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Sunday, October 04, 2015

ハイブリッドな世界

米中首脳会談で見せた南シナ海での中国の強気といい、ロシア軍のシリア空爆といい、いよいよパクスアメリカーナの終わりが見えてきました。当のアメリカですが、軍事費削減は保守とリベラルとを問わない課題と認識されています。世界平和のためにアメリカの兵士が傷つくことを認めないという世論が優勢です。

てな状況で安保法案を強行採決した日本の対応はいつもながら世界が見えていないなあとため息が出ます。腰が引けたアメリカの肩代わりをするわけですから、日本にとって何のプラスもありません。もちろんアメリカの軍事プレゼンスの後退は、世界レベルで地政学的な緊張をもたらすことは間違いないですが、だから日本が代わりに出て行くってのは、いかにもなドシロート発想ですね。実際は南シナ海問題で中国と対立するASEAN諸国も、米中の軍事バランスを睨みながら立ち位置を確保するハイブリッド戦略に舵を切っています。アメリカべったりはほぼ日本だけです。

一応私の立場を明らかにしておきますが、私は護憲、平和の立場をとりません。アメリカの軍事プレゼンス後退の当然の帰結として、日本も国連などから軍事的な協力を求められる機会は増えるでしょうし、それをすべて無視するというのも非現実的ではあります。ただし自衛隊の海外派兵には憲法9条の制約があるわけで、現政権が憲法の解釈変更に踏み込む閣議決定をした時点で、どういう法理論で対応するのかは注目しておりました。そして国会論戦で明らかになったのは、あまりにいい加減な姿勢でした。という訳で、今回の安保法案は強行採決も含めて法手続き上の重大な瑕疵があるという点で容認できないという立場です。

集団的自衛権に関しては、今回の安保法案で可能とされる事柄はほぼ個別的自衛権の範疇に入ります。海外派兵に関しては、結局国連PKO活動への参加など、集団安全保障の枠組みの問題であって、集団的自衛権とは別の話です。その観点から解釈変更で自衛隊を海外派遣できる可能性に絞って考えれば、憲法9条2項の戦力不保持を、軍隊への指揮権を持たないとすることぐらいでしょう。

現実の自衛隊は一応専守防衛の縛りの中で、指揮権は形式上内閣に付与されておりますが。都道府県の要請を受けてという条件が付けられています。海外派兵する場合は国連の要請を受けて国会の承認の後に派遣を決めるという形で指揮権を制限し、且つ派遣期間中は国連に指揮権を委ねるという形にするというところでしょうか。その場合派遣される自衛隊員の身分を保護する意味で自衛隊を軍法を持った正規軍とする必要があり、そうでなければ民間人と看做され営利誘拐の対象にすらなりかねませんから、むしろ攻撃のターゲットにされる危険もあるわけです。当然PKO部隊にとってはお荷物になるわけですが、解釈変更で望むにはハードルが高すぎます。やはり憲法改正を考えざるを得ません。時間がかかるから解釈でってのは危険すぎます。

で、忘れられているのが南スーダンPKOなんですが、2011年に当時の民主党政権が参加を決めたものの、戦後復興支援だったものが、現地の国内情勢は悪化の一途で、そんな中で韓国軍への弾薬の提供が明らかになるなど、現実が先行している現状です。今回の安保法案成立で、駆けつけ警護が解禁されるそうですが、南スーダンPKOの参加国では中国が千人規模の部隊を派遣しており、駆けつけ警護の対象は中国軍?あれ、仮想敵国ぢゃなかったんかい。

本来は期限終了を待って一旦撤収し、法を整えてから再度出直しでしょうけど、国会論戦のドサクサの中、8月末の期限を来年2月末まで延長されました。なろほど国会でも盛んに「切れ間のない対応」を言っていたのはこれかい。これがホントのスーダン的自衛権。



























































































































































あと安保法案の陰に隠れて派遣法改正が成立。しかも猶予期間殆どなしに施行されました。なぜそんなに急ぐのかといえば、12年改正法で3年を超える違法派遣を派遣先企業の常用雇用とみなすというみなし正社員制度を潰したかったってことですね。12年改正法が目指したのは、専門性が高く価格交渉力のある26業種を除く派遣労働を増やさないことです。これはILO181号条約で日本限定で常用雇用代替禁止が盛り込まれているように、日本の雇用慣行から、専門職以外の派遣雇用に歯止めが必要との認識で盛り込まれたものですが、それが今年10月1日から適用されることを経済界が回避を求めていたものです。違法派遣で裁判になれば勝てる見込みがないからです。

逆に言えば経営側はそんな法律守る気さらさらなしわけですが、日本の労働市場の特殊性であるメンバーシップ型雇用、いわゆる正社員の雇用の問題点として、雇用調整がしにくいことに関わります。メンバーシップ型雇用では、仕事の分担や達成度など職務の範囲は曖昧で、状況に応じて融通無碍で対応力が高いと言われますが、逆に言えば残業で仕事量が調整される体制でもあるわけで、雇用の安定の一方、使用者側の人事権が肥大化し、辞令1枚で人員配置を変えられるわけですが、90年代以降の過剰生産の調整過程で雇用調整に整理解雇が使えないということで、所謂肩叩きや追い出し部屋などが問題になり、訴訟にもなって会社側がことごとく敗訴といった事態になり、事実上雇用の安定は失われたわけです。

生産設備の調整を経て生産体制を整えた後も、企業は正社員を増やさず調整しやすい派遣社員の雇用に切り替えてきた流れを逆転させたくないというわけですが、その結果リーマンショック後の派遣切りでも明らかなように、派遣社員の不安定さを露呈しました。当時も派遣期間3年の縛りはあったのですが、自動更新が認められていたので、実際は派遣社員はいつまでたっても派遣社員のままである一方、リーマンショックのようなリセッションの時には真っ先に切られる存在ということですね。それを踏まえて派遣期間3年の縛りに実効性を持たせることは当然のことですね。

同時に派遣労働は所謂労働市場のミスマッチの解消のための雇用の流動化に資する利点もあるということで、完全に禁止するのではなく、常用雇用への橋渡しを意識したのが12年改正法のキモだったわけです。派遣雇用に関しては、3年の期限は雇用者に対してではなく職務に対して課された制限で、常用雇用が難しい新規事業の立ち上げなどで派遣雇用者を活用することを想定し、3年経てば常用雇用が可能なはずということで、その職務を常用雇用化するというもので、その際同じ雇用者である必要はありません。

あくまでも職務単位ですから、例えば派遣雇用者が自己都合で2年後に退職した場合、代わりに派遣される派遣社員の派遣期間は残存期間の1年になるわけですし、例えば3年経って常用雇用化されても、雇用者が常用雇用を希望しない場合は、例えば派遣先企業の常用雇用者が職務を引き継いでも良いわけで、明確にジョブ型雇用が指向されていたわけです。ジョブ型雇用が広がれば、雇用の流動化が促進され、成長分野への労働力の移動がスムーズになりますし、一方で同一労働同一賃金も実現しやすくなります。また新規事業の立ち上げならば、3年経っても常用雇用が無理ならば、その事業からの撤退こそが正解なわけで、その場合は当然ですが常用雇用への移行義務はありません。

それが今回の改正法では専門26業種も含めて、3年毎に人を入れ替えることで派遣労働を固定化するわけですから、改悪以外の何物でもありません。ジョブ型雇用の前提も成り立たず、一方で正社員のメンバーシップ型雇用と併存するハイブリッド型になりますから、よく言われる同一労働同一賃金の条件も整わず、ただ雇用者間の競争にさらされて賃金が低位平準化されるだけです。これによってもたらされるのは雇用の流動化ではなく雇用の忌避でしょう。全員ではないですが、親世代の蓄財を相続して働かないで生きられる現役世代は確実に一定数存在しますから、ただでさえ生産年齢人口が減少している中で、労働力率が低下するという笑えない状況になるわけです。これで経済成長できると考える今の日本のリーダーたちの近視眼は救いようがありません。

もう一つ地方創生問題。その源流の平成の大合併の舞台裏が日経紙面に。

地方分権改革、合併迫る 交付税削減は邪道だった:日本経済新聞
「知事の権限が強くなるのは好ましくない」「市町村にも権限委譲しろ」「人口が少ない市町村に合併を勧告しろ」と与党議員の大合唱に押し切られて、市町村が望まない平成の大合併が決まったということですね。利益誘導型政治の成れの果てで人口の少ない地方自治体を合併に駆り立てても、人口は増えないから問題は解決せず、「地方創生」の掛け声で壮大なバラマキで各市町村がプレミアム商品券を発行し、売り出しの列に並ぶのは仕事をリタイアした高齢者世代。彼らはきっと次の選挙でも与党に表をくれるということか。

というわけで、この国のリーダーたちは問題解決の意思も能力も持たないことは明らかです。その結果こんなところに影響が。

JR北海道が合理化策 赤字事業、抜本見直し:日本経済新聞
結局地域の人口減少と高齢化で鉄道利用刃先ぼソルばかりで、結局駅や路線の廃止、ローカル列車の縮小しか手立てがないわけです。2016年には老朽ディーゼル車の代替車を投入予定ですが、ローカル列車の縮小は代替費圧縮にもなるという情けないもの。ま、現状を包み隠さずとなればこれ以外の言いようはないわけですが。

代替車はJR東日本のハイブリッドディーゼル車派生の電気式ディーゼル車が予定されてます。JR東日本のハイブリッド第1号キハE200「こうみ」から当初はキハ40系列改造のリゾート列車代替から仙石東北ラインのEV-E210で量産化される一方、ACCUMの愛称を持つ烏山線EV-E301という派生車も。蓄電池駆動車ですが、東北線宇都宮―宝積寺間は架線終電で電車モードで走り、非電化の烏山線内は蓄電池駆動モードで走りますが、リチウムイオンバッテリーの蓄電量を60%に制限して安全性と長寿命化を図っているので、非電化区間の走りはかなりぬるく、それでもキハ40系列並みではあるというわけでしょう。

その点「こうみ」は勾配区間でも力強く走ります。発進は電車同様静かでスムーズですが、すぐにディーゼル発電でパワーアシストされますから、バッテリーを労わりながら走れるわけですね。蛇足ですがディーゼルエンジンの排気ブレーキ機能が抑速制動に好都合という点も指摘できます。圧縮比の高いディーゼルエンジンを生かした状態で燃料噴射を止めると、回転抵抗で圧縮熱が発生し、ラジエターで大気中に熱放散されますから、電気車の抵抗発電ブレーキと機能的には同じです。

仙石東北ラインのHV-E210がバッテリー駆動ではなくハイブリッドディーゼル車になったのは、結局交流電化の東北線ではパワー走行が欠かせないし、交流区間では交直変換しないと蓄電できないわけですから、コストアップになる。ならばディーゼルでという判断だったのでしょう。更にバッテリーも省略して電気式ディーゼル車にすれば、電車並みのメンテナンスフリーを実現できる可能性があるわけで、そうなると全検6年重検3年のディーゼル車の検査周期を電車並みに全検8年重検4年に伸ばせる可能性もあり、メンテナンス費用の圧縮は福音になります。JR北海道もおそらくその点を期待しているでしょう。こういうのを技術革新とかイノベーションと呼ぶわけで、裏付けのないコスト削減はむしろ事業の弱体化をもたらします。

あと余談ですが、JR東日本のキハE200に始まるハイブリッド車の革新性ですが、コストや充放電特性を考えればニッケル水素電池を使ってコスト削減と制動時の回生電流を最大限蓄電する手も有り得ましたが、エネルギー比重の優位で軽量化を重視したものと考えられます。加えて上記の排気ブレーキの活用で勾配区間での安定した制動力の確保も可能ということもあります。

加えてディーゼルエンジンもコモンレール式のクリーンディーゼルエンジンですが、これはVWの排ガステスト不正でミソつけてますが^_^;、自動車の場合と比べて負荷変動そのものは小さく、またハイブリッドシステムで専らパワーアシスト中心の使い方ですので、クリーンディーゼルエンジンの使い方としてはより理想的な使い方です。実際VWもクリーンディーゼルだけで勝負というよりは、ライバルのトヨタに遅れているハイブリッドシステムとクリーンディーゼルを組み合わせたディーゼルハイブリッド車を着地点と考えていたようですが、当面プレミアム付きで高く売れるクリーンディーゼル車を売りたかったってことでしょう。ある意味JR東日本のハイブリッドシステムは先取りしているという見方も可能です。

てことでハイブリッドもいろいろです。

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