大阪都抗争で市営モンロー主義フンサイ?
5月17日に大阪市を6つの特別区に分割する是非を問う住民投票が行われます。ここへきて議論が白熱ならば良いんですが、各種世論調査でも賛否は拮抗で、実際は水掛け論の泥仕合で、つまり議論は進まずただ喧噪ばかりという、日本ではありがちな政治風景です。
議論の中身に注目すれば、反対派の議論は一貫して論理的で、まとめれば二重行政の解消といっても、財政効果は乏しく費用は甚大ということになります。以前にも述べましたが、政令市の大阪が持つ権限を府が取り上げる話でしかないということです。それに対して賛成派の議論はエモーショナルで論理性が乏しいのですが、これぐらいのインパクトのあることをしないと大阪の経済停滞を突破できないというプロパガンダが効いているというのが外野の印象です。ま、決めるのは大阪市民ですが。
何か既視感があると感じるのは、小泉改革と構図が似ているからなんですね。郵政改革、特殊法人改革、政府系金融民営化、銀行の不良債権処理、100年安心の年金改革、派遣拡大の雇用改革などですが、銀行の不良債権処理が進んだこと以外に評価できることが乏しいのが実際です。
郵政改革は政権交代もあり二転三転の上、凡そ改革の名に値しない持ち株会社と金融2社の親子上場という代物に成り下がりましたし、銀行の不良債権処理は進み銀行の慶全性は高まったものの、融資姿勢は弱く、年金改革の化けの皮は後継の第1次安倍政権で露呈し、政権を失う結果になるとともに、本来的な制度改革は今だしですし、政府系金融の民営化は進まないどころか新たな官民ファンドが増殖する始末、雇用改革に至ってはリーマン後の雇い止めで大騒ぎということで、いったい何の改革だったのかということです。
その中で金庫株解禁のよる自社株買いで実質株価操作が合法化されたとか、大規模介入による円安誘導とか、雇用改革と共に企業の権益は確実に拡大し、格差拡大に至ったのは周知のとおりで、デフレと言われる物価の低下で家計の購買力が確保されて有効需要が拡大することで、実質GDPの成長がもたらされたのが実際です。
小泉政権当時は円安による製造業の国内回帰も言われ、堺工場を立ち上げたシャープや、尼崎パネル工場を立ち上げたパナソニックなど国内設備投資が景気を浮揚させた部分もありますが、これらの動きはリーマンショック後の円高局面で暗転し、両社は赤字転落。そればかりか同じく大阪本拠のサンヨーは、パナソニックとの統合で会社が消滅し、統合後のリストラで家電部門は中国ハイアールに買い取られるという形で、関西地盤の家電メーカーがことごとく逆風の中、大阪の経済的低迷は続きます。大阪都構想の突破力に未来を託したいというエモーショナルな賛成論が入り込む余地があるわけです。
で、最初は大阪市と同じ政令市の堺市を含む周辺市町まで含めて特別区に再編するという構想だったものが、実際は基礎自治体の権限を取り上げられるだけという見方が広がり、堺市が離脱し、今回の統一地方選挙でも吹田市などで維新系が敗北した結果、17日の市民投票は大阪市だけを対象となったわけですが、元々効果に疑問がある中での構想の縮小ですから、説明がどんどん苦しくなっているわけですね。で、地下鉄民営化による事業売却益ぐらいしかアピールポイントがなんくなってしまったということでしょう。いかに市営が非効率か、東京のように相互直通で便利にできなかったかなど、バカバカしい主張を始めたわけです。
市営モンロー主義に関しては過去エントリーで指摘しましたが、地下鉄に関しては整備費用が莫大で、民間の参入は元々無理があったことを指摘しました。実際天満橋橋から淀屋橋へ地下線で延伸した京阪は奈良電の権益を失い、架線電圧600v→1,500vの昇圧が遅れて長編成化が制約され複々線化という出費を余儀なくされましたし、東京でも東急新玉川線や京王新線のように民間が独自に整備した「地下鉄」で、両社共その後の資金繰りに窮することになります。
大阪の例で言えば、よく言われるのが千日前線で、架線終電式にして東京のように私鉄との相互直通をしていれば、近鉄難波線も阪神なんば線も不要だったというものですが、近鉄は万博関連事業として千日前筋の街路整備に合わせてうまく立ち回った結果ですし、阪神も野田で地下鉄と繋ぐよりも、中途半端な伝法線(伝法―尼崎)を活用する方がうま味があるわけです。もちろん千日前線の整備で阪神の難波園長は一旦とん挫し、三セクを第三種事業者とする償還型上下分離で実質的に公金を投入してやっと実現したわけで、j阪神サイドでは大阪市交通局に対する恨みは根強いと思いますが、この辺が妙に都市伝説的に拡声された結果、市営モンロー主義の言説が独り歩きしたのではないかと思います。同様に南海が梅田進出のために難波から北上する西横堀線を申請したものの、四つ橋線を大国町から西梅田へ延伸して計画をブロックするような動きが見られましたが、当時の南海がどれぐらい本気だったかは不明です。そして今、四つ橋線を狭軌架空線式に改築して難波から南海と直通、西梅田から十三へ延伸して阪急が免許を維持する新大阪連絡線に繋いでなにわ筋線の機能を果たさせようというトンデモ計画がぶち上げられています。西横堀線の亡霊かい。
一方で歴史を辿ると、百年史にあるように市電以来、公益事業の収入で積極的な街づくりを進めてきた流れがあり、仮に市営モンロー主義なるものがあると仮定しても、それは多くの市民に支持されて進められたものという評価も可能です。その一方でバス事業のように民間の参入障壁が相対的に低い事業では、交通局は隣接民間事業者との相互乗り入れで郊外へ進出する形で、営業エリアを守りながら事業を拡大する形をとっております。市営モンロー主義はよく言われますが、このように時代や事業領域によってさまざまな局面があり、市営モンロー主義だからダメとは一概に言えないところです。
あと維新の皆さんは東京との比較がお好きなようですが、都市規模と都市鉄道の生成過程の考察が欠けているので、おかしな議論になっています。わかりやすいtころで、山手線と大阪環状線を比較しますと、山手線が34.5㎞を1時間で1周するのに対し、大阪環状線は21.7㎞を40分ですから、同じ環状運転をしていても、規模は大阪が2/3の水準です。私鉄が環状線の内側へ入りにくいといっても、都心エリアへのアクセスは東京より良いわけです。
加えて山手線は17本/時で11連、大阪環状線は12本/時で8連と輸送力にも差がありますし、山手線は京浜東北線や埼京線に中電各線と並走区間が多く、地下鉄路線も近くを並行しているのに対し、大阪環状線は12本/時の半数は関西線と阪和線からの直通で転換クロスの3扉車ですし、地下鉄との並行区間もわずかです。加えてホームドア設置のために環状線専用の3扉車の投入が決まるなど、概して輸送規模は小さいわけです。
それと大阪も場合は環状線は都心の外延部の路線立地で都心は主に地下鉄御堂筋線沿線に集積しているわけで、東京で言えば中央線の役割と言えますが、元々長編成に備えた長いホームを当初から備えていたこともあり、破綻なく輸送できているわけです。東京で地下鉄と私鉄の相互直通が行われたのは、山手線や中央線の負荷が大きすぎるということで、私鉄や地下鉄に分散させざるを得なかったことと、戦時立法として陸上交通調整法を無効とする風潮から私鉄各社が一斉に都心直通線の免許申請をして収拾がつかなくなった結果、運輸相の諮問機関で運輸政策審議会の前身の都市交通審議会で調整した結果、相互直通が示唆されて都営1号線(後の浅草線)と京成押上線を皮切りに始まった妥協の産物で、同様の調整は阪急、南海、大阪市の競願となった堺筋線を3社局で調整させた結果、阪急側からの乗り入れが先行し現状となったものです。天下茶屋延伸で天王寺船を失った南海ですが、新今宮駅設置で環状線と接続し役割を失っていた天王寺線の廃止はむしろ歓迎すべきことだったでしょう。
南海に関しては谷町線の天王寺からの南進で軌道船の平野線が廃止されましたが、ほぼ全区間新設軌道だった平野線を高速化して谷町線と相互直通という妄想レベルの話が一部で語られていることが驚きです。谷町線の延伸は阪神高速松原線の整備と同時施行で、どのみち平野線存続の芽はありませんでしたし、南海がその気なら阪急が北大阪急行で御堂筋線の北神部分の受け皿として自社エリアを守ったり、近鉄が中央線の東進を地下鉄規格の東大阪線で受けたりというような動きをする選択肢もあり得たはずですが、南海は動きませんでした。ま、現実的には南海にとって旨味はほとんどないですから、合理的な判断だったと言えます。
というわけで、鉄ちゃんの妄想レベルの議論で市民を説得できると考えているならば、大阪市民も安く見られたもんです。小泉改革でも言われた深くものを考えない所謂B層と呼ばれる有権者にエモーショナルなアピールができれば良いということなんでしょう。アベノミクス同様愚劣です。
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