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May 2013

Sunday, May 26, 2013

5月相場で日経平均がカブった波

このところハイペースで上昇を続けていた東証の日経平均(Nikkei225)が木曜日から乱高下しております。調整局面に入ったのは間違いありませんが、立場のよって見立てがずいぶん違うのが笑っちゃいます。というわけで、メディアではほとんど取り上げられていない視点から見ていきます。

テクニカルな話として、5月は元々調整局面になりやすい月ではあります。理由としては4月に225の構成銘柄の入れ替えがありますので、機関投資家やETFその他のインデックスファンドがそれに合わせて組み込み銘柄を入れ替えるタイミングとなります。通常は数銘柄の入れ替えですが、2000年4月には30銘柄の入れ替えで相場が荒れて物議を醸したことがあります。またこのときにハイテク業種の比率が高まり、以後ハイテク業種の影響が強くなりました。結果的にゼロ年代のITバブル崩壊とそれに続く2003年のソニーショック、リーマンショック後のシャープやパナソニックの迷走などの影響をより強くける結果となっており、世界の主要株式指標の中で唯一リーマン前の水準に達していないという結果になっています。実は日本を代表する株式指標が、グローバル経済の変化に追随できていないという笑えない現実があるわけです。

この辺はあくまでも流動性の高い指定銘柄225種で、しかもみなし額面価格を元に再計算された加工された数字ですから、その辺はちゃんと押さえた上で見るべき数字です。個人的な話で恐縮ですが、私がリーマン前に仕込んでいた株式もご他聞にもれず含み損状態でしたが、おかげさまで今は含み損を解消し含み益さえ出ております。個人による小口投資は長期保有を前提に銘柄を慎重に選び、安く拾うことに尽きます。加えて買ったら忘れて10年後に笑うつもりで、目先の値動きに一喜一憂しないこともまた重要です。とはいえ保有銘柄全てが値上がりしているわけではなく、沈んだままの銘柄もあります。他の銘柄の含み益でカバーされているから、全体としては損失は出ていないというのが正確なところです。

5月の株価調整にはもう1つ大きな要因がありまして、これまでそぷばを牽引してきた外国人投資家の仲で大きなウェートを閉めるヘッジファンドの手仕舞いが5-6月に集中しているということもあります。彼らは基本的に短期投資中心で、今まで買い越して上げ相場を演出してきたわけですが、ここで一旦利益確定売りに転ずるタイミングでもあります。ま、これは日本企業の決算発表時期と重なるという要素もあるわけで、「ヘッジファンドのせいで相場が乱れた」という批判は必ずしも当たりません。むしろ今までの上げ相場も含めて日本の株式市場がカモ扱いされているということです。ぬか喜びしている連中は案外相場観が雑です。

で、カモ扱いされているのは株式だけではなく、4月の黒田日銀の異次元緩和以来の債券市場の不安定ぶりに現れています。むしろ時系列ではこちらが先行しているわけで、既に取り上げているとおりですが、その結果何が起きたかというと、国債の安定消化に貢献していた銀行や生保などの機関投資家が国際から逃げ出し、こちらもヘッジファンドのマネーゲームが仕掛けられている可能性があります。日銀の国債大量購入で市場が手薄になっているわけですから、空売りを仕掛けて相場を動かして買戻しをかければ安く国債を購入できますし、入手した国債は日銀の買いオペに応札すれば高く買い取ってもらえるわけですから、資金量に物を言わせれば確実に儲かるわけです。もちろんその分日本の国富は流出するわけです。

しかも国債取引は為替取引と連動させることで、更においしいわけです。ただでさえ円安ドル高で、ドルベースで割安感がある上に、為替予約でドル高による為替差損をヘッジすることで、金利と為替の裁定による利益圧縮を回避して確実に儲けられるわけです。デフレ脱却のためのインフレ目標で国を貧しくするということですね。

ちなみに今回の株の乱高下が即ハイパーインフレになる可能性はほとんどないと思いますが、小泉構造改革の果てに起きたような賃金デフレが最も可能性の高いシナリオです。それが明らかになったときの国民の絶望的な怒りがどうなるのかが心配です。戦前の日本は、輸出を牽引してきた繊維産業の失速で、一方的に日本円の金との交換を停止して円安誘導して国際社会から非難されるなど似たような状況で国際連盟を脱退し「鬼畜米英」を叫ぶようになります。つまり当時の国際社会の変化に対応できずに追い込まれて暴走という意味で、ハイテク産業の失速に苦しむ現在の日本はダブります。

上にも書いたように、Nikkei225の構成銘柄がハイテク産業に偏っているのですが、それ以外にも製造業のウェートの高さが気になります。そんな中で企業の設備投資が低調なため、結局国債市場から締め出された銀行は資金運用先を失いつつあるわけで、結果的に海外に出口を求めることになります。実は私の保有銘柄で含み損状態なのが銀行株だったりします。97年の金融危機以来、2000年代にかけての不良債権処理で身奇麗になったのは良いとして、融資先が見つけられない状況は続いていたわけです。

一方でシャープは亀山の液晶2工場を抱えながら堺工場を作り、パナソニックは尼崎にプラズマパネル工場をつくり、 結果的に薄型テレビの競争激化で供給過剰による値崩れから失速し、シャープは堺工場を鴻海との合弁で切り離し、パナソニックの尼崎工場は操業停止に追い込まれています。ちなみに赤字垂れ流しの元凶だったシャープ堺工場は、合弁になって稼働率を下げて収支を合わせています。典型的な収益逓減の法則が働いたわけです。

80年代以降の日本が専ら製造業が付加価値を稼ぎ出していたのは確かですが、当時と交易条件が激変しているにも拘らず、製造業で夢を追おうという成功のパラドクスに囚われているのが現状です。製造業の場合は市場の需給調整を在庫として調整することが可能ですが、その間に新興国の台頭とベルリンの壁崩壊に伴う東側諸国の市場参入の結果、世界規模で供給過剰が生じて在庫が積み上がりやすい状況になり、IT革命で、いわゆるムーアの法則による技術進歩のスピードが早まった結果、商品のライフサイクルが短くなって在庫の陳腐化リスクが高まり、いわゆる型落ち品が値下げを主導するという状況もあります。もはや製造業主導の産業構造は日本では成り立たなくなっているという現実を直視すべきです。

その一方で金融やサービス産業は在庫という概念がそもそもなく、生産と消費が同時進行となりますから、需給のマッチングが難しいのですが、逆にIT革命の進捗で従来は把握の難しかった需要側の構造の見える化が可能になってきているという意味で、成長余地があります。いわゆるビッグデータ活用はこういった流れの中で理解すべき事柄ですが、日本企業がこの分野で戦略性を発揮しているとは言いがたい現状です。また一般的にサービスは非貿易財となりますので、国際市況や為替変動に左右されにくいという意味で、日本のような成熟国の産業政策として見逃せないところです。

具体的には例えば大都市鉄道の通勤ラッシュの緩和とか、過疎化の進む地方の活性化とか、高齢化に対応する医療や介護サービスの高度化や、国内農業の高付加価値化や、やはり需給のマッチングで非効率を内包する電力改革や、将来不安解消のための社会保障改革や財政再建などなど、日本国内で山積する様々な課題に地味に取り組んでいくということしかありません。

金融に関しては国際金融取引は一般論として高利回りは為替変動で相殺されてしまうため、金融の自由化それ自体で富を生み出すことはできません。また国際金融取引と称する取引も、実態は例えば米ドル決済であればアメリカ国内の金融システムで決済されるだけですから、結果的に金融制度やインフラの整った先進国、なかんずく先行するイギリスとアメリカが有利になるのは当然で、TPPでアメリカのご機嫌取りしても改善されない問題です。

というわけで、日本の金融が国債依存からj舵を切るとすれば、製造業の国内拠点の整理統合と海外拠点の展開を支援することが中心にならざるを得ません。それは空洞化批判と裏腹ですが、既に2005年を境に日本の国際収支に占める貿易収支との所得収支の逆転は起きているわけで、その方向性をより洗練させることで、結果的に国富は増大します。また増えた国富を国内で循環させるには、上記のような国内の課題解決に資金提供する仕組みもまた重要で、間違っても輸出企業支援のために外債を買って為替リスクを負うことではありません。

今の日本が戦前の繊維産業の失速に苦しんだ時代と同様に産業構造いの変換期になるのに、それを自覚できていない日本のリーダーたちのどうしようもない時代認識が、戦争への道を繰り返す具は避けたいところです。

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Monday, May 20, 2013

中間駅のジレンマ

何だか色んなニュースがありまして、何を取り上げるか迷いに迷いましたが、リニアネタでいきます。

リニア駅コンパクトに 山梨・長野・岐阜、JR東海が概要公表 - 山梨日日新聞 みるじゃん
中間駅自己負担を発表したときから漂っていましたが、やっぱりという話です。なにしろ完全予約指定制で駅には乗車券類の券売機すら設置しないというローコスト設計で、高架下のテナント活用は地元負担を前提に協議に応じるということで、「利用するな」と言わんばかりです。自己負担で駅を作るんだから、地域振興なんぞ知ったことかということですね。

ま、ある意味戦略的な対応ですが、その是非を云々するつもりはありません。地元負担を嫌った沿線自治体にも責任のある話ですんで。それよりも、そもそも東海道新幹線のバイパスという建設目的からすれば、元々中間駅はJR東海としてはどうでも良い話で、だからこそ諏訪伊那谷経由を捨てて南アルプス長大トンネルルートとしたわけですから。

加えて本来東海道新幹線のバイパスルートとするのであれば、鉄軌道式で建設し、名古屋で東海道新幹線に繋ぐようにすれば、スピードアップの恩恵は名古屋以西にも波及しますし、元々過密ダイヤでこれ以上の増発もスピードアップも無理と言っていたわけですから、その解決策にもなるわけで、リニアである必要は元々あまりありません。

加えて鉄軌道敷ならば、ポイントは保安装置連動でトングレールとノーズを動かすだけで短時間に切り替えられるわけですが、U字型走行路のリニアの場合、駆動用コイルを仕込んだ壁を動かす大掛かりな仕掛けとなり、転轍時間も延びると考えられます。東海道新幹線のようにのぞみやひかりなどの速達列車とこだまタイプの各駅停車を並存させるとすると中間駅は専ら速達列車を各停列車が待避するための存在ですから、大掛かりな仕掛けでコストも嵩むわけで、余分なコストはかけられないわけです。つまり鉄軌道敷ではなくリニア方式を選択した時点で、中間駅の意味自体も変わらざるを得ないという点を指摘しておきます。むしろ中間駅での待避による時間ロスを考えると、各停列車の設定は時隔を詰められない要因となります。

とすると、1列車あたりの提供座席数の少なさと相俟って、東海道新幹線のバイパス機能という建設目的自体があやしいところです。実はJR東海もとっくにその辺は織り込んで、リニアをアメリカに売り込むことに照準を合わせています。どうも狙いはワシントン-フィラデルフィア―ニューヨーク―ボストンのいわゆる北東回廊への導入を狙っているようです。というか、高価なリニアシステムを輸出できる可能性のある輸送市場は世界中でここぐらいしかなさそうですが。

リニアに限りませんが、日本の新幹線はそもそも駅が多すぎます。それだけ人口密集地を走っているということもありますし、災害や事故により運行が抑止されたときに列車を最寄り駅に収容するという意味もあり、運転密度の高い日本の新幹線では中間駅は作らざるを得ないという見方も可能ではあります。これがリニアでも同じでしょうけど、そうなると疑問なのが、災害や事故時の運行停止で列車を最寄り駅に収容したとして、大胆に機能を絞り込んだ中間駅で乗客を降ろしてどうなるかということですね。いいだといちだエントリーで候補地とされる高森町の田園地帯に停車したリニア列車から吐き出された乗客たちの受け皿を用意できるのかどうか。下手すればリニア中間駅はとんでもない迷惑施設にすらなりかねません。

仏TGVや独ICEなどの高速新線では元々中間駅は極端に少ないのですが、これは元々都市間部は集落を避けた丘陵地帯に建設され、しかも元々強固な岩盤に地上や掘割で直接線路を敷く形とし、35/1,000の急勾配を容認する一方、端やトンネルなどの構造物は極力作らないなど、コストダウンが徹底していますが、一定間隔で車両収容線とプラットホームを備えた信号場を整備し、非常時にはここへ列車を収容する仕様になっています。人口密度の違いもあって、欧州では割り切った対応をしているわけです。

というわけで、中央リニアは輸出商談のためのサンプル程度にしか考えていないということで、もはや東海道新幹線のバイパスはおろか、東海道新幹線の大規模改修も長期運休なしにローコストで実施する計画ですから、この面でもリニア建設の大義名分はなくなっているわけです。

元々保有機構からリースする形で旧国鉄長期債務を間接負担していたJR発足時のスキームを資産買い取りで負担が確定した結果、長期債務返済で生じる超過利潤をリニアに投資するという流れですから、言ってみれば東海道新幹線の儲けでリニア輸出を模索するという戦略的道楽(笑)と化しているわけです。だからリニア自体は当面赤字でも構わないわけで、もうこうなりゃ勝手にやってよって話です。

まぁ尤もリニアに限らずインフラ輸出は言われるほど簡単ではありません。ブラジルの高速鉄道計画が度々入札不調に終わっているように、事業の収益性はそれほど確かとは言えません。東海道新幹線の場合は、元々高度経済成長の入り口で、また重化学工業重視、輸出振興という国の産業政策から、外航海運向けの大型船舶が接岸できる港湾がほぼ東京湾、伊勢湾、大阪湾にしかなかった当時、東名阪を結ぶ輸送インフラへの投資は確実にリターンを得られるものでしたし、だからこそ東海道新幹線や名神高速道路は大成功を収めたわけです。

特に新興国の輸送インフラ整備に関しては、その国の産業政策との整合性や、若年労働力の厚みなどの条件を見極めるのはかなり難しいと言えます。逆にアメリカなど既にインフラの整った国では、高速新線の建設自体が用地取得などで困難性を伴います。この点は都市近郊で既存路線へ乗り入れ、都市間部の人口の少ない部分だけ新線を建設する欧州方式がコスト面で有利です。逆に実車試験までして衝突安全を求めるアメリカの安全基準を日本の新幹線車両はクリアできません。その点でもはや鉄道ですらないリニアはその基準に縛られない可能性があるというのがJR東海の見立てのようで、現地コンサルを雇って政府や議会へのロビーイングに精を出す算段のようです。

とはいえ元々温暖化対策として行き過ぎた車社会の是正の切り札とされた高速鉄道建設ですが、例の財政の崖問題で連邦予算が強制削減されている状況では、高速鉄道建設に予算が回る可能性は低く、更にシェールガス革命でいわゆるグリーンニューディールと言われる環境関連産業への熱も冷める中、カリフォルニアをはじめとする州政府の投資意欲も冷めている状況です。それでいてシェールガス関連などで雇用が生まれていてアメリカの経済指標は悪くないですから、高速鉄道など公共投資で雇用対策を打つこと必要性も薄く、アメリカが高速鉄道システムを導入するのは暫く先の話となりそうです。

というわけで、アメリカはとりあえずリーマンショックの後遺症を払拭したようですが、それが高速鉄道投資には結びつかず、一方でユーロ危機の終息が見通せない欧州は長期停滞を余儀なくされますし、中国も明らかに成長が鈍化しており、当面はアメリカ頼みの世界経済となりそうです。インフラ輸出で日本で晩は案外少なそうです。

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Sunday, May 12, 2013

アベッチの屈辱

聖職叙任権を巡る争いからローマ教皇グレゴリウス7世から破門された神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、1077年1月25日から3日間、教皇が逗留するカノッサの城門前で跪き断食と祈りを捧げて贖罪を請い、破門を解かれたのが有名なカノッサの屈辱事件ですが、見る立場で評価が真逆という意味で、興味深い歴史的事件でもあります。

教皇派は、神聖ローマ皇帝をすら跪かせたとして、その後の支配体制の確立に利用しました。しかし実際は破門を解かれたハインリヒ4世は、破門に乗じて反旗を翻した教皇派諸侯を討伐して王権を強固にすると共に、聖職叙免権を巡る教皇との争いはその後も続きます。西欧中世の宗教支配は、実は必ずしも磐石だったわけではなく、権威の維持に苦心していたわけです。

そして16世紀の宗教改革では、プロテスタントから反教皇の立場から取り上げられ、ローマ教皇庁の権威に水をさすプロパガンダとして利用されました。そして新旧両派の30年戦争を経て1648年のウエストファリア条約で主権国家の枠組みが成立します。同条約が現在に至る国際法の基盤となっているのですが、当事はカトリックとプロテスタントの同権が認められ、ローマ教皇庁の優越性が失われたわけで、ザックリまとめると宗教支配からの自立ということで、対等な主権を有する諸国家間の勢力均衡という近代国家の枠組みが成立します。

重要なのは主権そのものは天賦の自然権のようなもので、教皇庁などの支配になじまないものとして定義されているということで、東アジアのどっかの国じゃないけれど、簡単に失ったり回復したりするようなものではないということは押さえておきましょう。戦前に満州国をでっち上げ、戦後は米軍駐留で施政権をGHQに預けた我が国が、主権に関する重大な勘違いをしていることは明らかです。

ここまでは近代市民社会が成立する以前の話ですが、市民社会の成立と共に主権者を国民とすることが、多くの国の憲法で定義されるようになり、日本国憲法もその例に漏れません。そして主権者たる国民の負託にこたえて立法・司法・行政の三権が主権の行使を分担する機関として定義されているわけですが、その際に国民の基本的人権は犯してはならないとされるわけで、人権は主権の制限を定義する対抗概念という性格を有します。

この際宗教支配に対する自然権としての国家主権が定義されたロジックで、人権も天賦の自然権と見なされます。だからこそ刑事事件の被疑者など、人権を制限せざるを得ない場合については個別具体法で厳格に定義される必要があるというのが、立憲主義に基づく近代憲法の基本的な考え方です。ゆえに憲法条文で人権の制限を定義するというのは、そもそも憲法を知らない議論と言えます。

同様に9条2項の戦力不保持条項と自衛隊の関係も、自衛隊法という個別具体法で、専守防衛という原則を定義して自衛隊のような実力部隊を保持することは違憲ではないということになります。実際には近隣国が脅威と感じる重装備だという指摘もありますが、既に判例が重ねられており、それをわざわざ憲法条文で定義しなおす意義はほぼ皆無です。むしろ9条に限らず行政関連で積み重ねられた判例が、憲法条文を見直すことで無効になって憲法判断をやり直すとすれば、重要だけど不毛な司法プロセスで時間を浪費することになります。条文を見直せば行政執行がスムーズに進むというのは現実的にはあり得ません。この辺は改正の手続法である96条改正を先行させる発想と共に、憲法を通常の法律と同じ地平に置いているとしか思えない発想です。

あと加憲という議論についても無意味と申し上げておきます。仮に時代の変化に伴って新たな権利の定義が必要だとしても、憲法の理念に沿ったものである限り、XX基本法といった類の法整備によって、概念の拡張をするのが立法府の役割であるはずです。例えば交通基本法であれば、交通権という権利を憲法で定める基本的人権の具体論として政府や自治体に尊重させるといった論理体系となるわけです。憲法理念の拡張としての基本法、憲法理念の例外事項としての個別法という基本を立法府が認識できていないことが、憲法改正の議論から垣間見えます。

維新やみんなが言う地方分権や道州制に絡んだ改憲論についてですが、確かにアメリカやドイツのように連邦政府と地方政府の役割分担を憲法で明記することで、とかく骨抜きにされやすい地方分権の議論の実効性を高めるという議論はあり得ます。実際戦前は国の出先機関だった都道府県が地方自治体となったのは、戦後の地方自治法施行によりますが、平行して中央官庁が地方局を開設し、権限を渡さなかったわけですし、昨今の地方への権限委譲も掛け声ばかりで進んでいない現実があります。

それを改善するためという名目で、現行の都道府県よりも広域を管掌する道州に再編して地方局の権限を渡そうとする構想が度々浮かんでは消えしていますが、実際は道州を実質的な国の出先機関にしたいというのが本音です。真の地方自治はやはり基礎自治体である市町村の権限強化が本筋です。敢えて憲法で明文化するとすれば、EU憲章で謳われている補完性原理の明文化でしょうか。いわゆる二重行政三重行政の抑止の理念を明記するというのはアリです。しかし憲法を変えなければできないという話でもないわけで、むしろ立法府による行政府のチェック機能が弱いことが問題です。だから増税までして得た復興予算を簡単に流用されて平気なんですね。

というわけで、立法府がちゃんと機能していれば、憲法がどうあれ解決できる問題は多数あります。だから憲法改正なんてくだらないことにリソースを投入する暇があるなら、被災地の復興をちゃんとするとか、年金や医療保険などの社会保障改革をまじめにやるとか、課題はたくさんあります。これらを脇に置いて憲法改正もないもんです。どう見ても不真面目としか思えないです。例えばマイナンバー制度です。

マイナンバー衆院通過 社会保障・税、16年から一元管理  :日本経済新聞
これ民主党政権時代に、消費税増税に伴う低所得者対策として給付付き税額控除を行う前提で閣議決定され国会に法案が提出されたものの、衆議院の解散で廃案になったものです。そして自公政権では低所得者対策は軽減税率で行くという方針のはずです。本音はその方がいろいろな業界に睨みを利かせやすいからですが。自ら軽減税率を求める新聞業界は進んで権力のイヌになりますと宣言しているようなものです。ということは、廃案となった法案をわざわざ復活させる意味があるのかという疑問があります。

一応、行政サービスの一元化、ワンストップサービス化のためと説明され、社会保障給付の申請などが簡単になるということですが、似たような説明は以前にも聞いた覚えがありますね。住民基本台帳カードの導入のときも似たような説明がされましたが、個人情報の扱いを巡る疑義から世論の反対に遭い、希望者への交付とした結果、実績は惨憺たる結果となりました。とはいえ制度としてのインフラは整っているわけですから、法令の個人情報保護条項を見直して相乗りする方法もあったはずですが、所轄が総務省ということで、財務省と厚生労働省に跨るマイナンバー制度は別建てというアホらしさです。喜ぶのはシステム導入で潤うITゼネコンだけか。

歴史を遡れば1984年1月からの導入を目指して大型コンピュータを置いた計算センターまで作りながら、郵政、金融、自治労などの反対で潰された少額貯蓄等利用者カード、通称グリーンカードが思い出されます。元々は利息や配当などの資産性所得を捕捉して総合課税する構想で、当時の大蔵省と社会党がタッグを組んで進め手法案の国会通過までは進んだものの頓挫し、1985年に議員立法で廃止されたものです。そんなこともあってマイナンバー制度は、銀行や証券の口座や保険などの名寄せには使わないことになっていますが、そんなカードを強制交付するんですからますます意味不明です。既得権にも切り込めず、無駄な財政支出で国民の個人情報を質に取るだけというろくでもない代物ですが、メディアの扱いは小さく、黒田日銀漢和フィーバーに浮かれた紙面に埋没しています。

消費税転嫁問題でも揉めてます。

消費増税時セール「実質容認」、小売りは一定評価  :日本経済新聞
IC乗車券の運賃1円刻みに 鉄道各社が検討  :日本経済新聞
一見無関係な2本のニュースですが、消費税率アップで下請け企業が消費税分の価格転嫁が困難という批判に対して、政府は転嫁を認めるよう働きかけているわけですが、その中で取引先の負担になるという理屈で消費税還元セールの禁止を打ち出したのですが、当然のことながら反発に遭い、消費税の文言を使わなければOKと実質容認したわけです。これは以前にも指摘しましたが、元々インボイスを用いない日本の消費税制度で総額表示をしようとすれば起こる問題なんで、制度設計の瑕疵といえるのですが、それに目をつぶって消費税率アップを行うことが問題なんです。

インボイスで課税仕入れ税額を証明できれば、消費税負担は課税売り上げ税額との差額であり、電気料金や燃油代などと同じ様々なコストの一部に過ぎないわけで、納税義務者である事業者の価格政策の中で消化される問題なのに、小額売り上げ事業者の簡易課税制度の導入のために帳簿方式とし、非課税事業者も含めて課税仕入れのみなし課税控除を制度化した結果、課税仕入れ税額があいまいになったkとが、下請け企業へのディスカウント圧力となっていることが問題なんです。それが結果的に価格転嫁を難しくしているのですが、今回は5%→8%→10%と2段階の小刻みなアップですから、より一層価格転嫁を難しくしているのです。せめて1段階で一気に10%にアップするのであれば、価格転嫁はやりやすいのですが。

で、価格転嫁の困難性は下請け中小零細企業の問題として注目されたわけですが、ICカード乗車券というシステムの問題で鉄道運賃の価格転嫁が難しくなっているという皮肉な出来事が同時に起きているわけです。こちらはシステムの大規模改修を伴うため、2段階の値上げはそれ自体がコスト要因ですので、鉄道会社としてはせめて処理が複雑になる10円単位の切上げ切捨て処理を省きたいのが本音です。とはいえ券売機で販売される紙の切符では、1円玉5円玉の処理が可能なコインシステムに切り替える必要があり、それ自体が多大なコスト負担を強いられるので、こちらは10円単位処理としたいというわけで、事業者の都合で乗客側には不合理な二重価格が押し付けられるわけですから、これは認めるべきではないでしょう。

実は消費税問題で涼しい顔しているところもありまして、家電量販店業界では、従来の消費税導入や3%から5%へのアップの時も、いずれもポイント付与率で調整して価格を据え置くということをやっています。今回も同様の対応となるようです。こうなるとICカード乗車券が乱立している現状が恨めしいところで、各社それぞれの事情でシステムを構築し、特に自社ハウスカードとの連携によるポイント付与をばらばらにやっている現状では、同じ手は使えないわけです。

全国共通利用も国が音頭を取らなければ進まなかったし、エリア越境をブロックするシステムの仕様も、乗客の利便性はどこ吹く風ですから。この辺は鉄道事業者の悪い癖というかなんというか。そういえば仙台エリアでPASMO所持してエリア外のローカル線ワンマン列車で、無人駅で下車時に運転士と揉めているのをGWに目撃しましたが、適用エリアの限られる地方都市権では笑えない話です。ま、これを奇禍に運賃やシステムの共通化が進むのであれば怪我の功名にはなりますが。いずれこの問題は項を改めて取り上げたいと思います。

で、冒頭のカノッサの屈辱の第三の評価軸というのがありまして、ドイツ帝国の鉄血宰相ビスマルクは、ドイツの屈辱として国民意識を鼓舞しました。憲法を占領軍による押し付けとし、従軍慰安婦問題は韓国の捏造で、中国は尖閣のみならず沖縄にまでちょっかいを出すと憤る誰かさんに、アメリカから陰に陽に圧力がかかっているようです。最近のトーンダウンはどうもそういうことらしい。アベノミクスの評価も分かれているし、TPPでアメリカに媚を売ってもあんまり褒めてもらえないしというわけで、いつ鬼畜米英を言い出すか。戦前と状況が似てきていると感じるのは気のせいでしょうか。

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