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Monday, July 18, 2022

あったらしい資本主義

帝国憲法時代の皇族や軍神の死を悼む「国葬」は、制度としては戦後の日本国憲法公布で旧憲法の失効の道連れになりました。いや待て、吉田茂の国葬は?実は当時も猛反対に遭いながら実施されて、法的根拠のない国家行事への国費支出の前例が出来てしまいましたが、当時の議論が尾を引いて、歴代総理、例えば沖縄返還でノーベル平和賞受賞の佐藤栄作ですら国葬は実現しませんでした。

当然国葬するなら法律を作ってからの話ですが、岸田首相は記者会見で国葬の実施を表明しています。これ明らかにおかしい訳ですが、内閣権限の拡大解釈でスルーするつもりのようです。法律作るとなると国葬の対象者を定義しなければならないし、それに安倍元首相が該当することを示さなければならない訳ですが、それらをすっ飛ばしている訳で、国会軽視の姿勢は安倍管両政権から引き継いでいます。キッシーの温故知新以来繰り返してますが、自民党総裁選のような茶番を仕掛けても政権の本質は変わっておりません。

所得倍増もそうだしデジタル田園都市構想もそうですが、過去の政権のキャッチフレーズをパクってますが、中身はなく、所得倍増に至っては金融所得倍増と言い換えて個人株主を増やして金融所得を増やすと言い出す始末。個人が株を買えば株価が上がるという短絡思考には眩暈がします。株価はあくまでも企業の将来収益の割引現在価値を反映したもので、稼げる企業は株価が上がるし、また低金利で連動する割引率が下がれば将来収益を押し上げますから、単純に需給で決まる訳ではありません。問題は日本企業の将来収益に明るい材料が見当たらないことなんですがねえ。

デジタル田園都市構想も大平政権の田園都市構想をパクると同時に、安倍政権の地方創生と目先を変えて見せたという意味で、空疎な言葉遊びですし、極めつけは国民に不人気なGo To を使わずに県民割の全国展開など言い換えで対応する姿勢が目立ちます。そんな岸田政権は課題山積なのに大丈夫でしょうか?

「国策」の原発、事故責任は事業者に集中 東電株代訴訟:日本経済新聞
終わらない電力危機で取り上げた福島第一原発の集団訴訟に対する最高裁判決と違って会社法による企業経営者に対する株主代表訴訟なので、原告は株主で会社を代表して経営幹部の責任を問う裁判であり、賠償受取りは企業としての東電ということで裁判の性格は異なりますが、その賠償額の大きさが目立ちます。勿論地裁判断で今後上級審で判断が変わる可能性はありますが、原発事故の損害賠償請求訴訟との整合性はある判断ではあります。

今回は地震や津波の規模が想定を超える可能性を経営陣は認識しながら対策を怠ったとしてますが、あくまでも東電経営陣の話で、規制当局としての国の責任を問うてはいませんし、事業者としての電力会社への責任を重く問うているという意味でも矛盾はありません。但しこれは事業者にとっては原発がリスク資産として重荷になることを意味しますから、原発再稼働が進まないことになります。そんな中でやはり記者会見で電力逼迫に備えて原発9基の再稼働に言及した岸田首相ですが、中身はというと既に規制委の審査を通った10基中9基ってことで、追加工事や定期点検で停止中のものを動かすだけ。言葉だけの誤魔化しでした。流石キッシー-_-:。

という訳で「新しい資本主義」は過去にあったらしい^_^:言葉をつなげて目先を誤魔化しているものと言えます。寧ろ「資本主義」を名乗ることに本音があるのでしょう。人新世の「資本論」 (集英社新書):斎藤幸平著がベストセラーになったように、資本主義や経済成長への疑問からポスト資本主義や脱成長に関心が持たれ、また気候変動などでサスティナビリティが問われている中で、それでも資本主義で経済成長を求めるというメッセージと見れば、姿勢を明らかにしたという意味で新しいとは言えるかもしれません。

現実には気候変動もそうですが、コロナやウクライナ紛争、資源高、インフレと。解決困難な社会的課題に直面する中で、成長よりもこれらの困難な課題の解決にリソースを投入すべきではないかというのは、議論の余地があります。例えば東京メトロのコロナ減便の最後で取り上げた滋賀県の交通税導入のように、社会的課題解決のために敢えて増税するというのもその1つですが、歴史が古く減価償却の終わっているローカル私鉄の存続は銚子電気鉄道の濡れ煎餅販売で可能なレベルです。近江鉄道はそれより規模が大きいですが、税で広く浅く負担することで存続可能ならば現実解になり得ます。鉄道の維持が結果的に公益として地域に還元されれば良いという考え方ですね。

しかし例えば北海道新幹線の並行在来線として存廃が注目される函館本線長万部以南のように、貨物輸送インフラとして資本費保守費の負担が大きい路線の存続は、その社会的意義の大きさに関わらずより困難です。特に貨物輸送インフラという側面から言えば、藤代線、砂原線という戦時輸送の要請から建設された緩勾配迂回線を含めた8の字線としての存続が求められ、引受三セクの運営費負担も膨らみます。国や道が線路を保有する上下分離が現実的でしょうけど、道の鉄道存続意欲の低さから見れば可能性は低いと言わざるを得ません。

しかし貨物輸送動脈を断つことは北海道経済へのマイナスインパクトの大きさは計り知れません。ま、そもそも北海道新幹線を欲しがった結果なんで自己責任とは言えますが、プラス面だけを経済効果に計上しマイナス面に目を瞑った結果でもあり、工事の遅れや資材費人件費の高騰で事業費も膨張気味でB/C比も1以下になる可能性があります。愚かな選択と言われる未来が見えてきます。

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