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December 2011

Friday, December 30, 2011

百年脇役だった都営交通

近代都市大阪が、市の公益事業としての都市交通整備を尖兵として行われた事は、前の記事の通りですが、今年百年を迎えた都営交通の歴史は、脇役に甘んじるものでした。その歴史過程の違いは、そのまま都市構造の違いにも反映されています。

ひと言で言って、東京のまちづくりは首都であることに規定されます。1872年の銀座の煉瓦街もそうですが、中央停車場(東京駅)を皇居和田倉門と対峙する位置に置いたり、中央線の前身の甲武鉄道による電車運転に始まる官営鉄道の電車化や、それに伴う都市機能の郊外への発散などで、全く異なった歴史過程を経ることになります。首都ゆえに水源確保の目的で、神奈川県に属する北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡の東京府移管が行われたりもしており、そういった流れの中で、戦時体制として国の命令で府市統合で東京都となったのが1943年で、以来都制が続きます。自前で地下鉄まで作った大阪市に対して、独自の都市計画で地下鉄整備を打ち出しながら、財政難で路線免許を民間に売り渡すなど当事者能力に疑問符を付けられた結果の国家統制だったわけです。

とはいえ当時の東京は、現在の23区に相当する特別行政区域に6割相当の人口が集中しており、行政組織としてそれなりに合理性があったため、戦時体制といえる都制がその後も続き今日に至るわけで、是非はともかく行政組織としてそれなりに機能してきた事は間違いありません。その観点から言えば、大阪市270万人+堺市80万人=350万人は、大阪府の880万人に対して4割程度の人口シェアしかないわけで、首都でもないしあまり必然性のある行政組織とは言いがたいところがあります。

大阪市は1925年時点で人口200万人を超える大都市に成長していたわけですが、その後地下鉄が整備され建物が高層化して集積度が上がっているにも拘らず人口270万人弱ですから、行政主導で都市交通整備をしてまとまりの強い都市を形成した一方、外延部の発展を取り込めなかった結果、ある種の停滞感をもたらしたと見ることができます。戦後のモータリゼーションは北大阪の大渋滞をもたらし市電に引導を渡すなど、経済発展の方向性が大阪にとっては逆風となったとも言えます。この点は戦後六甲山の宅地造成と残土による海面埋立で土地マジックで発展した神戸市との対比で見れば歴然とします。というわけで「大阪都構想で地域主権」という橋下氏の主張は、大阪の歴史や街の成り立ちを踏まえないという意味で違和感を覚えます。

で、東京ですが、東電・街鉄・外濠線の3社統合でできた東京鉄道を買収して都交通局の前身の東京都電気局となったのが1911年ですから、一応100年の歴史を刻みますが、既に甲武鉄道の電車運転に始まり、私設鉄道国有化後の東京中央停車場整備と山手線、京浜線の電車運転、山手線の環状運転で方向付けされた電気鉄道による高頻度大量輸送が東京の都市交通を方向付け、市電は旧市街地内に留まる補助的な輸送機関に甘んじるわけです。加えて関東大震災で被災し、追い討ちをかけるように民営の円太郎バスの参入、対抗策として市営の青バス事業に参入して乗客争奪戦を演じた結果、市電の経営を圧迫したのは大阪と同じですが、市電のゴールデンラインたる浅草―上野―銀座―新橋には民間の東京地下鉄道の参入を許すなど、大阪以上に競合の激しい状態でした。そんな中で折角取得した地下鉄線の免許を東京高速鉄道に譲渡してしまい、当時郊外私鉄のターミナルとして発展著しい渋谷と都心を結ぶルートも民営の地下鉄に侵食される始末です。その結果当事者能力なしと見られて1940年の陸上交通事業調整法で東京市は、当時の東京市35区エリアの路上交通に限定され、地下鉄は新たに設置された帝都高速度交通営団に委ねられ、東京市の不満の種となります。

その結果、東京都は戦後、地下鉄事業への参入を画策することになります。それ以前に陸上交通事業調整法を戦時立法で無効とする議論が起こり、戦時統合を仕掛けた大東急総帥の五島啓太が公職追放中の1948年、東急から京王帝都、小田急、京浜急行が分離独立し、東京都も無効を訴え、私鉄各社は自前の都心直通線を免許申請するなど、かなり混乱した状態が続きました。

そんな中で東京都は都市高速鉄道5路線を都市計画決定し、国の運輸政策審議会が1号答申でそれを追認したのが1957年。東京の都市交通の骨格を決めた答申だったんですが、東京の都市交通を巡る利権争いの調整の側面があります。国としては都内の地下鉄は営団に一元化したかった一方、都心直通ルートが国鉄線だけだったために、国電の混雑と私鉄ターミナルで国電への乗り換えで混乱していたという事情もあり、郊外からダイレクトに都心へ向かうルートの必要性が認識され、地下鉄と郊外鉄道の相互直通運転が示唆された答申でもありました。加えて財政投融資資金を受け皿とした営団だけでは建設資金に限りがあり、整備に時間がかかるということで、東京都の地下鉄事業への参入が認められた答申でもあります。ある意味東京都としてはしてやったりだったんでしょうけど、地下鉄事業者が2つに別れた原因を作った出来事でもあります。その意味で東京都主導の地下鉄一元化論は原因者によるマッチポンプの側面があるわけです。挙句に九段下のバカの壁を作ったのも東京都です。

水面下の動きは定かではありませんが、営団に一元化したい運輸省、国の現業機関の権限を引き継いで、東京都を格下機関と見て都市計画を無視し続けた国鉄、戦前の怨念と共に地下鉄開業で廃止に追い込まれる都電の職員の配置転換先を確保したい東京都、都心直通を画策する私鉄各社という構図の中で、妥協の産物ではあったようです。

その結果、1号線は東京都と京急、2,4号線は営団、5号線は国鉄を想定しながら未定(後に営団が免許取得して建設)、3号線は戦前開業の銀座線と渋谷―二子玉川園間を東急が建設することで線引きされ、既に営団が取得していた1号線の路線免許は都と京急に譲渡されました。京急は泉岳寺―品川間の分岐線のみの担当ですが、品川のターミナルとしての立地に満足していなかったのか都心直通の意欲が強かったことから都が折れた形です。結果的に1号線(後の都営浅草線)と2号線改め日比谷線が競うように建設されました。以後、答申ごとに路線が増やされ、相互直通の拡大もあり、世界に類を見ない都心と郊外をシームレスにつないだ高速大量輸送交通網が形成されました。結果的には外延部の開発を取り込むことになりましたが、裏を返せば遠距離通勤を助長し勤労者の負担となった点も指摘しておくべきでしょう。

あと国鉄と営団との関係も変化します。上記のように当初事業主体が決まっていなかった5号線を営団が東西線として建設し、国鉄の通勤五方面作戦のはしりと言える中央線中野―三鷹間の高架複々線化事業と連動して相互直通することになります。都を格下機関と見ていた国鉄ですが、通勤ラッシュの混雑緩和を独力で行う事は叶わず、また営団も東急の出資分が返上されて国鉄と東京都に肩代わりされた公共企業体に改組されたこともあり、国鉄の営団の連携が目立つようになります。その結果、地下鉄としては巨大な国電サイズとなった東西線ですが、混雑解消が進まない中、いつしか東京の地下鉄の標準サイズになりますし、また五方面作戦との連動も顕著になります。

一つは国鉄独自に計画した総武快速線は東京都の都市計画を無視した形で整備されましたが、総武線の混雑が完成を待っていられないほどひどい状況になると、国鉄は営団に東陽町止まりだった東西線の西船橋延長を要請し、営団が応じる形で事業化されました。また同じく複々線化が計画されていた常磐線では、当初東京都の都市計画で10路線に拡大された中の8号線として日暮里―喜多見間が計画され、調整不足で一旦キャンセルされた後、綾瀬―代々木上原間の9号線(千代田線)として追加されたのですが、起点を綾瀬としたのは、1964年を境に赤字転落していた国鉄の負担軽減の意味があったと言われます。結果的に北千住―綾瀬間は二重戸籍区間となり、快速が綾瀬通過となって営団がストなどで運休すると松戸で折り返して都心へ向かうことになり、「迷惑乗り入れ」と言われたりもしましたが、国鉄は営団をうまく利用していた一方、同じく出資者の立場にありながら恩恵を植えられない東京都という構図が続きます。

東京都にとっては、5号分岐線(下板橋―神田橋)を分離した6号線(志村(仮称)―西馬込間)に東武と東急から相互直通の申し入れがあり、都市計画により三田以南で1号線と同時施工が予定されていたために、1号線の建設も永らく大門で足踏みしましたし、6号線の相互直通要請を受けて東武サイズの20m級車で建設され建設費が嵩んだにも拘らず、東武、東急双方から乗り入れがキャンセルされるなどの不運もあり、順調に路線を伸ばす営団の後追いに甘んじる結果となります。後から建設される路線は深いところを通す必要もあり、加えて80年代の不動産バブルで建設費も跳ね上がり、ミニサイズの大江戸線でもキロ当たり300億円という高額となります。それでも人口の都心回帰による再開発ブームに乗って、大江戸線自体は順調に乗客を増やす結果とはなりましたが。

というわけで、都営の百年脇役物語は、涙なくしては語れません(笑)。それ以上に東京の都市としての特徴は、そもそも他では見られない国鉄の都市交通への深いコミットメントにあり、結果的に外延部への発散を特徴とするいわゆる大規模なスプロール現象が続いた100年と言えるかもしれません。元々山手線の輪よりも小さかった初期の東京市15区が山手線プラス城東地区の35区に拡張され、更に東京都となって三多摩併合以前の旧東京府が特別行政区となり、戦後北多摩郡の一部が編入されるなど更に拡大し、それに留まらず多摩地区や都県境を越えて神奈川、埼玉、千葉へと拡大し、気がつけば首都圏人口は3,000万人を数え日本の人口の1/4にもなる状況はかなり異常です。

漏れ伝わるところでは、大阪市営交通の民営化の議論では、交通局が郊外私鉄との相互直通に消極的だから東京のように発展できないとして一部路線をトンネル拡張して相互直通を推進する事も検討されていると聞きます。まず費用がかかることと、大阪の街の成り立ちから言えば無意味です。それ以前に国鉄民営化でJR西日本がアーバンネットワークを強化した結果、国鉄時代には太刀打ちできなかった並行私鉄から乗客を容赦なく奪っている状況で、地下鉄と私鉄の相互直通ぐらいで対抗できるというのが無理な話です。国鉄時代は非電化ローカル線だった加古川線まで電化されてアーバンネットワークに組み込まれた結果、神戸電鉄粟生線が存廃の危機にあるように、無意味なパイの奪い合いになるだけです。首都圏は旧国鉄のコミットメントの結果、是非はともかくJR、私鉄、地下鉄が有機的なネットワークを形成できたのですが、それでも混雑が解消しないように、そもそもの需要の濃さが違うわけで、大阪が東京と同じことをして成功する可能性は皆無と断言できます。むしろ適切な役割分担を模索すべきでしょう。

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Sunday, December 25, 2011

大阪市営百年物語

明治22年(1889年)4月1日、大阪市が市制施行されました。当時東西南北4区で面積15.27km^2、人口約47万人という規模でした(出典:大阪市営交通90年のあゆみ)。当時まだ江戸時代の狭い街路に町屋が隙間なく建つ近世都市でした。都市交通としては狭い街路を疾走する人力車が主力という時代です。

1872年の大火で消失し、大規模区画整理で維新のシンボルを兼ねて洋風の煉瓦街として復興した、銀座を中心とする中央通りに鉄道馬車が走った東京とはかなり異なった状況で、当時のありふれた地方都市のそれと大差ない状況だったと言えます。

明治36年(1903年)になると変化が現れます。3月1日に大阪で第5回内国勧業博覧会が開かれ、それと前後して新たな都市交通機関が登場します。1つは梯子状に張り巡らされた運河を航行する大阪巡航船(石油発動機動力のポンポン船)であり、同年9月1日に、大阪市電の花園橋―築港桟橋間5kmが開業します。これは二重の意味でエポックメーキングな出来事でした。

徳川幕藩時代の商都大坂は、堂島川沿岸の回船問屋の集積から始まったのですが、明治開化以後の近代都市大阪の原点は、この築港事業に負うところが大きいのです。殖産興業の号令の下、貿易が奨励されたものの、明治時代にはいわゆる近代港湾はまだ未発達でした。その中で将来を見据えて市域拡張(58.45km^2)と同時に国際貿易港として近代港湾を造成する事をまちづくりの起点に据えた事業と言え、後に「東洋のマンチェスター」の称号を得る大阪のベルエポック時代を築く礎となる戦略的な先行投資だったと言えます。

そしてその新しい港へ向かう新しい乗り物として市電が産声を上げたのですが、幾つかの点で他都市の市街電車とは異なった特徴があります。他都市では民間事業として始まった市街電車事業ですが、大阪は当初から市営だったことが特筆されます。地方公営交通のパイオニアだったわけです。自治体による公益事業は、民間のような営利目的とは異なり、事業収益は街路整備や電気、ガス、上下水道などのライフライン整備、公園や公立学校の整備などに還元され、税収以上の事業規模でインフラ整備を行う、ある意味大阪モデルと呼ぶべき地方行政モデルを生み出したという意味で画期的な出来事でした。これは同時に都市交通を都市計画に反映させて計画的に整備するスタイルの確立でもあり、その後他の都市も追随することになります。

余談ですが、開業時から市営だった大阪市に対し、他都市はほとんど民営でスタートしています。東京の場合は東京馬車鉄道が電化して転身した東京電車鉄道、民間資金を集めて新規参入した東京市街鉄道、青山―川崎間のインターアーバンを目指した東京電気鉄道(外濠線)の3社時代を経て東京鉄道に統合された後に東京市に買収されたのが明治44年(1911年)で、今年都営交通100周年として荒川線に花電車を走らせたりしていますが、公営交通としては大阪に遅れてのスタートでした。同様に横浜も名古屋も京都も神戸もスタートは民営で、まちづくりと一体で整備された大阪市電とは歴史過程がかなり異なります。

開業当時の市電は全線単線で、中間の電気鉄道事務所の待避線を使って交換しながら、花園橋と築港桟橋の双方から30分間隔の時隔法運行とする運行スタイルでした。時隔法自体は軌道(tramway)では標準的な運行管理スタイルで、鉄道(railway)のように線路を一定区間ごとに区切って1列車しか走らせないといういわゆる閉そくとは全く別物です。tramwayはあくまでも道路の付帯設備であって、実は古代ローマの石畳の遺構でも、ローマ時代の馬車の車輪間隔と一致するくぼみが見られるなど、むしろrailwayよりも人類史上は古い存在です。都市交通として多数の馬車を走らせれば、ゴムタイヤのない時代の道路の轍掘れは相当大きかったと推察されますが、そうしてデコボコになった路面では、馬車の通行に支障となるのは明らかで、逆に石畳にくぼみをつけて馬車の通行を助けると共に、道路のメンテナンスを軽減するのは、ある意味自然な知恵です。

道路交通の一部であるtramwayは、当然ながら御者に相当する運転士の目視による安全確認が大前提ですから、単線でも通票交換などは行わず、起点を時隔法で出発して交換の待避線では対向電車を待つという単純な方法での運行管理でした。ただしこれでは都市交通として求められる多頻度運行は無理なのですが、市電の路線拡大は街路整備と並行して進められ、当然のように複線化が行われ、運行方向が固定されれば問題は解消します。こうして大阪は急速に近代都市としての体裁を整え、市電の路線網拡充と共に、民間事業の巡航船を廃業に追い込むに至り、大正14年(1925年)には市域拡張で13区、181.68km^2、人口2,114,804人で当時国内最大の大都市となりました。

とはいえバス事業に関しては、東京と同様に民間事業者に先を越されます。まず市電開業と同年の1903年、勧業博向けにアメリカから持ち込まれた蒸気バス2台で梅田―恵美須町間で営業を始めたものの、縦型ボイラーで轟音を立てながら走る低性能且つ取り扱い困難な代物だったために、ほどなく廃業します。ライバルの低性能に助けられた形ですが、1924年には大阪乗合自動車によるガソリンバスが運行開始し、市バスは昭和2年(1927年)に阿部野橋―平野間で運行開始するも、都心部への路線は1929年にやっと認可され、民営の青バスと市営の銀バスのサービス合戦となり、市電の営業基盤を侵食し、1932年には市電は赤字転落となります。この状況が解消されるのは、1940年、陸上交通事業調整法に助けられて青バスを市が買収する形で実現します。

一方、都市規模の拡大で市電とバスだけでは早晩行き詰ると見られていたため、1926年には地下鉄計画を市議会で決定し、1927年には4路線54.48kmの特許取得。緊急整備路線として南方―あびこ間を選定、うち梅田―心斎橋間3.1kmを第1期工事として着手しました。この地下鉄事業でも大阪流の独自性が見られます。

地下鉄事業も街路整備と一体で行われ、南北の幹線ルートとして御堂筋が整備され、その地下に地下鉄を通すということで、道路に付帯するということで、準拠法規を軌道法としました。鉄道事業法の前身の地方鉄道法では、鉄道省の免許で事業着手が可能となりますが、これは鉄道省が鉄道施設法に基づいて整備する路線は、国の現業機関としての権限行使なので、それに抵触しない事業であることと、事業としての採算性や事業者の資格要件に問題がないかを審査して免許を交付するという法体系ですが、軌道法では道路を所管する内務省―地方行政府にも諮る必要があり、公共の道路を占有するという意味で免許よりも一段厳しい特許となります。

とはいえ道路下の空間を利用するものの、実態は高速電車であり、新設軌道(軌道法では道路上の併用軌道に対して道路外の専用路に施設された専用軌道をこう呼ぶ)には実態に応じて地方鉄道に付帯する諸規則を準用することになっています。ややこしいんですが、そもそもは日本初のインターアーバン、阪神電気鉄道の事業特許申請時に、官設鉄道の並行路線ということで、私設鉄道法免許の公布を渋る当局の裏をかく形で軌道法で出願し、担当官吏の「沿線の一部でも道路にかかっていれば軌道法準拠で良いという粋な計らい(笑)で実現し、その後京阪、箕面有馬、大阪電軌、兵庫電軌などが同じ手で事業に乗り出したという大阪独特の事情から、無閉そく運転が基本の軌道で目視による高速運転が行われて大事故に至る危険性に対する制度上の安全弁というわけです。今ほど交通、通信が未発達な中で、地方官吏には往々にして法令の独自解釈がまかり通っていたわけで、ある種一国二制度状態だったとも言えます。表現を変えれば中央集権の綻びが、大阪の発展に寄与したとも言えます(笑)。今流に言えば特区制度に喩えられそうです。

あと特徴的なのが、都市計画法で定義された受益者負担制度が適用された点です。これは都市インフラの整備に伴って発生する受益を得る者に、都市計画事業費の一部または全部を負担させる制度で、地下鉄事業では駅から半径700m以内の地権者に課税する形で、開業後の地価上昇に伴う開発利益を還元したもので、日本では後にも先にも唯一の事例ですが、欧米のLRT整備では当たり前のように活用されている制度でもあり、このことが都市交通整備を遅らせて通勤ラッシュを生み出したとすれば残念な話です。

僅か3.1kmの1期工事区間ですが、堂島川と土佐堀川の2河川を潜り、また3mも掘れば地下水が湧き出す軟弱地盤ということもあり、工事は難航を極めました。加えて昭和恐慌で建設費に募集した市債は札割れとなり、電気事業の収益で財源を捻出するなどして着工にこぎつけましたし、雇用対策で重機類を用いず人海戦術で工事を行うなどしたこともあり、建設費の高騰の原因となります。これが市営地下鉄の高運賃の大元と考えると、おそらく民間事業としては成り立たなかったでしょうし、逆に民間ならばどこかで撤退していた可能性もあり、市営だったから完遂できたとも立ち止まれなかったとも評価でき、功罪相半ばというところでしょうか。

戦後はモータリゼーションの進捗で大阪でも度々渋滞が発生し,特に1960年、北大阪の10時間交通マヒと呼ばれる大渋滞が起こり、市電廃止に世論がなびく結果となります。またこれをきっかけに市電から地下鉄や市バスにシフトする客が増えたこともあり、大阪市電は慢性的な赤字となり、地下鉄整備に併せての部分廃止や一部路線のトロリーバスへの代替、ポイント梃子操作の自動化。ワンマンカー導入などの合理化を進めるも好転せず、1970年の大阪万博に併せて地下鉄網を拡充する一方で、1969年3月31日、最後に残った阪急東口―守口車庫前間と玉船橋―今里車庫前間の運転終了を以て全廃されます。

バス事業でも大阪流はいろいろあります。際立つのは1951年という早い時点でのワンマンカー導入です。いすゞBXD30型ディーゼルボンネットバスを前後2扉仕様とした専用車を登場させました。しかしモータリゼーションの影響は市バスにも容赦なくのしかかり、また地下鉄整備と共に1964年から乗客減に転じ、赤字体質の下、1967年には財政再建団体の指定を受け、合理化努力を重ねますが、状況は好転しませんでした。

そういう中で、1974年にはゾーンバスシステムが導入されます。これは複雑でわかりにくい市バスの運行系統を鉄道駅同士を結ぶ幹線系統と、幹線系統に接続して生活ゾーンを結ぶ支線系統に分離し、運行系統を単純化して定時運行を確保するもので、幹線バスと支線バスは指定停留所で乗り換えを可能とするもので、その後見直しもされましたが、基本的なコンセプトは維持されており、また他の地域でも導入例が見られます。

加えて地下鉄やニュートラムとバスの乗り継ぎ割り引きも導入され、自動車の増加に任せるのではなく、公共交通機関の機能向上を通じてライドアンドライドシステムの構築に動きます。この辺は市営交通である程度地域独占状態にあるからこそ可能な施策でもあり、今後橋下市政で進められるであろう民営化の議論の影響を受けます。

また万博対応の地下鉄建設で地下鉄も収支が悪化し、万博後の整備が滞る中、国に働きかけて営団や公営など公的主体に対する地下鉄補助金制度の創設を求め、結果的に実現しますが、これが逆にその後の地下鉄整備に弾みをつけてしまうことにもなり、この辺の評価も難しいところです。それでも地下鉄事業は累積債務を償還し、公営地下鉄としては初めての完全黒字を実現します。橋下市政で市営交通の完全民営化でも、地下鉄の黒字で市バスの赤字を内部補助する仕組みが考えられており、報道の通りならばあまり変化はないのかもしれませんが、幾つかの問題点があります。

1つは鉄道事業法の特例となっている事項で、鉄道資産のインフラ部分、地下鉄で言えば通路となる地下トンネルや高架橋の固定資産税の免除が適用されなくなる事と、やはり公営交通で免除されている運転士の動力車運転免許取得問題があります。後者は現職者には実態に即して交付されるとしても、今後育成される運転士には国家試験が義務付けられるわけで、1人700万円とも言われる育成費は重荷になる可能性があります。そんな中で10-20円程度の運賃値下げが検討されているという報道もあり、それを人件費の圧縮だけで実現するのは、正直なところ難しいといえます。

というわけで、都市交通の難しさを橋下氏や維新の会のメンバーがどれぐらい理解しているかは不明ですが、単純な民営化だけが解ではないということは申し上げておきます。例えば現行制度では制約はありますが、市営形態を維持したままの民間への運営委託という方法は、欧米の都市交通では普通に見られます。例えば5年とか10年とか期限を切って受託事業者の入札をする形で競争環境を維持するということで、上記のライドアンドライド政策を維持できるなど、メリットがあります。

あとは東京の地下鉄一元化でも言及した運輸連合方式のよる運賃の一元化でしょうか。事業そのものへの参入は自由化するとして、複数事業者間で運輸連合を形成して共通の運賃プールを形成し、客観基準に従って配分する方式などで、運輸連合への参加が合理化のハードルとなることで、競争環境を維持しつつ乗客の利便性を高める手法はあるわけで、形式的な株式会社形態の完全民営化に拘りすぎない方が突破口が見えてくるのではないかと思います。

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Sunday, December 18, 2011

整備しても進化せん日本の高速鉄道

本題に入る前に、以前指摘した三陸自動車道の直轄工事が「復興道路」の名の下に着工されました。津波対策として集落の高地移転が行われる事を見込んで、内陸部のルートを辿る計画だそうで、完成すれば並行する鉄道線の復旧はほぼ不要となること確実ですが、地元がそこまで同意したという話は聞きません。

その一方でJR東日本は気仙沼線、大船渡線、山田線のバス高速交通システム(BRT)による復旧を打ち出しました。集落の移転が見込まれる中で、文字通りの復旧は沿線の無人地帯化の恐れがあるだけに、JR東日本としては状況を見極める必要があるわけで、「ローカル線軽視」の原武節がお門違いなのは言うまでもありませんが、被災地の生活支援の観点から早期復旧するためのセカンドベストとしては歓迎すべき事です。

しかし仮に高地移転された集落が三陸道ルート周辺に集まるとすれば、復興集落を結ぶ復興鉄道の建設の可能性は限りなくゼロになるわけでもあり、また盛でJR大船渡線と接続する三陸鉄道南リアス線が孤立し運命を共にする可能性もあるなど、この辺の復興計画の整合性や地元の合意形成は問われるところです。

そしてやはり危惧していたとおり、復興事業の本格化に伴って鉄鋼、セメント、木材、化成品などの資材価格が高騰しており、結局増税までして確保した財源は、資材メーカー、商社、流通機能を持つゼネコンの懐を潤しますが、工事の進捗を遅らせますから、結局被災地にお金が落ちないわけです。だから八ッ場ダムをはじめ他地域の公共事業を一時凍結してでも復興バブルを阻止すべきと指摘しましたが、予想通りの展開に暗澹たる気分です。かくして復興バブル紳士は仙台で豪遊し、局地的に景気が良い不可思議な風景となるわけです。

加えて消費税増税を打ち出す財務省は12年度予算概算要求基準を青天井としていて、歳出削減を図るつもりはさらさらないということでしょう。政権交代後、公共事業見直しで5原則を掲げて抑制してきた整備新幹線の新規着工に踏み込む事になりました。九州新幹線長崎ルートの諫早―長崎間、北陸新幹線松任―敦賀間、北海道新幹線新函館―札幌間の3線について、現時点では民主党政調のプロジェクトチームで検討中の段階で、一応着工の方向性は出されたものの、それぞれにクリアすべき問題点があります。

まずは長崎ですが、武雄温泉―諫早間の既着工区間は期間可変電車(GCT)を用いる前提で進めていましたが、長崎までの着工に合わせてフル規格化が検討されてます。おそらくGCTが使い物にならない可能性がある中で、とりあえず鹿児島ルートの新八代方式の乗り継ぎで整備する方向性のようですが、一方で新鳥栖までのフル規格一気通貫は、財政負担が増えるとして佐賀県が反対していることもあり、可能性はなさそうです。

元々並行在来線として肥前山口―諫早間の切り離しが条件だったために佐賀県も反対の立場だったものを、古賀知事が三セクの線路保有でJR九州に運営委託する体制で20年間の支援を打ち出して賛成に回って着工にこぎつけたわけで、元々佐賀県の負担は重いので、これ以上の負担は現実的ではないでしょう。

加えて佐世保線肥前山口―武雄温泉間の複線化問題というのがあります。これがすごい間抜けな話なんですが、JRも佐賀県も沿線自治体も事業化に動かず、当然放置されてます。つまり現状長崎新幹線は開業しても武雄温泉までの単線区間はそのままになりそうなんです。どうも佐賀県は新幹線の関連事業として国の予算がつくと勘違いしたようですが、流石やらせメールを主導した原子力ムラの通産官僚出身知事というか、予算のない国交省はそこまで面倒を見ないことをご存じなかったみたいです(笑)。やるとすれば幹線鉄道活性化事業として三セクによる上下分離形態の事業ということになりますが、具体的な動きは見えません。というか、そもそも最初から新幹線に資金をつけたためにこうなったんですから、救いようのない間違った選択です。

新規着工区間の諫早―長崎間も並行在来線問題が複雑です。途中の喜々津―浦上間に長与経由の旧線(非電化)と現川経由の新線(電化)の2ルートがあり、三セク化するとすれば2つの動力方式を並存させる非効率な鉄道となるわけで、常識的には電化路線の新線を残すところですが、旧線の長与駅は乗車人員1,880人(2006年)あり、新線区間の市井、肥前古賀、現川3駅合計を大きく上回り、長与町にとっては生命線となるだけに、切り捨ては難しいでしょう。ま、長崎本線は鍋島から先は貨物列車がありませんから、非電化化という究極の選択の考えられなくはないですが(笑)。

北陸新幹線も並行在来線問題は深刻です。日本海縦貫線を形成する貨物の重要幹線ですが、肥薩おれんじ鉄道のように旅客列車はワンマンディーゼル車で非電化としながら、貨物列車のために電化設備を残すためにJR貨物も出資しています。この方法はJR貨物にとって過酷であり、東北のように新幹線のJRへの貸付料に上乗せして得た資金でJR貨物に補助して、受け皿三セクに資産見合いの収入を保証するやり方は、逆に新幹線を引き受ける旅客会社にとってほとんどうま味のない話になるなど厄介です。東北の場合は延伸部の収益に頼らず、根元側で益出しすることで成り立っていますが、上越に会社境界のある北陸の場合、根元受益はJR東日本が独占するわけで、JR西日本にとってはありがたくない話です。

あと北陸新幹線を災害時に備えた多重化の論点で整備すべしという論がありますが、敦賀止まりで京阪神につながらないのでは無意味ですし、かりにつながっても、最高速260km/hで、しかも速度制限のかかる山越え区間がある北陸新幹線は役に立ちません。JR東日本はE2系後継として高出力型のE7系の開発を発表しましたが、勾配区間で200km/h超というレベルでは意味がありません。せめて東京―大阪間3時間以内で結べなければ、多重化は無意味です。

この速度の問題は北海道新幹線では更に深刻です。というのは、北海道新幹線の場合、東京―札幌間で4時間を切るかどうかがポイントで、JR東日本はFASTECH360(E954系,E955系)の試作で、車両面から可能性を示唆したものの、全区間この速度で走り続けない限り4時間切りは無理で、現実的にはE2系で275km/h運転されている宇都宮―盛岡間で、車体傾斜システムなどを活用して320km/hというところを現実的な解として、E5系,E6系を開発しました。しかも盛岡以北の整備新幹線区間は260km/h仕様で、リース物件でもあり、JRによる高速化のための再投資が難しいという難題を抱えます。

そもそも整備新幹線の事業費の国の負担分には、JR東、海、西各社が支払う新幹線買い取り代金に上乗せした鉄道整備基金の拠出分に借入金や一般財源を足したもので、年間724億円を60年償還とするローンが組まれていて、この支払いが2052年まで続きます。つまり整備新幹線を引き受けたJR東日本が既存新幹線の買い取りで支払ったローンを原資に整備新幹線を作って、その貸付料も払っているわけですから、実は二重ローンになっているのです。JR東日本の株式上場で基準を満たすために行われた新幹線の買い取りで、結果的に再投資が難しい物件を抱えるのですからばかげてます。尚、今回、東北、九州両新幹線の開業でJR東日本、九州両社から400億円の貸付料が入るようになり、これを整備費用に充当する事で、新規着工の扉を開いたのですが、これはJR東日本にとっては三重ローンとなることを意味します。新幹線の利益はしゃぶり尽くされるわけです。

ローン支払いのないJR九州はその点恵まれているのですが、直通運転を行うJR西日本がローンを負担していると考えると、みずほ、さくらといった速達列車で対航空の競争力強化を打ち出してJR九州と認識のズレを生み、結局九州を押し切って速達列車中心のダイヤを実現したのは無理もないところです。

この点は一見JR北海道にとってはいい話のようですが、問題は青函トンネル区間にありまして、現在は貨物輸送で持ち出しても、旅客輸送でカバーできているのですが、整備新幹線として貸付料が発生すると、旅客輸送の利益が貸付料で取られてしまいます。貨物との共用が前提の区間ですから、損益通算が認められるとは思いますが、そうなると今度は最高速が現行の電車特急と同じ140km/hとなり、どう頑張っても新青森―新函館間1時間となり、東京―新函館間4時間、仮に札幌まで延伸されても5時間以上となります。東京基点で時間距離では博多より遠いという話で、航空からの転移はまず期待できません。

Train On Train(TOT)の構想はありますが、整備新幹線事業の枠外の話で、資金のメドはありません。当然JR貨物には負担力はありませんし、また青函トンネルの貨物輸送は北海道経済の生命線でもあり、仮にルートが寸断されて船舶輸送のみとなれば、北海道産の農産物価格が数パーセント値上がりすると言われています。貨物との共存は現実的には解消できないわけです。

対航空輸送の観点からは、今後国内線も格安航空会社(LCC)が一定のシェアを得ると予想される事が問題を不透明にします。上記のように5時間以上かかる上、現状でも合計23,670円(はやぶさ利用)かかる運賃料金プラスアルファとして2万円台半ば以上とすれば、現状でも羽田―札幌(新千歳)便との価格差1万円内外ですが、おおよそ25年の長い整備期間を勘案すれば、LCCで1万円以下の航空運賃が定着している可能性が高く、新幹線を利用するのは飛行機嫌いか鉄ヲタしかいない(笑)ということにもなりかねません。一番の上得意のはずの会社のお金で利用するビジネス客は皆無でしょう。

並行在来線問題も北海道はかなり複雑且つ困難な状況です。新幹線と貨物が共用する青函トンネルも特異ですが、アクセス区間の内、JR東日本管内の津軽線はそのままとしても、北海道側の江差線五稜郭―木古内間は、貨物のために電化設備を維持しなければならない分、受け皿三セクの負担は大きく、貨物と線路を共用する以上、安全面からJR北海道が開発中のDMVも利用できないということになります。

加えて中島前社長の自殺原因の一つとも言われる函館―新函館間の三セク切り離し問題も絡み、JR北海道は五稜郭―新函館間の電化を提案するという奇策に出ています。電化した上で受け皿三セクに譲渡し、JR北海道が運営受託して自社の営業線として存続させるというものです。詳細は不明ですが、おそらく江差線も同様に一体で運営し、専用の電車を走らせることで効率化しようということなんでしょう。

ちなみに、渡島大野駅付近とされる新函館ですが、営業キロが設定されていない通称藤城線(七飯―大沼間)という厄介な存在もあります。藤城線自体は下り専用線で、優等、貨物と一部の普通列車が利用しています。その関係で七飯―新函館―大沼間は単線となるわけですが、電車列車でスピードアップすればダイヤ編成の自由度が増すわけで、加えて運賃通算や新幹線の発券業務など新函館の新幹線アクセス輸送やサービスが一体で行えるメリットもあると踏んでいるのでしょう。とはいえ今後札幌までの着工となれば、長大ローカル線となる函館本線新函館―小樽間で沿線自治体の造反を誘う要素でもあり、駒ケ岳の迂回路の砂原線問題も複雑で、新たな揉め事の火種も抱えます。

砂原線は戦時輸送強化の緩和勾配線という位置づけですが、長崎本線の長与線に対する通称浦上新線の整備は1972年の話で、北陸本線木ノ本―敦賀間も柳ヶ瀬ルートに代わる近江塩津ルート開業が1957年、敦賀―今庄間の北陸トンネルルートが1962年と、国鉄時代は少ない予算をやりくりしながら幹線ルートの線路改良に取り組んできた歴史があります。それでも収益の見込めない地方へ配分される予算は限られ、結果的に例えば長崎本線で並行在来線として切り離される肥前山口―諫早間は単線のままでしたし、長万部以南の函館本線も単線で残った区間が散見されるなど、高速道整備が進む地方の現実の中で競争力を失いつつあります。

そういう中で整備新幹線に予算をつけられて、在来線の地道な改良には資金が回らない現状は、ある意味鉄道網を立ち枯れさせることを助長していないかということを申し上げたいわけです。しかもその整備新幹線が最高速260km/h仕様で、北海道新幹線に至っては、年度の事業費負担を減らすという理屈で整備機関を25年程度としていることも問題です。整備期間が長くなればその分利払い費で事業費が膨らみ、できたときには上記のようにLCCの定着で利用者はいないし、そもそも世界は新興国すら300km/h水準の高速鉄道が整備されるとすれば、時代遅れの遅い高速鉄道としてアメリカ北東回廊のアセラとしんがり争いをする程度の代物にしかなりません。それでいて高速鉄道を世界へ売り込むとは片腹痛い話です。現行の整備新幹線はどちらに転んでも中途半端な存在でしかありません。

それよりも成田スカイアクセスのような形で在来線改良とショートカットの組み合わせで、当面160km/hレベルの鉄道網を整備する方が、より多くの地域にとって、マイカーより確実に速い鉄道の恩恵を広く受けられると思うのですが、新幹線の方が政治的なアピールポイントになるということなのか、「コンクリートから人へ」を標榜していたはずの民主党政権下でも新規着工に道筋をつけてしまいました。ホントにアホな役人にもアホな政治家にもつけるクスリはないようです。

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Sunday, December 11, 2011

着地点が見えないCOP17の中の嵐

南アフリカのダーバンで開催されている気候変動枠組み条約締約国会議(COP17)が迷走しており、閉会予定の9日を過ぎてもまだ終わりにならない状況です。去年のCOP16カンクン合意で玉虫色決着された後だけに、13年に失効するポスト京都議定書問題で何らかの合意を得る必要はあるのですが、現在、新枠組みの発効時期を巡って膠着状態が続いています。

今回のCOP17では、京都議定書の条件付き延長を主張するEUが2020年をメドに新枠組みを発効させることを条件に、当面の京都議定書延長に応じるという案に対して中国が興味を示した事で、中欧で合意の期待がありました。そうなれば中国をけん制したいアメリカも新枠組みに反対する道理を失うということで、事前の合意への期待は高かったのですが、蓋を開けてみれば中国の強硬姿勢はあまり変わらず、アメリカも20年以降の削減義務に消極姿勢の中、一部途上国から20年の新枠組み発効では遅すぎるという声が上がり、発効時期を明記せず、議定書延長の想定が5年となることから、2018年に新枠組み発効と読める内容に米中が反発して、議論は暗礁に乗り上げたまま動かなくなりました。

ここまでの話では日本の出番がないように見えますが、日本も当然重要なプレイヤーですし、今回COP16カンクン合意から主張を変えた部分があり、世界から失望されています。日本は京都議定書の単純年長には反対し、カンクン合意では、議定書延長の場合温室効果ガス25%削減を国際公約ではなく自主的な努力目標とするとしていたのですが、今回それすらも引っ込めて、一切の数値目標を掲げないとするものです。当然合意の足を引っ張る役割を果たしました。メディア報道では「カナダとロシアが同じ主張」としてますが、日本は明確に主張を変えたのであって、その部分は意図的に伏せられています。

言うまでもなく3.11福一事故の影響で、原発依存の温室効果ガス削減が難しくなった事で態度を変えたわけですが、結果的に合意機運に水を差したことは間違いなく、途上国からは「削減目標を提示しない国には議定書のクリーン開発メカニズム(CDM)を利用する権利がない」というけん制発言も出て、合意を更に難しくしています。ホント外交交渉ではろくでもない日本政府です。TPP交渉が思いやられます。

そもそも環境に対する政府の認識に疑問符がつくのですが、基本的には東西冷戦の終結で顕在化した潜在リスクという認識がないんじゃないかと思います。この視点は気候変動問題に留まらず、昨年名古屋で開催された生物多様性枠組み条約締約国合着(COP10)も含めて、経済のグローバル化、すなわち東側諸国の世界市場参入や途上国の工業化によるキャッチアップによるグローバル市場の拡大で、複雑な利害関係が従来の国際政治の枠組みでは制御できなくなってきた事に由来します。

気候変動問題は、農林漁業などの一次産業にショックを与え、穀物市場の高等などを通じて貧困国を圧迫する一方、工業化による化石燃料消費の拡大で資源争奪戦が激化するなどのリスクがあるわけです。生物多様性問題は、遺伝子のかく乱防止、生態系サービス維持と共に、遺伝子資源の管理と有効利用という命題を抱えており、基本的には生物資源から得られる便益の配分問題と捉えることができます。しかしこの辺は一般にもあまり理解が進んでいないところです。

気候変動問題に関しては、灼熱の氷河急行の記事で取り上げた2007年のクライメートゲート事件の問題もあり、科学的根拠を疑う議論もあるのですが、そもそもネイチャー誌のホッケースティックのグラフ自体、気候変動が関心を集めた直近の豊富な気候データに対して、古い時代のデータは基本的に地質調査で得られたデータによるわけで、元々データの出所が違うわけですから、きれいな相関を示すグラフ自体に多少の化粧が施されていたとしても、それ自体は驚くに値しないわけで、逆にだからといってCO2などの温暖化ガス排出量増加を原因とする仮説自体が否定されたわけではなく、温暖化が確認される直近の気象データが示す現実が変わるわけでもありません。つまり依然として気候変動に伴うリスクは存在するわけで、それに対して検証を待てば事態が進行して手遅れになる可能性がある中で、採り得る対策として温暖化ガスの排出量を管理する事ぐらいしかないという現実に直面しているわけでもあります。

こういった構図を頭に入れて日本が依拠してきた原発による温室効果ガス削減という議論は、気候変動リスク回避のために事故や核廃棄物処理で多大なリスクを負う原発推進という構図で捉えなおすことができます。少なくとも3.11以前ならばともかく、福一事故の現実に直面する日本の選択として、気候変動リスクを原発固有のリスクに置き換えることの是非として考える必要があります。間違っても直近の電力不安などを煽って決めるべきことではありません。

もう一つの論点として、そもそも京都議定書では先進各国への削減義務を定めると共に、CDMにより工業化される途上国の温室効果ガス排出拡大を防止することで、先進国に排出権クレジットを交付する仕組みが組み込まれましたが、国連の気候変動枠組み条約(UNFCCC)の認証が条件となり、その条件がかなり厳しいために、有力な事業が枯渇しているという現実もあります。本来環境技術で先進性を有する日本が果たすべき役割として、このCDMの認証事業を拡大して排出権クレジットを取得しやすくすることが考えられます。環境技術の輸出と移転を進めることで、地球規模の温室効果ガス削減に貢献するということです。

当然クレジット取得に費用はかかりますが、その結果日本企業が得意とする環境関連製品の販売やエンジニアリングなどで富をもたらすわけで、また事業を通じて技術移転も促進され途上国も恩恵を得るわけで、原発にお金をかけるなら、こちらに力を注ぐ方が、多くの企業が関与できますしその際排出権の買い取り費用は一種の輸出補助金の役割と割り切る事も可能となります。排出権価格の相場如何では円高にも耐性があると考えられ、コモディティ化した薄型テレビやコンパクトカーを売り込むより確実に比較優位があると思います。

ついでに対象国を途上国に限定せず、アメリカのように数値目標を明示しない大量排出国も含むようにすれば、80年代の自動車や半導体のように、雨アラレの大量輸出でアメリカ市場を席巻すれば、アメリカも根負けするでしょう。文句言われても「国際ルールに則った行動」とシレッと言い放てばよいですから。この辺は日本政府の得意技でもあります(笑)。

というわけで、膠着した議論を日本政府が動かせるとすれば、CDM事業の認証範囲の拡大、例えば風力発電や太陽光発電などの自然エネルギーや、スマートグリッド技術関連技術、モーダルシフトを意図する鉄道整備などが考えられます。ヨルダンとの原子力協定締結で原発輸出に舵を切る野田政権ですが、原子力関連産業よりも間口の広い環境関連にこそ力を入れるべきでしょう。

ただし鉄道関連は注意が必要なところで、モーダルシフトは第一義的には貨物鉄道や都市交通の分野がメインであって、高速鉄道は必ずしも当てはまらないということは指摘させていただきます。航空からの転移という視点もあり得ますが、高速鉄道自体が需要を誘発する効果があり、また輸送力の大きさから乗客1人当たりの数値は乗車率次第でもあり、正味の排出削減につながるとは限らないわけで、この辺の議論をすっ飛ばして(電力消費量の多い)リニアは航空よりも環境にやさしいといった戯言が語られるのはうんざりです。また都市交通は地下鉄やモノレールなどに限らず、LRTや場合によってはBRTのようなものまで、需要に応じてさまざまな選択肢がある分野でもあり、日本企業が必ずしも強い分野とは限らないことも忘れるべきではありません。

もう一つ言えばそもそも省エネ先進国と言われる日本ですが、そのかなりの部分を小さな家と通勤電車の混雑に依存しているわけで、国民の犠牲の上の話という視点も忘れるべきではありません。原発で大もうけできる一部企業の言い分ばかり聞かずに、日本の経験を良い点も悪い点もひっくるめて世界へ発信していく姿勢こそが大事でしょう。コップの中の嵐のような国内政治では望むべきもありませんが-_-;。

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Sunday, December 04, 2011

公営交通民営化大阪の陣

やー、怒涛のような大阪W選挙で維新の会が大阪市長と府知事を独占するという結果となりました。とにかく自民から共産まで、選挙前距離を置いていた既存政党は、選挙結果あを受けて戸惑っているようです。一部には擦り寄るような発言もあり、得票差が示す勢いに恐れをなしているようです。

しかし法改正が必要な大阪都構想は実現可能性はほとんどなく、そもそも戦時体制で東京府と東京市を国の命令で統合し、既成事実として地方自治法をすり抜けた東京都自体が矛盾に満ちた存在です。皇居と国会と官庁街がある千代田区プラスαを特別自治区として国が直轄し、他の22区を通常の市にするという方法もありますし、中京都構想を掲げる河村名古屋市長と大村愛知県知事は、同じ都の文字を用いながら県市連合を目指しますし、新潟県と新潟市が提唱する新潟州は、中核都市が広域行政を兼ねる形の別の提案ですし、横浜市とさいたま市は政令市の独立による都道府県レベルの権限を要求するなど、百家争鳴状態です。もちろん背景には現行の地方自治制度が実態に合わない現実があるわけですが、そもそも政令市の要件緩和で無理な市町村合併で市域が広く過疎地を含む政令市まで現れ、必要とされる行政能力が備わらないなど、今後かなり議論を重ねる必要があります。ということは、日本国ではほぼ実現可能性がないということが含意されます(笑)。

橋下氏が掲げる政策で、大阪副首都構想というのがあり、こちらは与野党の有力議員の一部も賛同しているようですが、その中身はリニア新幹線の大阪延伸と引き換えに伊丹空港を廃港して跡地に高度防災都市を建設するというもので、実現しても2050年以降、つまりほとんど可能性ゼロということです。教育改革もほぼ不可能でしょう。

そういう中で、唯一実現可能性があるかもしれないのがタイトルの公営交通民営化ですが、実は大都市で成功例はなく、実現すれば大阪市が初めてとなりますが、選挙期間中の橋下氏の発言などを見る限り、正直ちゃんと理解しているかどうか疑問が残ります。

大まかな構想では黒字の地下鉄と赤字のバスを持ち株会社で結びつけ、地下鉄の黒字でバスの赤字を内部補助させるという計画で、早速持ち株会社設立が準備されるようです。大都市の公営交通民営化では、石原都知事が1期目の頭で都営交通の民営化をぶち上げ、組合の反対であえなく頓挫。当初営業所単位での民間委譲は、結局不採算路線の運行と抱き合わせということで手を上げる事業者が現れず、それでも都営バスの一部営業所を東京都も出資するはとバスに運行委託するなどでコスト圧縮は進められました。

その一方で特別区各区で、地下鉄の開業に伴う都営バスの路線縮小に対して、地域ニーズを掘り起こす形でコミュニティバス事業が活発となりましたが、その入札は民間事業者に取られ、中には都営バスの基幹路線と競合するケースまで現れる始末で、結局都営バスの改革はうまくいかず、また都営地下鉄に関しては、猪瀬副知事のメトロいじめに終始する始末で、結局こちらも進まないわけです。

もう1つ記憶に留まるのは中田市長時代の横浜市ですが、こちらは外部有識者による検討委員会まで発足させて完全民営化の答申を得たものの、やはり実施段階でいろいろ問題が出て、結局バスも地下鉄も市営のまま現在に至ります。バスに関しては一部路線の民間移管と一部営業所の廃止の一方、余剰車両と乗務員を活用した新路線設定などのチャレンジも行われ、経営改善は図られているものの、仰々しい民営化方針はどこへやらです。

といった具合に大都市の公営交通に関しては民営化の成功例はないわけですが、中小都市では浜松市や岐阜市、荒尾市、三原市などで、地域の有力事業者に移管されて廃止されたケースが多く、いずれも地域に有力な民間事業者があって受け皿となり、結果的に民間事業者にとっても地域独占と運営の効率化で経営改善につながったと見ることができます。地域交通に関しては、地域独占と効率化の両立が鍵となるようです。

となると大都市で公営交通の民営化がうまくいかない理由が見えてきます。つまり元々集積度の高い大都市では、参入希望が多く独占事業が成り立ちにくいという現実です。とはいえ大阪市の市営モンロー主義は度々指摘されてきたところですし、東京でも結局山手線の内側まで路線を延ばした例は京成本線、西武新宿線、京急本線の3例に留まるように、鉄道に関しては大都市ゆえの問題があるわけです。

鉄道に関しては建設費が壁になるのは直感的に理解できると思います。特に多数の地下構造物が存在し、後から作るにはそれを避けたり仮受けしたりしなければならないなど制約も多いですし、特に大阪は軟弱地盤で建設費が嵩むという事情もあり、結果的に民間の参入は限られました。

東京では同じ時期に東急新玉川線と京王新線が整備されました。いずれも全額自己資本で整備された民間の地下鉄もどきですが、新玉川線9.4kmに780億円、京王新線3.6kmに480億円を投じたもので、両社共当時の鉄道資産額を倍増させる経営インパクトとなった大事業です。当然経営は苦しくなり、当時各社で競って進められていた車両冷房化で後れを取り、東急のツリカケ車や京王のグリーン車^_^;を延命させる結果となりました。鉄ちゃん的には嬉しい話ですが(笑)。

対して東京メトロの前身の帝都高速度交通営団(以下営団と記す)や東京都や大阪市などの公営地下鉄は補助金が投入されており、トンネル躯体などのインフラ部分の70%相当という高率な補助率です。線路、電路、信号、車両などの設備や動産は対象外なので、結果的には総事業費の半額相当ぐらいですが、それでも補助なしで塗炭の苦しみを味わった民間事業者とはそもそも前提が異なります。

この辺の事情は大阪も同じで、京阪本線の淀屋橋延伸は重荷だったため、近鉄との合弁事業だった奈良電気鉄道を突然近鉄が株式取得に動き、傘下に収めて最終的には近鉄京都線となるのですが、京阪は奈良電の株式取得に応戦したものの、淀屋橋延伸の負担で資金を集められず全く歯が立ちませんでした。またDC600Vから1500Vへの昇圧も後回しとなり、電気容量の制約から編成が7連までに制約されていた結果、複々線区間の延伸という追加出資も強いられるなど、厳しい経営を迫られました。

その点難波線を自力で建設した近鉄は流石と思われるかもしれませんが、これも大阪万博関連事業の名目で、街路の千日前筋の整備と並行して市営地下鉄5号線と同時施行でコストを圧縮しており、京阪が自前主義に拘って苦しんだ轍を踏まなかった結果です。一方でそれと直通を計画された阪神難波延長線は事業のメドが立たず、京阪中之島新線と共に三セクによる三種事業者を建設主体とする償還型上下分離で実現したものです。ちなみに村上ファンドに狙い撃ちされた阪神を阪急が合併したのは、なんば線開業で近鉄の影響力が増して近鉄神戸線になるのを嫌ったからということも言われます。合併後のシナジー効果の薄さを見ると、あながち外れともい言えないところです^_^;。

というわけで、大阪都心部へ路線を延ばした大手各社は、結局公的支援を得て実現したわけで、それがなければ環状線内は市営地下鉄の金城湯池となっていた可能性があります。ここまで書けば、猪瀬副知事が提唱する地下鉄一元化案は前提を失うことがご理解いただけると思います。大阪市が「JRも京阪も近鉄も阪神も環状線内の路線は大阪市に一元化しろ」と言えば相手にされませんね。

これがバスになると一転参入障壁が低くなるわけで、実際戦前、都営交通の前身の東京市電は、民間の円太郎バスの参入で乗客を奪われ、経営が苦しめられます。加えて震災復興のための起債も膨らみ、市財政が危機的状況となる中、早川徳次がI率いる純民間企業の東京地下鉄道の事業参入を許し、また自前の都市計画で策定した地下鉄計画路線の事業免許の民間売却で東横電鉄系の東京高速鉄道の進出を許し、両社の統合で営団ができた経緯につながります。国も東京市に地下鉄が作れるとは考えなかったのです。いわゆる戦時統合ですが、結果的に東京地下鉄に併合された円太郎バスも都営交通に統合され、逆に戦後、都心進出を窺う民間バス事業者に対して、相互乗り入れの形で対応しながら営業エリアを守り続けたのが現在の都営バスということです。この辺は大阪市も事情は似たり寄ったりで、環状線内の民間バスは基本市営バスとの相互乗り入れ路線として営業エリアを防衛したもので、地下鉄の敵をバスで打つが如し、市営モンロー主義の実態です。とはいえ流石に新規参入事業者までは規制できず、風穴があいています。

といった中での民営化構想ですが、東京や横浜と比べれば、それなりに実現可能性はあるように見えます。何より公営地下鉄で初めて、累積債務を一掃した完全黒字を達成した点は大きいと言えます。ただしこれも戦前に建設された御堂筋線の寄与が大きいわけで、線区別収支は公表されておりませんが、どう見ても千日前線や今里筋線などで苦戦していることは間違いありません。それでも新線建設を打ち止めにすれば、御堂筋線以外の路線も償還が進み、黒字化する可能性はありますが、未だに新線建設構想はくすぶっております。

その際たるものは、四つ橋線の西梅田―十三間の延伸で、いわゆる梅田北ヤードの再開発を睨んで検討が進んでいるようです。とはいえ阪神梅田駅が支障する現在の西梅田駅からの延伸は物理的に不可能で、更に西梅田駅南方はJR東西線北新地駅と一体化されていることもあり、西梅田駅の移転を伴うルート変更も非現実的です。ただし新大阪連絡線(十三・神崎川―新大阪―淡路)の免許を保有していた阪急電鉄が、神崎川―新大阪―淡路間の免許を失効させる一方、十三―新大阪間は保持していて、四つ橋線との相互直通に意欲を見せている状況もあり、傘下に収めた阪神の梅田駅移転のような荒業を仕掛けてくるならば、一気に実現に向かう可能性があります。合併のシナジー効果を図る意味もありますが、阪神がすんなり言う事を聞くとも思えませんので、実現可能性を心配することはないのかもしれません(笑)。

逆に心配なのが、橋下氏が知事時代から注力してきた関西国際空港の活性化問題で、アクセスルートとなるなにわ筋線構想に踏み込む可能性もあります。運営主体が曖昧な現状から、市営地下鉄または後身企業に事業を担わせる政治判断が起きる可能性もあり、そうなると市営地下鉄の400億円程度のささやかな営業利益など簡単に吹っ飛びます。当然地下鉄の利益でバスへ補助する民営化スキームそのものが成り立たなくなるわけです。

こんな心配は杞憂かもしれませんが、ひとつ気になるのが橋下氏の選挙戦中の発言の中に「地下鉄は民営化すれば安くなる」というような趣旨の発言があったと伝えられる点です。鉄道運賃は電力料金などと同様総括原価方式で申請し認可を得る仕組みですが、JR、大手私鉄、大都市地下鉄などの事業者に関しては、類似する事業者ごとにグループ分けされ、その中での平均的な原価積算を参照し、平均を超える(減価の低い)事業者には超過利潤の受け取りを容認する一方、平均未満の(原価の高い)事業者には利益の源泉となる報酬率を制限し、合理化努力を促すヤードスティック規制が課されている点を指摘する必要があります。つまり市営地下鉄の黒字は、こういった規制の中での薄利であり、常識的には値下げ余地は乏しいわけです。ちなみにヤードスティック規制がかからない地方中小私鉄の運賃は上がる一方で、客離れの原因にもなっています。

そもそも大阪市営地下鉄の運賃水準は高めですが、これは軟弱地盤で建設費が嵩んだことの影響によるものです。交通局職員の高賃金をアピールしたかったのかもしれませんが、人件費比率9割のバス事業と違って、地下鉄事業は固定資産の規模が過大で、その資本費負担のウェートが高く、賃金の抑制が運賃を下げる可能性はほぼありません。こういった基本的なことを橋下氏はおそらくご存じないのでしょう。このことが市営交通民営化の躓きの石となる可能性は高いといえます。

というわけで、残念ながら大阪の維新ブームは、成果を生まない一過性のものとなる可能性が高く、09年総選挙で有権者が民主党に託した望みが裏切られた事の二の舞となる気がします。選挙結果に一喜一憂するのではなく、相手を本気で説得する本物の政策論争をしなければ、結局この閉そく感は打開されないと見るべきでしょう。というわけで、現下の欧州危機でどう対策が打たれ、結果的にどう克服されたかは、10年後20年後の日本の直面する現実の道しるべとなるでしょう。イタリアのように政治家の入らない実務家だけの内閣が発足するケースもあり、どうせなら、官僚主導でも責任の所在を明確にする意味はあります。というわけで、欧州をよく観察しておきましょう。

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