石油の国の春、黄金の国の秋
リビアのカダフィー政権が事実上崩壊し、反体制派が一応の勝利となり、一連のアラブの春も山場を越えた感がありますが、ややこしいのは国際社会の反応です。
カダフィー政権の武力弾圧に武器供与や空爆や地上軍派遣までして反体制派を支援してきた欧米諸国は一様に歓迎し、早々に反体制派の国民評議会を正統な政府として承認しております。カダフィー政権と親密とされた中国やロシアも、カダフィー大佐の国外個人資産の凍結や、国民評議会による治安維持や戦後復興資金としての一部凍結解除に反対せず、またエジプトやチュニジアの民主化で域内が騒がしいアラブ連盟は、カダフィー政権の強権支配を問題視していただけに国民評議会を代表として認め、流れはできつつありますが、問題はアフリカ諸国です。
アフリカ連合(AU)総会で一部加盟国から新政府承認の対案はあったものの、時期尚早として退けられました。カダフィー大佐はアフリカ合衆国構想を主張し、潤沢な石油マネーをアフリカ諸国に配っていたことと、リビア反体制派への軍事支援が国連の承認を経ないまま行われたことへの違和感などが理由ですが、数が多いアフリカ諸国で承認が進まなければ、国連による正式承認のめどが立ちませんので、事態収拾が長引く恐れがあります。特にフランスやイタリアは軍事支援に留まらず、早くも戦後復興支援事業に関する国民評議会との交渉まで始め、例えば鉄道建設を請け負うイタリア企業などもあり、眉をしかめられております。
というわけで、日本の震災と共に世界を震撼させたリビア問題が収束へ向かうならば、問題を孕みながらも歓迎すべきことではありますが、チュニジアに始まったアラブの春がこれで収束するわけではなく、むしろ資源国の民主化と経済成長は、原油価格の上昇圧力にもなるわけですが、メディア報道はこの点には触れておりません。
そもそもフランスなどの突出した行動も、資源確保という側面だけでは語れません。大まかに言えば、2008年のリーマンショック以後の世界規模の協調的な財政出動と金融緩和の結果、世界規模で拡大した流動性供給が新興国へ流れ込んで経済成長を後押しした結果、新興国の資源需要を押し上げて資源価格を高騰させ、ギリシャショックもあってユーロ安も手伝い、資源インフレの傾向を強めている現状があります。リビアの政情が安定し、戦後復興が本格化すれば、むしろ原油が国内消費に回されるわけで原油高傾向は強まります。これは古典的な資源外交の視点では説明できない事態なんです。
というわけで、欧州の勇み足は目立つものの、これから成長する若い国という点で、欧州と目と鼻の先のリビアなどの北アフリカ地域は、アジアにおけるASEAN諸国のような位置づけと考える方が妥当です。実際OPECのメンバーだったインドネシアが経済成長で石油消費が増え、2004年には輸入超過に転じて2009年にOPECを脱退しており、今後中東産油国の経済成長と民主化が進めば、この傾向は強まりますが、インドネシアがアジア屈指の経済メンバーであり続けるように、中東産油国もそうなると考えるとわかりやすいです。
その結果、これまで世界の原油価格を事実上先導してきたニューヨーク・ウエストテキサスインターミディエート市場(WTI)先物を、中東原油を扱うロンドンの北海ブレント市場が価格で上回り、事実上WTIが果たしてきた国際原油価格の値決め機能は損なわれております。おそらくこの傾向は当面続くものと見られます。また欧州が殊のほか地球温暖化問題に熱心なのも、化石燃料の消費抑制問題と表裏一体の関係にあるからと見ることが可能です。
日本は主にアラビア湾岸諸国の重質油を中心に調達してきたこともあり、欧米市場に価格面で従属する中東ドバイ原油市場を指標とした取引が中心です。WTIにしろ北海ブレントにしろ、ガソリン成分の多い軽質油中心で、用途も輸送用や暖房用の燃料として調達されてきましたが、日本は燃料需要もさることながら、重質油の精製過程で生じるさまざまな副産物を用いた化成品生産の比重が高く、原油価格上昇の影響も欧米と異なりますし、何より経常黒字国の強みで円高が原油高をヘッジしますので、結局余り影響を受けおらず、また日本に限らず経常黒字国が多い一方、貿易決済は米ドルに依存するアジア地域の特殊性を考えると、債務上限問題で信認の低下を免れない米国債に代わって日本国債が外貨準備に用いられる可能性は指摘できます。日本の財政赤字も深刻な状態ですが、国内要因でファイナンス資金が自己増殖している中で、輸出依存の強いアジア諸国にとっては、流動性の高い円資産の外貨準備への組み入れは当然選択肢になり、結果的に国外でも財政赤字のファイナンス資金が自己増殖する可能性が出てきます。
厄介なのは、アジア諸国の通貨の流動性は低く、日本は対アジア通貨の為替調整政策を事実上取れないことです。流動性の低い通貨はそれだけ乱高下のリスクが高いわけで、97年のアジア危機の原因と言われるドルペッグ制にしても、経済規模の小さな国の対応としては責められないところですが、当時のクリントン政権の強いドル政策で米ドルが過大評価された結果、タイをはじめ自国通貨の過大評価で輸出が減速し、成長期待で流入した日米欧の投資資金が一斉に逃避した結果の危機となったわけです。
それに懲りたアジア各国は国内貯蓄を奨励し、資本調達を国内で完結できるように経済体制を改めたのですが、それはとりもなおさず日本がかつて歩んだ道でもあります。日本は円高を容認しつつ、ニクソンショックで金とのリンクを失う一方で、流動性供給の自由度を増したドルの流動性を最大限活用してきたわけです。97年当時、日本の発案でアジア通貨基金(AMF)構想が提案されました。ドル決済のアジア域内の貿易決済を、複数通貨による通貨バスケット連動による仮想貿易決済専用通貨Asia Currency Unit(ACU)に置き換えようという意欲的な提案でしたが、米中両国の反対で実現せず、代わりに二国間の通貨スワップ協定を基本とするチェンマイイニシアチブ(CMI)が発効し、更に多国間の枠組みに改めたCMIMへ発展したのですが、リーマンショック時にウォン安に見舞われた韓国が、米FRBとの通過スワップを選びCMIを利用しなかったように、アジア域内で足並みが乱れている状況では、AMFにしろACUにしろ、実現可能性は結果的に低かったということでしょう。
しかしこのときの議論をアジアで十分重ねていれば、また違った展開の可能性もありえたわけで、特に米ドルの信認が揺らぐ現状を見るにつけ、97年当時のAMF構想の挫折は惜しまれます。ま、提案国の日本の国際社会での信用度の問題だと言われれば、返す言葉もありませんが-_-;.実際旗振り役のはずの財務省自ら、今回の円高局面で為替介入で顰蹙を買っている状況では、08年当時の韓国を責められません。
現在の円高kは対ドルよりも対アジア通貨での上昇基調が輸出企業を苦しめているので、アジア内の為替レートの安定こそが重要なんで、アジア通貨の連携こそが日本の目指すべき道ですが、そのためには為替介入で通貨切り下げ競争を仕掛けるのは愚策です。むしろアジアの一体感を演出することが必要なんですが、為替介入はそれと逆の効果しかありません。
加えて特に中小企業では為替デリバティブ問題が深刻です。為替デリバティブというのは、銀行が中小企業向けに販売している金融商品で、表向きは為替リスクのヘッジができるという謳い文句ですが、実際は為替デリバティブの購入を融資の条件にするなど、優越的地位を利用した販売が行われ、しかもほとんど120円/ドルレベルの為替水準のときに販売されて、中小企業側に莫大な含み損が出ている状況です。しかも損切りのために中途解約すれば、懲罰的な違約金を請求されるため、泣く泣く継続しているのが実態です。問題は為替水準そのものにあるわけではなく、このように中小企業を食い物にするような金融商品が売られている点にあるんですが、認可した国の責任を問われかねないからか、金融庁が対策に乗り出す気配はありません。
一方の財務省ですが、各国に協調介入を打診してことごとく断られ、おそらく単独介入に対する非難すら頂戴しているのでしょう。手詰まり感漂う中、円高対策を打ち出しましたが、その内容は、邦銀中心に金融機関の為替ポジションの確認と取引の監視、それと中小企業の海外M&Aなどの投資を助ける基金の設立ということで、24時間切れ目なく取引される為替取引で、国内だけに目を光らせても無意味ですし、中小企業に「カネ貸すから海外投資しろ」というんですが、上記の為替デリバティブ問題でそれどころじゃないのが中小企業の実態です。もちろん新機構は有力な天下り先となります-_-;。
かくして日本の進路は、今に始まった話じゃないですが五里霧中です。グローバル化の本質は産業構造の転換なんで、かつては少数だった工業国が言い値で工業製品を売り、一方の原材料となる資源価格は、技術を持った工業国の意向を反映した形で市場価格が形成されていたのですが、新興国の台頭で工業製品は溢れかえり、一方の資源は希少化するわけで、現在進行形の変化にさらされている事を自覚すべきでしょう
古代文明は農耕中心で、四大河文明は、一種の連作障害で窒素、リン、カリウムなどの必須ミネラルが枯渇して残留塩分濃度が増した結果、砂漠化の憂き目に遭いましたし、土地を持たない遊牧民との争いも絶えず、また収量の増加は人口増加圧力を生んで追加的な土地の開墾を求め、富の分配や土地や労役の収奪で争われる結果となります。それが極限に達したのがゲルマン民族の大移動であり、古代中国の万里の長城をめぐる北方蛮族との攻防だったわけです。当時日本は中国の勢力圏の末端で小国分立状態で、未だ日出ずる国にはなっていませんでした。大和朝廷の成立は、いわば古代のグローバリゼーション第1波が落ち着いた後の出来事でした。
第2波はチンギス・ハーンを始祖とするモンゴル帝国のユーラシア制覇です。武人による主従関係で組織された帝国は、地縁、血縁に基づく部族支配から武力による国家統治という新しい原理を備え、勢力を拡大しました。経済的には金などの希少貴金属類を媒介した商業の発展に特徴があり、マルコポーロが伝聞をまとめた東方見聞録に記述された黄金の国ジパングは、世界遺産登録された奥州平泉中尊寺の金色堂の事らしいと言われております。
そしてこの伝聞が欧州にもたらされた結果が、バスコ・ダ・ガマの喜望峰発見やコロンブスの新大陸発見を誘発し、大航海時代を迎えます。この時代は金融が産業として自立した時代と言うべきでしょうか。航海には危険がつきものです。嵐で難破したり海賊の襲撃に遭ったりで、積荷が届かない事も珍しくない中で、船主仲間で手持ちの余剰資金を積み立てて、被害を補償する保険の仕組みが作られ、財産の貸借を明確にする複式簿記の仕組みも考案され、ジェノバやベネチアなどの北イタリアの商業港湾都市を中心に近代資本主義の仕組みが醸成された時代でした。
その流れで、地理上の発見をもたらす冒険航海が可能になり、スペイン王家がスポンサーとなってコロンブスは黄金の国を目指すことになります。そして地理上の発見は商業の規模の拡大で繁栄をもたらすと同時に、スポンサーとなったスペインを筆頭に植民地の獲得競争となります。古代の単純な土地と労役の収奪ではなく、貿易相手として相手国を市場経済に巻き込むのが植民地主義の特徴で、いつしか列強による植民地獲得競争となり、丁度戦国時代の日本にも到達して南蛮貿易で歴史が交差し、徳川幕藩体制の鎖国を経て、大航海時代には存在しなかったアメリカに開国を迫られる形で近代に歩を進めます。
そして工業化社会へシフトするのですが、植民地時代に蓄えられた資本が、また日本においては徳川幕藩体制の中で資本を蓄えた商人資本が、大規模投資を可能とし、また労働の対価としての賃金支払いを通じて大衆消費社会が実現し、現在に至るのですが、工業化で先行した日米欧がいずれも停滞傾向を見せるのは偶然ではありません。上記のように新興国の台頭で工業製品は溢れ、原材料の資源は希少化する中での交易条件の変化こそが、現在進行中のグローバリゼーションを特徴付ける構造問題なんです。いわば先進工業国にとっては秋の到来というわけです。なお、ドル不安を背景に金価格が歴史的上昇局面にありますが、外貨準備で米国債を保有する多くの国が、金を外貨準備に組み入れていることも指摘できます。驚く事にその主たる供給元は日本だそうで、金輸出は歴史的高水準です。黄金の国ジパングは健在だったりして^_^;。
そして近代は鉄道の時代でもありますが、日本を含め鉄道による物資輸送や兵員輸送は、軍事的に重視されてきた歴史があります。鉄道と戦争は切っても切れない関係にあり、高速鉄道事故を起こした中国でも鉄道省は人民解放軍の傘下にあって強い権限を有していますが、リーマンショック対策で協調的に財政出動して整備が進められた高速鉄道では、胡錦濤政権のスローガンである和諧社会建設という考え方が前面に出され、太子党の巣窟だった鉄道省の組織内抗争の可能性には言及しましたが、中国に限らず、軍事目的で建設された鉄道の民生転用は多くの国で見られたことでもあり、現在の高速鉄道ブームが、軍事から鉄道が離れる「平和の配当」効果を発揮するならば、悪い事ではないわけで、そういう視点で中国の高速鉄道事故を見れば、そこに市民社会が未成熟な中国社会の生みの苦しみを見出す事もできます。あまり敵対的だったり哄笑的な見方に偏らない方が良いでしょう。
残念なのは事故の検証が不十分な点で、特に追突したCRH2は日本のE2系の同型車で、欧米からは日本の新幹線は衝突安全を考慮していないペーパートレインだと批判される中で、軽量で省エネと反論するのも結構ですが、実際にどの程度の速度で追突しどの程度損傷したのかが明らかになれば、インフラ輸出としての高速鉄道案件の弱点克服のきっかけになり得ただけに、単にパクリだ安全無視だと批判するよりも、事故調査の支援などで建設的な対応をすべきでした。そんな中で信頼される国を目指すのが、今の日本の取るべき態度でしょう。
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