間事業者と同様に事業への参入は国の免許の交付を受ける必要があったんですが、公的主体で営利目的でないということで、例えば運転士の動力車運転免許取得の免除や、固定資産税納付の免除など、民間よりも優位な条件で参入できますが、東京市はそれを活かせず、地下鉄事業で後れを取ったわけです。営団も一応は公営に順ずる組織ということで扱われました。また優位性を活かして収支も良好で、運輸省子飼いの優等生というか、いわゆる運輸省の省益と見られていたようです。

そういった両者ですから、不可思議な関係が幾つか見られます。例えば地下鉄東西線ですが、都市計画5号線として決定された段階では事業主体未定で、国鉄による整備が期待されていたようですが、国の機関だった国鉄が格下と見る東京都の都市計画には従わず、結果的に営団が事業主体となりますが、いわゆる通勤五方面作戦の先駆けとなった中央線中野~三鷹間複々線化事業と並行して整備されました。

その一方で都計10号線→答申8号線として計画された路線では、総武線複々線化の受け皿を意図したと思われますが、無視されて、国鉄単独事業として総武快速線(東京~錦糸町)が整備されました。ただし総武線の混雑は快速線の完成を待ってはくれず、緊急避難として国鉄から営団に地下鉄東西線の西船橋延伸を要請し、営団にとってはエリア外となる千葉県への路線延伸が実現することとなります。このくだりは川崎市営地下鉄の記事でも指摘いたしました。国鉄と営団の特殊な関係が如実です。

で、やっと千代田線ですが^_^;、営団が初の電機子チョッパ制御車で省エネの6000系を用意(初期には東西線5000系にCS-ATCを搭載して投入)したのに対して、国鉄が用意したのが、103系1000番台でした。当時の標準型通勤車の103系に、地下鉄線内での高加速性能を付加するために、電動車比率を高めて限流値を高く取って、つまり抵抗を早く抜いて高加速を実現するという仕様で、床下の抵抗器から強烈な排熱を放出する文字通り走るトースターのような電車でした。そのために営団6000系と比べて電力消費量が多く、その点を会計検査院に指摘されて、以来電力費の差額精算を余儀なくされました。国の特殊法人という国鉄と営団の性格が良く出たエピソードです。

とはいえただでさえ赤字で苦しんでいた当時の国鉄にとって、この電力費差額精算は負担でした。ゆえに高速チョッパ車として201系が開発されると、同じシステムで常磐緩行線用の省エネ車の開発が当然のように浮上します。それが203系だったわけですが、急ごしらえで予算不足が災いし、特に高価なアルミボディの出来が悪く、走る度に窓がバタつくノイジーな電車となりました。そのボロさ加減はやはり粗製乱造車の京王6000系と良い勝負といいますか、地下鉄線内で姿が見えないのに音でわかる情けなさは同じです。

同じチョッパ制御システムを用いた201系が、長寿命設計で車体だけは無駄に丈夫なのと対照的ですが、トラブルの多い201系はE233系による置換えがほぼ終わりを迎える一方、203系の置換え用として登場が予定される2000番台は未だ姿が見えません。当初予定されていなかった京浜東北線用1000番台、近郊型仕様の3000番台、私鉄向けとして小田急4000系(ドア中心間4,820mmの標準寸法で独自電装品)、相鉄11000系(ドア中心間寸法も電装品もJR仕様)と、次々派生車種が登場する中で、後回しとなってしまいました。地上で併走する快速線がE231系とE531系で新車オンリーとなっただけに、みすぼらしさもひとしおです。E233系2000番台については一応2008年度の投入がアナウンスされてますが、年度内に営業運転までこぎつけるなら、年内に第1編成が登場してもよさそうですが、どうなるでしょうか。

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Thursday, November 13, 2008

銭トレニャア、ナゴヤはオワリ?

うーん、株価が戻りません。ゆえに買い増しのチャンスという見方を変えた方が良さそうな感じです。原因は複数あって、特に外国人売りの地合いが強いようですが、誤解のないように指摘すれば、主に欧州各国で銀行への公的資金注入が行われた結果、政府主導で国内中小零細企業への貸出増加の圧力がかかり、投資原資として外国資産の処分が行われているもようで、ひと頃言われたジャパンパッシング(日本素通り)とは別の要因です。欧州では社会の装置に過ぎない銀行の救済よりも預金者や融資先の保護に重点が置かれているわけです。

とはいえそれだけで現在の株価が説明できるわけではなく、実際これだけ安くなったのに買いが入らない状況は、プロに言わせればあり得ない話と言われ、実際PER(株価収益率)が5倍とか、PBR(株価資産倍率)が0.5倍といったアンビリーバボーな数値が並びます。後者など会社を廃業して資産を切り売りした方がマシというレベルです。やはり前に指摘した株式持合いの負のスパイラルが原因のようです。悪い予想ばかりが当ります。

で、持合いの中心には銀行が居て、現在の株安を先導している状況をどう見るべきでしょうか。日本では銀行は救っても預金者や融資先は救わないのでしょうか。現在国会審議中の金融機能強化法でも、政府案では公的資金注入に際して経営責任を問わないことになっておりますが、それでいて貸し渋り防止策を謳っているのは矛盾しております。ま、この辺は90年代末の金融危機のときも政府の対応は基本的に変わっていない気がします。担当大臣が外国に「自慢」した公的資金注入にしても、長銀と日債銀の救済策は元々民主党案を丸呑みして実行したもので、こちらは経営陣の更迭と0円評価での全株式取得という形で経営責任と株主責任を問うたものでした。その仕組みを使い回して2002年にりそなへ資金注入したしたことで、政府の関与による金融秩序の回復期待が好感されて7,000円台だった日経平均株価が反転上昇に転じたことで、銀行の保有株が値上がりし、あれほど経済の重石となっていた不良債権問題が嘘のように解消したものでした。いわゆる竹中プランで、大手行に対しては経営責任を強く問いましたが、地方経済への負のインパクトを回避するために、地方銀行の不良債権処理は途半ばとなり、保有株価の上昇で見かけ上の自己資本は回復したわけです。それがリーマンショックの株安連鎖で資本が毀損し、さらに2006年下期以来の不動産不況も重なって、元々建設や不動産関連の融資が多かった地方銀行のバランスシートを傷める結果となっております。つまりは地方銀行に元々隠れていた不良債権問題が顕在化したわけです。

地方銀行でも、破綻すれば影響が大きいと考えられる上位行の足利銀行は、上記のブリッジバンク方式で一時国有化され、再建されて野村グループに転売されたのですが、規模の小さい地銀下位行や第二地銀ではそれは通らない話で、実際不動産不況関連で初めてのペイオフ実施が囁かれてさえいたのですが、世界金融危機に便乗して一転救えという話になりました。いわゆる焼け太りです。同様に流通市場が消滅して値決めできないという実務上の制約から、社債や証券化商品について時価会計を一時凍結しようという気運が欧米で出ると、流通市場が機能していて値決めが可能な株式や国債にまで適用しようと画策する日本政府の姿勢は、むしろ国際的に不信を買います。お願いだから15日の金融サミットでバカなこと言わんでくれ。

そんな中でトヨタショックがあったわけですが、メディアの取り上げ方はかなり一面的です。減収減益の直接的な原因は北米市場の冷え込みですが、メディアの論調としては円高の影響を過大視する傾向があります。既に現地生産比率が高いトヨタですから、為替変動の影響に対しては耐久力があります。実際経常利益7割減とはいっても、去年までの数値がむしろ円安メリットで高めに出ていたと見る必要があります。特にレクサスのように日本で生産して北米で売られる高単価車の寄与が大きかったのであって、その部分が金融バブルと共にしぼんだだけです。そういう意味ではマイナスには違いないですが、元々財務の強いトヨタですから、仮に単年度で赤字転落しても、さらには赤字が数年続いても、存亡の危機にはなりえないので、その辺がビッグ3とは大違いなんです。

とはいえ自動車不況の現実は確実にあるわけで、実体経済への影響は計り知れません。特にトヨタの減益発表のインパクトで怖いのは、納入する部品メーカーへの影響で、既に中部地区では衝撃が走っております。好調時には納入価格を叩かれた上に、不況で減産となれば真っ先に影響を蒙るのは、こういった下請企業群です。トヨタは安泰でも下請け企業は存亡の危機となるわけですが、よくよく考えれば、真に必要なサプライヤーならば、発注元企業が資本を入れれば良いわけですが、そうはせずに公的資金で助けられた銀行の融資や都道府県信用保証協会の保証業務などで延命させると、再度好況に巡り合わせたときに、使える安値受注のサプライヤーを温存できるわけです。つまりトヨタのような親企業だけが富む構図ですね。結果的に国内消費をリードしてきた名古屋景気はしぼみ、中小企業は疲弊する構図です。地域のトヨタ依存が高すぎた反動ですね。

その影響で栄の老舗デパートをなぎ倒したジェイアール名古屋タカシマヤも業績にブレーキ、JR東海の連結業績にも影響しています。さらにこんなところにも変調が。

中部空港、4-9月初の赤字 燃料高痛手に
これ燃料費高騰だけが原因ならば、最近の原油価格の動向でいずれ回復が期待できますが、より構造的な問題として、そもそも国際空港として発着便数を増やせずに、経済の冷え込みでむしろ航空会社の撤退が始まってしまい、空港としての存在感が低下していることが見逃せません。開港当時から航空客より見物客が多いことから、空港付テーマパークとも揶揄されましたが、名古屋景気の冷え込みで見物客の落ち込みも予想されるだけに、業績回復は容易ではないというべきでしょう。

となると気になるのが、空港輸送で息を吹き返した名鉄の動向です。元々クルマ大国の名古屋地区で、それに対抗して登場したパノラマカーが、来年度の全廃が発表され、一時代が終わった感があります。ところがクルマ社会の親分であるトヨタよりも、民営化JRと名古屋市営地下鉄/バスの挟撃という思わぬライバルの出現で乗客を減らした名鉄が、中部国際空港の輸送で得たアドバンスも、先行き不透明です。既に岐阜地区の600V線などローカル区間の撤退も進み、リストラも一巡したところでの地域経済のリセッションは堪えそうです。

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