書籍・雑誌

Saturday, May 03, 2008

楢山節考―老いの矜持

楢山節考といえば深沢七郎の名作小説ですが、既に絶版となって手に入りにくくなってます。高齢化の進む現在、老いを正面から捉えた稀有な作品だけに、復刻を期待したいところです。

厳しい山村の口減らしの掟である楢山へ行くことを心待ちにするおりん婆さんという設定が秀逸です。にもかかわらず年老いてなお歯が丈夫なことを気に病んでいるおりんさん、自ら歯をへし折って、血を流しながら歓喜する場面が作品の基本モチーフです。老いは誰しも抗えないけれど、自然にそれを受け入れ、運命として楢山へ赴くというテーマは、泣かせるほど現代的です。もちろん掟の冷徹さは微塵もゆるぎなく、楢山への道行きで抵抗した隣のじさまが実の倅に谷底へ突き落とされるシーンが最後にくるなど、なかなか巧みな構成です。

今ならば老人虐待と捉えられるべきことですが、近代以前ならばありえたのではないかと思わせる自然さこそがこの小説の味わいです。ポストモダンの始祖にして構造主義の泰斗レヴィ=ストロースがパンセ・ソバージュ(野生の思考)で明らかにした禁忌(タブー)の構造が感じられます。若い人にこそ読んで欲しいですね。

それとともに、老いを生きて死に至る人生の終局をいかに生きるべきか考えさせられます。掟に従って楢山へ赴こうとするおりんさんの何といきいきとしたことか。老醜をさらさず、子や孫の幸せを願って別れを告げる潔さは、私のような若輩者でもかくありたいと思わせます。

察しの良い方ならおわかりでしょうけど、今回は政局を揺さぶる後期高齢者医療制度について考えます。医療の問題というのは、やや複雑なんですが、この制度のスジの悪さはひどいですね。あまりにつっこみどころ満載で、どこから手をつけてよいものやらわかりませんが、目的は高齢化による医療費の増大を抑制することのようですから、まさしく楢山節考の舞台の山村の掟と同じ口減らしが狙いです。ターゲットは団塊世代ということですね。日本は近代以前であったか-_-;。

日本の医療保険制度ですが、被用者向けの組合健保に政府管掌健保、自治体管掌の国民健保と3本立てで、特に組合健保は職域のさまざまな単位でそれぞれ独自に管掌されていて料率が異なるなど、年金同様つぎはぎだらけの制度ですが、結果的に医療への安定的な支出を支えることで、医療があまねく国民に共有され、医療費の対GDP比でも先進国中最も少ない良好なパフォーマンスを示しており、民間の医療保険中心で負担力のある高額所得者による医療サービスの独占で、医療費が高騰しているアメリカでも、日本の制度を参考に皆保険制度へ移行しようという試みが繰り返されております。ヒラリー・クリントンが大統領夫人時代に実現しようとして頓挫したことが知られております。彼女が大統領の地位に執念を燃やすのは、このときのリベンジだといわれております。

ただ問題もありまして、特に組合健保は、母体となる職域の事業体の事情によって料率が異なるのですが、団塊世代が若かった時代は、掛け金が多くて使う高齢者が少数でしたから、低い掛け金で済んでいたわけです。このあたり厚生年金と似てますが、厚生年金はあくまでも政府が保険者として管掌する制度ですから、職域基盤の弱い中小企業でも、基本的に同じ制度が適用されていたのに対し、健康保険では大企業等が自社の福利厚生の一環として有利な条件で運用してきたこともあり、中小企業中心の政府管掌健保は、料率面で不利でしたし、農業者や自営業者中心の国民健保では、自治体住民の年齢構成や財政力に左右されるため、地方ほど厳しい現実があります。逆に若年人口の厚い大都市圏では、独自に高額医療費の助成制度などを制定し、医療費の負担感は低かったのです。

こういった背景がありますから、診療報酬として保険金を受け取る医療サイドも大都市圏ほど厚みのあるサービス体制となり、近年の過疎化で地方の病院は、経営的にも苦境にあります。いわゆる医療崩壊が徐々に進行しているわけです。

本来ならば、命に直結する公的医療保険制度こそ、公平性を最大限担保すべきですし、また保険である以上、加入者数が多いほど、分母が大きいほど、料率面で有利になるわけですから、国が管掌して1本に統合することで無駄を省く余地はあるはずですが、実際に国が打ち出したのは、別建ての保険制度とするというもので、明らかに逆行しております。やはり上記の通り口減らしだったわけでしょう。

しかも悪質だと思うのは、対象となる高齢者の多くが加入していると思われる国民健保が市町村単位であるのに対して、新制度は都道府県単位の広域連合が保険者として管掌するという形になっている点です。市町村では負担が大きくなる場合があるからと説明されてますが、それならば都道府県にやらせても良いはずなのに、広域連合という新たな行政組織をこの制度のためだけに立ち上げたのですから、これでは国、県、市町村の三重行政どころか四重行政になって無駄を重ねることになります。当然保険者として独自に保険事務費を負担しなければならないわけですから、どう転んでも制度全体としては負担増にしかなりません

そしてやはりというか、一時7~8割の高齢者は負担が軽くなると複数の政府与党関係者が口にしていたのに、突っ込まれると「実は調査しておりません」ですから呆れます。何かこれ、失われた年金記録問題に通じますが「3月までに突き合わせを完全実施して全てを明らかにします」といって、その3月にいい加減な報告を上げて「まだ終わったわけではないので、引き続き努力します」といって、無為に時間と費用を浪費してますが、今回も「あらゆるケースを精査します」といって時間稼ぎに精出して、そのうち国民が諦めるか忘れるかしてくれるだろうという意図見え見えで、厚生労働省という役所はよくよく腐ったところです(怒)。

元々公的医療保険制度というのは、保険なんですから、「保険料払って使わないのは損」という考え方は成り立ちません。使わないに越したことはないけれど、万が一のときに医療サービスを受けられるためには、安定した医療支出が支えになるわけです。傷病リスクは誰しもあるわけですが、実際に病気や怪我をした者の自己責任ということにすると、金持ちしか医療サービスを受けられず、結果的に社会的ニーズが顕在化しないために、医療の希少化でアメリカのように医療費が高騰してしまうわけです。それを広く薄く国民全体で支えることで負担感が減り規模の経済も働きますから国民皆保険の意味はその辺にあるわけです。

また医療の特徴として、技術革新によってより高度な検査や医療が可能になるわけですが、それは同時に常に研究開発投資と設備投資が続くわけで、この部分が肥大化することは避けられないところです。医療費の高騰は高齢化のせいではなく、医療分野の技術革新の成せる業であるわけです。おかげで結核や癌なども不治の病ではなくなり、人々はより長く生きられるわけですから、高齢化はむしろその成果でもあるわけです。同時に医療従事者にとっても、以前より初期投資が増えて参入障壁が高くなっているし、一方で医療現場は複雑になる一方ですから、医療事故や訴訟リスクも負うことになりますので、それが結果的に医師をしてリスク回避のスタンスを取らせますので、需要に応じた医療サービスを受けることを難しくしております。

そういった意味で医療保険制度が曲がり角にきていることは間違いありませんが、制度の一本化や医療機関同士の連携や後発薬の活用による負担減など、まだまだほかにやるべきことは山のようにあります。ただしこの辺は利害を持つ既得権益者がいるところでもあり、改革するには相応に血を流さなければならないでしょうから、国は安易な道を選んだんだと思います。誤魔化されないようにしなければいけませんね。

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Tuesday, August 14, 2007

鉄道書評、線路にバスを走らせろ

夏休みシーズンで、鉄道関連ブログにも訪問記や旅行記が多数アップされている中で、当ブログ管理人はPC熱と闘いながら(笑)、書斎派鉄の道をまい進しております(苦笑)。

線路にバスを走らせろ 「北の車両屋」奮闘記(朝日新書 56) (朝日新書 56)
国鉄末期からの地方交通線転換によって、多くの営業路線を失い、事業規模を縮小した北海道の鉄道ですが、それでも残った路線の状況は厳しく、営業キロ2,500km中6割はローカル線という状況です。当然存廃が問われる路線も多く、JR北海道発足後にも、池北線の三セク転換と深名線のバス転換が実施されました。赤字路線の分離は、それ自身は経営面で必要なことには違いないのですが、同時に事業規模の縮小を余儀なくされるわけですから、JR北海道にとっては痛し痒しの部分です。

また90年代の金融危機のときに、北海道拓殖銀行が突然の経営破たんに見舞われたように、北海道では地場産業の衰退に直面している実情もあり、鉄道事業の撤退は、地域の衰退に拍車をかけることにもなります。また元々鉄道と共に開拓が進んだ北海道では、鉄道事業そのものもが産業集積として地域雇用を支えていた現実もあります。先日20年越しで和解、決着した旧国鉄職員のJR各社への採用を巡る労使対立も、元をただせば北海道の鉄道事業縮小に伴なう余剰人員の北海道以外の各社への受け入れを巡って、人選に所属労組による差別があったかどうかが争われたものです。

それやこれやで問題を抱えるJR北海道ですが、同時にリゾート列車や高速振り子列車などなど、実に多くの技術開発を行って、鉄道の活性化に取り組んでいるのは、あとがない崖っぷちゆえでしょうけど、ある意味地域分割のプラス面とも評価できます。最果ての大地で鉄路を維持することの意義を考えさせます。

以前、北海道旅行で、日高から襟裳岬を通って十勝へ抜けるルートを取ったときに、札幌からの鉄路乗継は飽きそうだから(笑)、道南バスの直通高速バスで浦河へ向かったのですが、浦河ターミナルで降りて最寄の東町駅へ行って驚いたのは、列車の少なさでした。襟裳岬方面へはどのみち様似でバスに乗り継ぐわけですが、並行する国道のJRバスのバス停を見ると、ほぼ1時間に1本のバスが走っているのですが、「学休日運休」の注意書きがあります。つまりは事実上の通学バスと化しているのですが、そうすると列車は何のために走っているのだろうかと疑問が出てきました。そう、線路がある以上、列車を走らせるしかないのです。

一応襟裳岬へ向かう観光周遊ルートには組み込まれており、様似から襟裳岬方面へのバスは。列車に接続をとっているわけですから、両者が棲み分けているわけです。しかし同じJR北海道同士で、両者の連携がないのは、ただでさえ少ない旅客を分けあう分、収支面では不利になります。北海道には鉄路と並行する整備された道路という似たロケーションのところは多数あります。DMVはそんな北海道では割と自然な発想の産物なのかもしれません。

そういった背景で、DMV開発に着手したわけですが、歴史を紐解けば、同様の発想で何度もトライされ、死屍累々の失敗を積み重ねてきたキワモノでもあるわけです。それを幼稚園の送迎用園児バスを見て「そのまま線路に乗せられそうだ」と発想するところが見事です。しかも軽量で線路を傷めないし、GPSなどの位置情報システムを利用すれば軌道回路を用いた閉そく信号も省略できるとか、行き違いも片方が線路を外れればよいとか、必要に応じて線路から外れた集落などへ運行できるとか、万が一の災害のときにも、線路と道路の復旧している部分を自在に行き来して運行を確保できるなどなど、発想が広がります。そう、DMVは最果てのLRTと考えれば理解が深まりますね。

基本的に引き算による技術革新ということです。鉄道は「金を失う道」といわれるように、線路を設置し維持するのに多額の費用がかかるわけで、需要が見込めないところで成立させるのは難しいわけですが、容赦のない過疎化の進行で乗客が減り続ける最果ての鉄路を残すには、現状に何かを付け足すのではなく、要らないものを削ぎ落として本体を維持するという発想なんですね。JR西日本の富山港線が富山ライトレールとして再生されたのに似ています。整備新幹線事業の着手に関連した富山市の都市計画で富山駅周辺の高架化事業が行われるときに、ローカル線である富山港線を新しい高架駅へ乗り入れさせるには多額に費用が発生するわけですが、アプローチ部分を都市計画道路上の併用軌道とすることで、ローカル線を都市交通に取り込んだわけです。足し算ではなく引き算で成功した事例ですね。そう、ヘビーレールから余分なものを割り引いてライトレールにするのであって、例えば元々低規格で放置されていた東急世田谷線が、軌道回路を用いた閉そく信号機と、連動する旧国鉄ATS-B相当の車内警報装置や列車無線を装備し、冷房付の新車に置き換え、ホーム嵩上げでバリアフリー化するなど、多額の費用をかけて列車定員を減少させ駅での客扱い時間を伸ばしスピードダウンした現実を見ると、技術革新の方向性が誤っていると言わざるを得ません。

大量輸送こそ鉄道の使命ですが、一方で過疎化の進捗で公共交通の維持が難しい地域も多数あり、居住放棄につながる限界集落が増えていると言われます。このままでは国土が荒れ果て、経済的パフォーマンスを低下させる要因にもなりかねない中で、公共交通を維持するソリューションの必要性は高いといいえます。その意味で身の丈にあったイノベーションとして、DMVの行く末を見ていきたいと思います。

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Wednesday, August 08, 2007

鉄道書評、民営化で誰が得をするのか

今年は国鉄民営化20年の節目の年ということで、国鉄民営化の総括のようなことをずっと考えていたのですが、テーマが大きすぎてなかなか書けずにいたところ、この本に出会いました。

民営化で誰が得をするのか―国際比較で考える (平凡社新書 384)
鉄道書というわけではないんですが、いわゆる「民営化」の国際比較という視点は、なかなかユニークです。タイトルでわかりますが、筆者はやや民営化に懐疑的な立場ですが、英国のサッチャー改革の意義などの理解はありますので、そのそもサッチャー改革と小泉改革の違いすら理解できない日本の多くの論客よりはましです。

ただし新書版のボリュームでは、十分に語り尽くせないせいか、やや誤解を招くような表現が見られるのは要注意です。例えば英国の国鉄改革については、比較的あっさりとしか触れてませんが、線路保有会社と多数の列車運行会社間のコミュニケーション不足といった表現に留まっております。以前サイドバーでご紹介した鉄道改革の国際比較に、詳しい経緯が書かれておりますので、そちらもご参照ください。英国の鉄道改革は、ひとことでいえばサッチャー改革の正当な後継者をアピールしたい当時のメージャー首相によって推進されたのですが、実際は運輸相に丸投げしていて、運輸相は運輸相で原理主義的に制度をいじくり回し、列車運行の入札に応札が殺到するなど、混乱の極致でことが進み、当の運輸相がスキャンダルを暴かれて辞任するに至り、当面国営で残す筈だった線路保有会社のレールトラック社をいきなり民間に払い下げて、しかも初年度から黒字化を意識づけて改革成功をアピールしようと功を焦った結果、必要な保守作業が手抜きされたものでした。結果的に選挙で大敗を喫するんですが、この辺、小泉改革の正当な後継者をアピールしながら、閣僚のスキャンダルと年金問題で墓穴を掘った安倍政権に似てますね^_^;。

ひとことで民営化といっても、目的や手法はさまざまで、上場による政府保有株式の放出にしても、公募して抽選とした日本のJR,JT,NTTのケースと、一部従業員に有利な条件で売却したサッチャー政権下での国有企業民営化のケースとでは、かなり趣きを異にします。これはひとつには労組の反対に対する切り崩しという側面もありますが、いわゆる大衆資本主義という観点から、株式が一部富裕層が集中保有して富を独占することへの国民感情の配慮と、個人株主を増やして国内株式市場の厚みを増すという目的もあったようです。この辺は新規上場時に公募価格を吊り上げて、結果的に1年以内に値崩れして国民を損させたNTTの場合と彼我の差は大きいですね。

それと最近日本でも多く見られるようになったPFI(Private Finance Initiative)やPPP(Pubric Private Partnership)なども、民営化の文脈で整理されており、最近では英国をはじめむしろこちらの方が主流となりつつあるようですが、日本でPFIといえば、中部国際空港のようなインフラ整備に偏っている印象があります。本来は整備に留まらず、期限を切って運営も民間に委託し、整備費用を償還後国へ返還するなど、ソフト面を重視した仕組みです。PPPに関しても、行政とNPOの共同事業という形態をとるケースが多いのですが、日本では行政側がNPOを安い下請け程度にしか認識していないケースが多く、問題をはらんでいます。例えばこんなニュースがあります。

湊鉄道線存続へ住民出資の「第4セクター化」検討
現地の詳しい事情はわかりませんが、第四セクターなどという造語までして、要するに自治体が受け皿三セクへの出資を渋っているので、代わりに市民から寄付を募ろうということです。心配なのは、地縁的NPOが往々にして寄付金強要機関となる可能性があることでして、NPOの運営がどれぐらい透明に行われるのかが問われます。これなどいわゆるPPPに分類される事例ということになるでしょうけど、自治体が増税して得た資金を出資するという方が、地方議会の監視が効くという意味で、本来は望ましい形です。NPOでなければならない理由は問われます。

あと日本の三公社をはじめ、日本航空や電源開発など、政府出資の特別会社の株式放出で政府が得た売却代金の行方なんですが、本来は赤字国債の償還に使われるはずですが、今のところ公式発表はなく、日本経済新聞に'05.9.3付でおそらく独自取材の結果と思われる図表を掲載しているに留まります。しかも国債償還の推定値は31.3兆円ということで、国債発行残高からすれば微々たる数字です。そういえば大阪のJR東西線(建設線名片福連絡線)の整備主体となる三セク大阪高速鉄道の政府出資分を「NTT株売却益活用事業」とうたっていたことが思い出されますが、全部ではないまでも、一部官僚のタンス預金になっている疑惑はあります。これを餌に利権政治屋を手なづけているとすれば、本来財政再建が目的だった筈の民営化が食い物にされたということにもなります。このあたりは参院で与野党逆転となったのですから、国政調査権を活用して切り込んでほしいところです。

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Sunday, July 22, 2007

鉄道書評、自動改札のひみつ

最近更新が滞っておりますが、書評なんぞで新境地を拓いてみますか。

というわけで、まずは自動改札のひみつです。今や首都圏でも当たり前になった自動改札ですが、実は民営化直後のJR東日本による駅業務の近代化、機械化の取組みがきっかけで普及に弾みがついたものです。既に関西地区では1970年の大阪万博で試験導入された後、主に私鉄と地下鉄で広まっていたのですが、当時の技術では首都圏のラッシュへの対応に難点があったために広まらず、旧国鉄の武蔵野線や、営団地下鉄、東急電鉄などで部分的に導入されたに留まり、磁気券比率が低いために省力化効果はほとんどなかったようです。

JR東日本では1990年の山手線での導入を皮切りに、首都圏エリアで急速に普及させたんですが、ラッシュ対策とともに、関西のシステムの単純な移植ではなく、旅客サービスの向上も含めたコンセプトが模索されました。その一つがSFカードのIOカードであり、ICカード乗車券として発展型のSuicaであるわけです。

あと意外だったのは、自動改札は省力化システムではあるけれど、例えば小児その他の割引運賃の適用旅客かどうかや、定期券の持参人と名義人が同一かどうかなどは判定できないわけで、基本的に人による監視を前提としており、不具合によるドア閉鎖のリセットを人が行うわけですが、これが頻発すると省力化効果を削いでしまうわけです。ゆえに当初入場記録を書き込むフェアライドシステムが導入されなかったのも、チェックを厳格化して省力化効果が失われることについての見極めがつかなかったんですね。厳格化には自ずと限界があるわけです。

またハンドラーと称する磁気券を読み書きするメカが、高度なメンテナンスを要するため、ICカード乗車券の導入は即メンテナンスコストの圧縮につながりますし、磁気券が減れば券売機の台数も減らせるので、省力化の波及効果は大きいですし、駅ナカビジネスの店舗スペースを生み出せるなどのメリットがあるのですが、私鉄とバスのPASMO導入に関しては、その辺のメリットが十分認識されていなかったようです。よく言われる「SuicaとPASMOが共通利用できることが周知されていなかった」点ですが、後付けの言い訳でしょう。共通利用に関しても報道などでかなり広報されてましたし、「Suicaで私鉄・バスに乗れる」という広告も流れていたのですから、殺到した購入者の多くは、承知の上での行動と考えられます。むしろマーケティング的にはSuica所持者にまで買わせることができたのですから大成功だったわけです。カードの在庫切れは、一気に普及させることで利用度が上がる電子マネー機能を宝の持ち腐れにしかねず、事実後発のnanacoが7-11の加盟店1万店を背景に利用度トップに躍り出たことからも、PASMOの躓きは交通カード陣営には痛い失点です。

それとSuicaとPASMO連絡運輸あれこれで取り上げたのですが、PASMO導入にあたっての乗継割引など、乗客側に分かりやすいメリットを訴求することができれば、更に普及させることも可能だったでしょうけど、全て後の祭りです。設備近代化でPFIで民間とコラボレートしたロンドン地下鉄が3月にICカード乗車券普及を狙って初乗り運賃を4£(直近の外為相場で1,000円相当)に値上げして、ICカード利用の優位性を演出してますが、私鉄中心のPASMOでそのような戦略性が発揮されないのは残念です。一応都営バスでは1回目の乗車から90分以内に再度都営バスに乗車した場合に100円の割引運賃を適用する"90分ルール"を採用してますが、公営交通の方がよほど戦略的ですね。

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