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Sunday, September 06, 2015

70年後の敗け戦、Javaビーンズは苦かった

新国立競技場に続いてエンブレム問題でも炎上した東京五輪ですが、この件は大会組織委に全面的に問題があります。

ベルギーの劇場のロゴに似ているというデザイナーのオリビエ・ドビ氏の提訴ですが、組織委の対応の拙さを指摘できます。というのは、五輪エンブレム自体はIOCの指針に従って商標登録されたもので、大会スポンサーが排他的独占的に使用することができるものということで、TV放映権と並んで重要なスポンサーフィー獲得のツールなんですが、選考されたアートディレクター佐野氏の案も、当初案は類似の商標が存在するということで、佐野氏の許諾を得ながら改変した結果、ベルギーの劇場ロゴに似てしまったという意味で、多分偶然似ただけだとは思います。

問題をわかりにくくしているのは、ベルギーの劇場はロゴを商標登録していなかったのに対し、デザイナーのドビ氏が著作権侵害で提訴したというのがミソです。つまり異なった権利関係の非対称な争い事なんですが、組織委が認識していなかった可能性があります。

元々文字をベースに図案化したデザインがある程度似てしまうのは避けられないですけど、ビジネス上の権利関係として存在する商標権に対して、著作権はより広い範囲をカバーしています。商標権は出願して審査を経て登録されて権利が発生するのに対し、著作権は著作物全般に備わっていて、特段の出願や登録などの手続きは要りません。公開された著作物として認識されていて、著作者が自分の著作物であることを証明できれば権利を主張できるんですから、登録された商標の範囲だけを見て重複がないと判断したところに問題があります。

もちろん世界中に多数の著作物が氾濫しているわけですから、その全てを照合するのは不可能ですし、またパロディーや本歌取りなど、既にある著作物を敢えて模倣して表現されたものも著作物と認められますから、単に似ているだけでパクリだ模倣だとは言えませんが、その場合元著作物に対するリスペクトがあるはずで、だからこそ成り立つ表現手法でもあります。逆に元著作物を悪意をもって改変したり意味解釈を逆転させるなどの場合は、ある種人格否定にもつながるわけで、著作権には人格権的な性格もあるわけです。

今回の場合、ドビ氏がプロのデザイナーだったわけですから、偶然にせよ似てしまったエンブレムに対して提訴するのは、デザイナーとしてのアイデンティティの問題でもあるわけで、本来は直接話を聞いて解決策を探るべきだったのですが、商標権を獲得したことで組織委が自らの正当性を言い立てて謂わば門前払いのような対応をしてしまったことでこじれたと見ることができます。政府は知財立国を掲げTPP交渉でも著作権の強化でアメリカに同調しているわけですが、こんなことで躓いていて大丈夫かいと言いたくなります。とかくいろんなところの劣化が目につく近頃の日本です。

で、本題はこれです。

インドネシア、高速鉄道導入せず 日中両案不採用  :日本経済新聞
報道では日中で痛み分けといったニュアンスで報じられていますが、元々日本政府肝いりで、JR東海も大乗り気で早くからセールスを展開してきたわけで、そこへ中国が後から参入してきたわけです。ある意味中国にとってはダメ元。むしろ日中のセールス合戦でコスト意識に目覚めたインドネシア政府の冷静さが際立ちます。

「時速200~250キロ程度の中速鉄道」というのが笑えます。世界では高速鉄道といえば300㎞/hクラスが標準になってきており、その意味で260㎞/hの日本の整備新幹線は中途半端な存在です。260㎞/hの根拠は全国新幹線網整備法の定義によりますが、それを見直さないまま新規着工を拡大して建設を進めてきた結果、世界の趨勢と異なった基準が温存されてしまったわけです。

例えば複線の線路中心間隔は日本が4.3mに対し、TGVやICEの新線区間では5m超で列車風の影響を軽減してますし、トンネル断面は日本が62m^2に対しTGV100m^2ICE92m^2で、離合の際の2両分断面積比率は日本38%TGV18%ICE22%と見劣りします。もちろんTGV基準だと山岳地帯の多い日本では「建設費が高騰することは避けられませんが、一方最急勾配は日本15パーミルTGV35パーミルICE40パーミルでトンネルを避けたルート選定をしているとも言えます。ICE基準なら中央リニアも鉄軌道式に変更可能ではあるわけですね。

日本でも九州新幹線や北陸新幹線では一部区間で35パーミルを認めたりしてますが、あくまでも事業費の圧縮のためですが、そのために新しい整備新幹線区間が東海道を含む既存新幹線より遅いという冗談のようなことになっています。東海道新幹線285㎞/h、山陽新幹線300㎞/h、東北新幹線(宇都宮―盛岡)320㎞/hですが、いずれも自己保有故に減価償却資金で細かな改良を施し、またカモノハシルックの先頭形状で空力特性を工夫しながらクリアしたものですが、同じE5系で盛岡以北は260㎞/hに制限されるのは、主として絨曲線の制約によります。

で、東海道新幹線は盛土にバラストで微調整がしやすいので、古くて窮屈な規格ながらスピードアップが実現できたわけですが、山陽、東北に関してはコンクr-ト路盤にスラブ道床でかっちり作ってあるから改良にもお金がかかるというジレンマがあります。整備新幹線区間も同様ですが、それでも自社保有なら減価償却資金の範囲内で改良の原資を得ながら時間をかけて改良できますが、利益をリース料で召し上げられる整備新幹線区間では、改良費用はねん出できないわけです。しかもリース料は新規着工の整備費用に回されますから、開業区間の改良には使えない現状です。本来は地価が低く用地買収費が低い一方需要の薄くなる整備区間こそ、どうせ作るなら高規格で整備してスピードアップ効果を最大化すべきなんですが、日本でやっているのはその逆というわけです。

こうして特殊な進化を遂げた日本の新幹線技術を輸出しようとすると、いろいろなことが障害になるわけですが、その障害を乗り越えて実現した台湾新幹線は大成功と捉えられておりますが、実は赤字体質がら脱却できず、身売りを余儀なくされています。一応台湾政府が引き取って台湾鉄道が運営することになるようですが、300㎞ほどの区間で6,000円程度の運賃料金では、採算が取れないのも無理もないところかもしれません。とはいえ台湾の国民所得から言えばこの程度の価格設定でないと利用されない可能性もあるわけです。欧州規格の線路に日本規格の保安装置と車両を入れて適合させることに手間取ったというハンデはあるものの、日本の新幹線技術の高コスト体質が浮き彫りになります。

で、思い出していただきたいんですが、ロンドンオリンピックの観客輸送で活躍したJavellin(Class395)が日本の日立製で、ロンドン南郊の高速新線を225㎞/hで走る近郊輸送用車両で、日常の通勤輸送をこなしていることです。かつて日本国鉄が構想して実現しなかった通勤新幹線を具現化したものです。インドネシアが求めているのはこういった輸送システムではないでしょうか。

通勤新幹線は東京からおおむね100㎞圏の主要都市(小田原、甲府、高崎、宇都宮、水戸)までを新幹線規格に準拠した新線を建設し、最高速160㎞/hとして弾丸列車計画の用地先行取得で助けられた東海道新幹線と違って用地買収を容易にしようという構想です。隠れた目的としては新幹線網を全国展開するときには、用地買収難で建設の難しい東京近郊の通勤新幹線に本来の新幹線を乗り入れさせることで全体の事業費を圧縮する狙いもありました。旧国鉄にしては珍しい戦略発想だったんですが、政治家にとっては票にならない魅力のない事業と見られたのでしょう。こうした過去の選択が日本の今を縛っているわけです。

JR東海大乗り気で政府の後押しで進めたインドネシア高速鉄道ですが、日本にとっては技術の空白領域と言える中速鉄道に計画変更されたことで、日本の出番はなくなったと評価すべきでしょう。高機能高価格を狙ってことごとく市場を失った日本の家電業界と何と似たことか。「日本の新幹線技術は世界一だから売れるはず」という根拠のない高すぎる自己評価から離れて、コスト面も含めた身の丈の評価で世界に臨み、対話を通じてプロジェクトを実現するというような、地道な取り組みをするしかありません。

以下若干の蛇足。戦後70年談話であれこれがありましたが、気になったのが「子や孫にまで謝罪を続けさせるわけにいきません」というくだり。中国も韓国も別に謝罪は求めてないわけで、過去を直視しつつも未来志向の相互関係を求めているわけですが、度々日本のリーダー層から歴史の改ざんにあたる発言があって相手を怒らせて頭下げざるを得ない状況を作っているわけで、五輪エンブレム問題しかり、インドネシア高速鉄道しかり、相手の真意やニーズを無視して自己流をゴリ押しする夜郎自大な日本から早く卒業すべきです。廉価なロブスター種のコーヒー豆の産地の出来事ですが、Javaビーンズは殊の外苦かったようですね。

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