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Wednesday, March 25, 2009

阪神なんば線開業で流動化する関西サバイバルマッチ

阪神なんば線が開業し、近鉄奈良線との相互直通運転が始まりました。車両サイズも編成両数も異なる両者の相互直通は、異例づくめです。

また京阪中之島線に続く大阪都心を東西方向に貫通する新線という意味でも、期待が寄せられている存在ですが、京阪中之島線が苦戦を強いられる中、先行きが注目されます。

本題に入る前に、関連ニュースです。

公示地価3年ぶり下落 3.5%、大都市中心で顕著
<表>下落率が大きかった地点
<表>上昇率が大きかった地点
2009年の公示地価が発表されました。国土交通省により1/1時点の全国の調査地点の地価を毎年発表し、主に公共事業の用地買収などで参照されるものです。

特に下落率上位と上昇率上位を注目していただきたいんですが、下落率上位の商業地では名古屋が、住宅地では東京都心がリストアップされてます。いずれも再開発ブームで地価上昇が急だった地域が並びます。つまり局地的バブルが弾けたわけで、今回の地価下落の大きな要因で、当ブログで再三指摘してきたところです。加えて上昇率上位では地方都市の再開発地域が並び、遅れてきたバブルの波といえますので、早晩下落に転じるでしょう。しかし住宅地の方はちょっと面白いんですが、北海道伊達市が上位に並びます。比較的温暖な気候で「北の湘南」をキャッチフレーズに高齢者の移住を促進した結果ですが、公共事業でインフラ整備して企業誘致するだけが地域活性化の解ではないですね。

といったあたりを踏まえて関西の未来を考えると、あまり明るい展望が開けない現状です。既に国レベルで人口減少が始まっていますが、都市集中とパラレルですから、地方の過疎化、空洞化が進行する中、三大都市圏で唯一人口減少に転じた関西圏の活性化は一筋縄ではいきません。

阪神なんば線ですが、軌道法による特許取得が1948年ですので、実現に61年もかかっております。しかも前史があります。1946年に阪神野田~近鉄鶴橋間の高速鉄道計画を合弁で実施しようとして、大阪市の反対を受けます。いわゆる市営モンロー主義というやつで、市は同区間に軌道法による地下鉄建設の特許を取得、千日前線として実現しています。そこで作戦変更となり、第二阪神線の落とし児の伝法線を千鳥橋から西九条を経て難波まで延長、近鉄も上本町~難波間を建設して相互直通を行うように変更したものです。ですから梅田~福島~千鳥橋~尼崎~岩屋と結ぶ戦前の第二阪神線という前史もあるわけです。ちなみに阪神梅田駅進入部の4線構造の地下トンネルや大物~尼崎間の本支線並走や御影付近の高架電留線などは、この第二阪神線構想を見込んだものと言われております。

近鉄という会社は、東の東急と並んで、自社の勢力圏拡大に執念を燃やした会社です。発展段階で多くの同業者を併合し、営業エリアを拡大してきたのですが、国家権力を背景とした戦時統合に乗じた東急が、戦後多くの利権を失った一方、民間ベースで巨大コンツェルンを構築した近鉄は、戦後も巨大さを維持したばかりか、拡大路線を踏襲します。

近鉄が戦後併合した他社線ですが、大和鉄道、信貴生駒電気鉄道、奈良電気鉄道、三重電気鉄道の4社をかぞえます。このうち既に近鉄が資本の大半を握っていて車両も融通していた大和鉄道(現田原本線)の併合は、むしろ戦前のやり残しの感があり、例えば戦時統合で近鉄に併合された南海鉄道が戦後処理で、別会社だった高野山電気鉄道(高野下~高野山)に事業譲渡されたように、少数株主の抵抗で経営統合できなかった事例は関西には結構あります。また三重電気鉄道も、元々地元資本だった三重交通の鉄道線を、三重交通自身への出資の上、近鉄、三交合弁の三重電気鉄道を設立して鉄道事業を譲渡させた上で併合するなど、被併合企業側の抵抗を抑え込みながら拡大していきました。

残る2社はいずれも戦前に京阪との合弁事業として出資したものですが、前者は枚方市~私市間の北部線と生駒~王寺間の南部線につながりが無く、戦前既に北部線は京阪傘下の交野電気鉄道へ譲渡の上京阪に併合された残りで、やはり事実上近鉄の支線だったので、大和鉄道と似てますが、それでも株主の抵抗に遭っていたのでしょうか。近鉄の巨大さは畏怖の対象だったようです。

端的なのは奈良電気鉄道の事例ですが、1960年代に京都進出を目論んで近鉄が株式買収を仕掛け、京阪が応戦したものの、上場企業ゆえに買収合戦で株価が上昇、淀屋橋延伸などで資金に余裕の乏しかった京阪が後れを取り、結局近鉄が買収を成功させ、1963年に併合、近鉄京都線となります。

この辺は村上ファンドに買収を仕掛けられた阪神に重ね合わせると面白いのですが、当時近鉄を非難する声はありませんでしたし、日本でもかつて企業買収は普通のこととして行われていたのです。それが村上ファンドやスティール・パートナーズの買収があれほど世間を騒がせたのですから、いつの間にか日本は社会主義国に変質していたのかもしれません。いや怪しげな投資ファンドが仕掛けたのだからという声もありましょうが、ならば王子製紙による北越製紙の買収劇は何だったんでしょうか。買収は失敗したものの、「アメリカ的なむき出しの資本主義は日本には馴染まない」など、メディアの悲鳴に近い反応は異常でした。

ま、それはそれとして、結局阪急との経営統合へと進んだ阪神ですが、戦後の近鉄との合弁事業が陽の目を見ていたら、おそらく後日近鉄との争奪戦を演じることになったでしょうから、沿線の成熟化で利用が伸び悩んだ阪神は、その過程で近鉄に併合されていた可能性すら否定できません。その意味では大阪市の横槍は阪神を助けたかもしれません^_^;。

加えてどう見ても株の高値掴みとしか思えない阪急による阪神の経営権取得も、近鉄の進出を快く思わない阪急による防衛戦と考えれば、腑に落ちる部分があります。また相互直通にあたって車両規格の統一が行われなかったのも、ある意味阪神側の防衛意識が働いた可能性があります。というのも、阪神は既に近鉄の20m級車の乗り入れを早い時点で想定していた節がありまして、尼崎の電留線を20m級車10連対応としたり、三宮までの快特停車駅の20m級車6連対応や、公式には認めておりませんが、近鉄直通用の20m級車の新造まで考えていたりと、阪神自身は乗り気だった割には、近鉄側が譲歩したように見えます。

というわけで、ひところは血気盛んだった近鉄も、新幹線開業で名阪間の都市間輸送の主力の座を降り、伊勢志摩地区の観光開発と三重県伊賀地区の宅地開発に注力してきた中で、バブル崩壊と大阪の地盤沈下のあおりで体力をすり減らしてすっかりマイルドになりました。阪急阪神の経営統合も傍観せざるを得なかったのですから、近鉄の地位低下は否めません。逆にだからこそ阪神との相互直通など、他社との連携に将来を託す姿勢となったのでしょう。

ただ冒頭で述べたように大都市圏の地価下落は、高齢化と人口減少が背景にありますので、今後とも関西の各社は苦戦が続くと考えられます。折角の新線に水をさすつもりはありませんが、大阪の繁華街が北へ移動しているのが昨今の傾向で、難波地区も一本裏に入れば都心とは思えないうら寂しいところです。加えて心斎橋のそごう撤退などもあり、阪神なんば線の効用はあくまでも直通による需要掘り起こしにあるわけで、案外甲子園と京セラドームの野球観戦客が一番の上得意になる可能性もあります。となればカーネル・サンダースの呪いが解けたタイガースと、強力打線の破壊力で戦力を増したバッファローズで日本シリーズを戦うのが、最大の活性化策かもしれませんね(笑)。

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