« 都営DVにめげずに世界を目指す東京メトロ | Main | ローカル線の残し方考 »

Saturday, October 15, 2011

えー下界に捧ぐ

最近ニュースにもならない群馬県の八ッ場ダム問題ですが、野田内閣の国交相に元河川局出身の前田武志議員の就任で、事実上再開の道筋が作られました。無駄な公共事業の象徴として、政権交代後「コンクリートから人へ」のスローガンの下、中止とされたはずですが、ここでもまた国民は裏切られます。

総事業費4,600億円の大事業とはいえ、ダム本体は808億円に過ぎず、用地費・補償費の1,236億円が費目tとしては最大な上、既に一部地権者は移転に同意して補償を受けており、また道路や鉄道の付け替えの補償工事費1,230億円は付帯工事として粛々と執行されており、既に既成事実が積み上げられてしまっています。本当に中止するなら、中止に伴う原状回復費などの交渉を自治体と進めるべきだったはずですが、そちらは手付かずで、むしろ「民主党政権でダム中止ならば補償金がもらえなくなる」という理屈から、補償交渉で態度を決めていなかった対象世帯の地権者もなだれを打って補償を受ける始末です。

補償対象は水没世帯340に、道路付け替え等に絡む移転世帯を含めると470世帯ですから、1世帯3億円の補償という破格ぶりで、その補償長者ぶりから、水没を免れた地権者からはうらやむ声まで出る始末。それが国民が払った税金から出ているわけです。こういったデタラメな税の使い道を見直すはずの民主党政権で工事再開が行われ、税収が足りないと増税まで決められるのですから、庶民派宰相が聞いて呆れます。

しかも移転代替地の造成がまたべらぼうに高いわけです。これは元々水没しない中腹の傾斜地を造成する必要から、ある程度はやむをえないのですが、不思議なのはそうして造成された代替地の分譲価格が、住宅で前橋市の一等地クラスだったり、農地では平野部の優良圃場並だったりするわけです。何のことはありません。国が用意した代替地へ移転すれば、多額の補償金も毟り取られるわけです。そのお金は結局造成に係わった土建業者を経由して、政治家に上納されるわけで、実際複数の群馬県議や地元選出国会議員の政治資金収支報告書に政治献金として記載されております。単なる期ズレ問題に過ぎない陸山会事件よりも、より直接的に公金を掠め取ったと言える案件ですがお咎めなしです。そう、群馬県選出のあの人この人たちです。

あまりに高い代替地ゆえに、移転世帯の多くは域外に移転しており、結果的にダムが地域社会を破壊しているのですが、この構図は何かに似ている気がしませんか。はっきり言えば3.11の津波被災地の現状が重なって見えてしまうのは私だけでしょうか。

津波被害を繰り返さないために高台移転が言われ、防災復興に期待がかかるのですが、それ以前に仙台近郊を除く被災地の多くは過疎地で、今後人口減少で集落を維持できなくなると見られていた地域です。そういった場所ですから、単純な震災前への復旧は問題解決にはならないのですが、さりとて高台移転となれば造成費用などはかなり高額になる事は避けられないわけで、そのあたりの思惑から、復興プランを練る前に財源確保が必要だったと見れば、不気味なほど八ッ場ダムと構図が似てきます。

三陸のリアス式海岸の津々浦々に八ッ場ダムができると考えれば、そりゃ財源はいくらあっても足りないわけです。しかも産業基盤の乏しい地域だけに、補償金を手にした被災者の少なからぬ数が、他地域へ移転する事は間違いないわけで、立派に復興成って地域社会は破壊されるという悲観的な展望が見えてきます。やはり復興増税は断じて認めるべきではありません。むしろ産業復興を起点に考えるべきでしょう。

例えば漁業ですが、三陸は沿岸、近海、遠洋の3種類の漁業が混在する地域で、それぞれ課題を抱えているのですが、遠洋に関しては今後国際社会での資源管理が必須と考えられますので、分けて考えるとして、沿岸と近海の漁業に関しては、問題はズバリ資源の枯渇が喫緊の課題です。これは日本のように漁業権が漁協に属し、組合員の多くが小型船で操業する形態ですから、漁獲枠を嵌めても早い者勝ちで値段の付かない雑魚ばかり採ってしまい、次世代魚の繁殖機会を減らしている結果です。

ノルウェーをはじめ現在の世界標準は漁船に漁業権を与え、漁獲枠を嵌める形態です。こうすることで、高値で売れる成魚の漁獲にシフトでき、資源の保全と漁業者の収入保証を両立できます。加えて漁業権付き漁船を転売可能とすることで、参入退出を自由化し、零細な個人漁業者でも複数で漁船を共同購入して漁獲枠をシェアするなどの新しい形態の漁業に展望が拓けます。高台に住んで漁港へ通勤するといった地域復興のイメージにも合致します。誤解を恐れず言えば、津波で多数の漁船が流された今だからこそ、このような改革が現実的に可能ということです。経過措置として資源復活に5年程度の禁漁期間を設け、漁業者には期間中の所得保障を行うといったことが考えられます。文字通り「コンクリートから人へ」です。

世界に目を転じれば、リアス式海岸と多数の島から成る地中海の東のエーゲ海を望むギリシャがえらいことになっております。財政赤字圧縮のために緊縮財政を続けるも、観光以外にこれといった産業のないギリシャで、EUっ加盟と共通通貨ユーロ導入はかなり高いハードルだったのですが、ギリシャはユーロ参加時に、財政赤字の過少申告で乗り切りました。

その結果ユーロ圏各国からの投資資金が大量流入し経済を支えたのですが、投資資金は主に遅れていた社会資本インフラの整備に回り、2004年のアテネオリンピックの競技場建設などが行われたのですが、オリンピック終了後は閑古鳥となり、社会資本投資の収益率を押し下げる事になります。何か日本の長野オリンピックを思い出させる経過ですが、所詮スポーツ施設は活用されなければ維持費だけがかかり何の付加価値も生まないわけで、財政再建の足を引っ張る事になります。

長野の場合は主権国家ではありませんし、地方財政は総務省のコントロール下にあり、日本全体でカバーできるわけですし、いざとなれば夕張のように財政健全化の早期是正措置を発動する手もありますが、ギリシャの財政赤字は、ギリシャ以外のユーロ圏16カ国でカバーするしかないわけで、中には欧州金融安定化基金(EFSF)拡充策を議会が否決したスロバキアのように、GDPでギリシャの1/3しかない国もあり、政治的に機動的な対策が打てない恨みがあります。ユーロ圏17カ国を見れば、ドイツ、北欧、ベネルクス3国いずれも経常黒字国で、ギリシャ危機によるユーロ安で成長率も下駄を履いた状態ですから、ほとんど痛みを伴わず財政健全化が可能ですが、丁度円安に助けられたゼロ年代の日本と同じ状況です。逆に過半数の経常赤字国は日本の地方の過疎地の状況に似るわけです。

日本の場合は日本全体が経常黒字国で、財政赤字はほぼ国内でファイナンスされてますから、直ちにギリシャのようになるわけではありませんが、地方の現実を見れば、国の予算を分捕って公共投資に奔走する構図はギリシャとさほど変わりません。逆に財政危機を身近に感じない分、より深みに嵌まり、且つ日本全体を道連れにするという困った状況にあるわけで、破綻しない危機という意味では、状況はより深刻なのかもしれません。

はっきりしているのは、これ以上地方で公共投資を積み増しても、投資収益率は下がる一方で、いわゆるケインズの乗数効果は得られないということです。今必要なのは、上述の漁業の例のような、有効なサプライサイド対策です。規制緩和で地方の足腰を強くして、身の丈に合った自律分散型の産業構造を積み上げていく事です。間違っても復興にかこつけて津々浦々の八ッ場ダムを作らない事です。

そんな中で鉄道の復旧のニュースです。

JR常磐線、仙石線の復旧ルート案が合意、一部内陸側に移設|日経BP社 ケンプラッツ
まだ案が出た段階で、自治体の復興計画が出揃う12月末頃まで待って正式決定となる予定ですが、500億円程度と言われる線路移設を伴う復旧費用は、現行法では全業黒字のJR東日本には適用されないので、特例での適用を国に求めていくことになります。ま、八ッ場ダムで水没する長野原線の移転費用はダムの事業費で丸抱えですから、一部なりでも国が負担しなければ、逆にバランスを失します。

とはいえいずれも仙台近郊で乗車密度の高い区間でもあり、三陸海岸を縦断する八戸線、山田線、大船渡線、気仙沼線、石巻線に関しては現時点でも白紙状態です。逆に仙石線は計画より遅れながらですが、無線交信式保安装置のATACSが今月11日から運用開始されており、新時代を印象付けます。

というわけで、いずれ本体工事が始まる八ッ場ダムですが、完成した湖面2号橋から水没地を見下ろす景観は期間限定ですがさぞかし東京スカイツリーの比ではない絶景でしょう。しかも現地へ出かければタダで楽しめます。最後はヤケクソっぽいなぁ^_^;。

| |

« 都営DVにめげずに世界を目指す東京メトロ | Main | ローカル線の残し方考 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

JR」カテゴリの記事

ローカル線」カテゴリの記事

第三セクター鉄道」カテゴリの記事

鉄道貨物」カテゴリの記事

Comments

「地方の活性化」というフレーズは私が小さい頃から(当方37歳)聞かれましたが、
結局、何をもってして「活性化」したと判断するのか、その基準が曖昧なのが問題
なのかな、と思います。
出口の見えない議論を続けているようで。

八ツ場ダムの件ですが、保障長者が出ようと何だろうと事ここまで至ればもう突っ切るしか
ないんだろうと考えます。
当事者たちはあまりにも長い間振り回されたわけですし、いまさら方向転換では
たまらんでしょう。

もっとも、このようなことを繰り返すわけにも行かないので、三陸沿岸の復興はこれを
教訓にして為されてほしいものです。

全ては政治の決断力かと思います。
津波の被災地には新しく家を建てるかどうかで専門家が入り混じって小田原評定。

これでは被災者は自宅を再建したものかどうかも分からず、土地を手放し産業は
衰退する・・・と。

野球で、外野フライを外野手がそろってお見合いしてボールが選手の真ん中に落ちて
しまったかのような印象すら感じます。

これも民主主義の帰結、と思うしかないのでしょう。

ところで。

「有料圃場」→「優良圃場」でよろしいでしょうか・・・。

毎度毎度、恐縮です。


Posted by: blue sky | Tuesday, October 18, 2011 04:46 PM

度重なる誤字ご指摘ありがとうございます。最近老眼が進んだのかな(言い訳モード^_^;)。

八ッ場ダムは何と言っても国交相当時の前原誠司の責任が重いですね。中止するならちゃんとやれっての。だから「口だけ王子」なんて言われるんです。

恐ろしいのは、一度決まった公共事業は簡単に中止できないということです。まるでメルトダウンした原発のようです。

政治の意志が働かないのですから、不謹慎ですが復興が遅れているのは、ある意味予想通りですし、結果的に地域の衰退は後戻りできないレベルまで進むと見ております。かくなるうえは下手な復興計画を評定するよりも、向こう5年ぐらいをカバーする被災者補償をして、被災者個々の判断に委ねる方が誠実ではないかとさえ思います。

民主主義の帰結というよりは、政治の無責任の弊害でしょう。戦前の政友会と民政党の擬似二大政党制で足の引っ張り合いをしている状況と瓜二つです。

Posted by: 走ルンです | Tuesday, October 18, 2011 09:32 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference えー下界に捧ぐ:

« 都営DVにめげずに世界を目指す東京メトロ | Main | ローカル線の残し方考 »